走りの技術。ヤジロベエ走法。腰椎の一点で上半身のバランスをとる走法

マラソン・ランニング
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みなさん今日も楽しく走っていますか? ここでは、私ハルトのサブスリー養成講座の核の理論のひとつ「ヤジロベエ走法」について書いています。

昔は「天秤走法」と呼んでいましたが、よりしっくりくる「入力ワード」を求めて、いまではヤジロベエ走法と呼んでいます。

この走法は、ランニング中の上半身の体重処理を腰椎の一点でヤジロベエのようにバランスをとって処理するという走法です。そのため上半身は前のめりだった初心者フォームからすこし直立、中立するようになります。

ヤジロベエ走法で上半身の力を抜くことにより、よりダイナミックなスピードフォームで走ることができるようになります。

※※※YouTube動画はじめました※※※

書籍『市民ランナーという走り方(マラソンサブスリー・グランドスラム養成講座)』の内容をYouTubeにて公開しています。言葉のイメージ喚起力でランニングフォームを最適化して、同じ練習量でも速く走れるようになるランニング新メソッドについて解説しています。

『マラソンの走り方・サブスリー養成講座』

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※言葉のイメージ喚起力で速く走る新メソッドを提唱しています。

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市民ランナーはピッチよりもストライドを意識すべきです

このブログでは「サブスリー養成講座」と称して、たくさんの走法、入力意識、速く走るための技術について解説してきました。

他の人の言っていないこと、他の人が言葉にしていないこと、を講座の中では展開してきた自負があります。

この講座の最大の特徴は「理想のフォームを追求するな。フォームは複数ある。その全部を使え」ということに尽きますが、他にも他のサブスリー攻略サイトとは違う特徴をいくつかあげることができます。

「ピッチ走法ではなく、ストライド走法」を推奨していることもそのひとつといえるでしょう。

ほとんどのランニング書籍ではピッチ走法を推奨していることを私は知っています。

超一流の元オリンピック選手や、彼女たちを育てた有名コーチが執筆している書物がピッチ走法を推奨しているのにも関わらず、なぜ市民ランナーのお前がストライド走法を勧めているのか、と思う方も多いと思います。

私もかつてはピッチ走法のランナーでした。そしてサブスリーを達成できないランナーでした。

その時、世界陸上の川内優輝選手をテレビで観戦していて衝撃的なことに気がついたのです。それはこういうことでした。

「これは夢か? 川内よりも、おれの方がピッチが速い

それがどんなに衝撃的な発見だったか、わかるでしょうか。最初はテレビ中継だと脚の動きがスローモーションになるのかと疑ったほどでした。それほど信じられなかったからです。

しかし長身189cmの長身、旭化成の堀端宏行選手などと比べると、完全に脚の回転(ピッチ)は自分の方が上だとわかりました。

実は、ピッチというのは子供でも大人でも、市民ランナーでもアスリートでも、さほど変わらないものなのです。180BPMぐらいが最適だとされています。1秒間に3歩のリズム感がマラソンには最適のピッチだと言われています。それは川内優輝でも、この稿を読んでいるあなたでも同じなのです。

でも川内は世界陸上クラス、あなたは市民ランナー。この違いは何なのでしょうか。

もうわかりましたよね。違うのはストライドなのです。あなたと川内優輝の決定的な違いはピッチではありません。ストライドが違うのです。

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上虚下実のヤジロベエ走法

元々、才能があって、凄いストライドで物凄く速いエリート選手ばかりを指導しているプロのコーチは、なんとかしてアフリカの黒人選手に勝つために、ピッチ走法(というより省エネ・効率走法)を指導する癖がついています。

同じ土俵のストライドで勝負しては日本人選手は黒人選手にはかないません。そして黒人選手に勝てなければ金メダルを取れないからです。

しかし市民ランナーはエリート選手とは違います。目標は黒人選手に勝つことではなく、自己ベストを更新することです。弱小市民ランナーには「全然、ストライドのない人」がたくさんいます。

プロのコーチはそういう市民ランナーにも「自分のエリート選手」と同じ指導をしてしまいます。だから「ピッチ」「ピッチ」と指導するのですが、これは間違っています。市民ランナーはエリート選手とは逆にストライドを伸ばすような練習をした方がいいのです。

では、どのようにすればストライドは伸ばせるのでしょう。そもそもストライドとはどのようなものでしょうか。

ストライドとは、宙に浮いて滞空移動することであり、体重を減らすことが走力に決定的な影響をあたえます。

その上で、フワッとした浮遊感を感じて走りましょう。宙に浮く「快楽のランニング」です。

フワッと骨盤・腰椎を浮かせてみましょう。すると脚が軽くなるのがわかるでしょう。

オモチャの「ヤジロベエ」のように腰の一点で上半身を支えるようにします。上半身を腰椎にささえてもらうのです。体重は筋肉で支えるのではなく、骨に支えてもらいましょう。

これができるようになると、腹と背中の筋肉の力を抜くことができます。

とくに前傾姿勢を維持するために緊張しっぱなしで疲弊した腰と背中の筋肉をリラックスさせることは大きなメリットになります。

筋肉をリラックスさせることができるということは、その筋肉を使うことができるということです。

筋肉というのは主動筋と対抗筋が対になっています。

対抗筋を固く緊張させたまま、主動筋だけを動かすというのは、負荷をかけたまま力を振るうことと同じで、効率的ではありません。

主動筋の腸腰筋(脊柱の前についている大腿骨を上げる筋肉)(お腹の筋肉)を動かすためには、対抗筋である脊柱起立筋がリラックスしていることが必要なのです。それができないと相互ピストン運動が力を相殺してしまいます。ブレーキをかけたまま、アクセルを踏むようなものです。

脊柱前後の筋肉を動かしながら、上半身の重さは脊柱に支えてもらうため、感覚としては上半身はフワッと浮いたようになります。腰椎がバランスをとって、ヤジロベエのように上半身を支えているのです。

これがヤジロベエ走法(旧名・天秤走法)です。背中の筋肉を休めて、腸腰筋を力強く使うための走法です。

ヤジロベエ走法は「上虚下実」の状態です。下半身は力を発揮する瞬間がありますが、上半身の力は常に抜けています。

そして腰椎の一点で上半身をヤジロベエのようにバランスをとって支えます。そして腹や背中の筋肉は脱力して、ただ前に進むためだけにすべての力を使います。

上半身の姿勢の維持に筋力をつかわないところが、動的バランス走法とヤジロベエ走法の違いです。

動的バランス走法はすっと通った一本の脊柱を動かさないイメージですが、ヤジロベエ走法では上半身はブレても構いません。足が大きく動くわけですから、むしろ上半身はブレて当然です。

ガチガチに動かない不動直立の背骨よりは、むしろすこし揺らした方がリラックスできるのではないかと思います。すこし揺らすことが脱力のコツです。

また腰を落としたまま腰椎を揺らすのは難しいことです。腰椎が揺れていることを意識すれば、フォームは自然と腰高になるでしょう。

ヤジロベエは土台が動いてブレても、やがて元のバランスに戻ってきます。そのイメージです。

ヤジロベエがバランスして元に戻ってくるときの力を利用して、体をよじりながら反対側の足を前に出すようにします。

あなたがボクサーなら「デンプシーロール」のように背骨を左右によじりながら脚を繰り出すといえば伝わるでしょうか。

渓流をシャケが登るときには、背骨をよじって全身の力で流れに逆らいながら進んでいきます。そのようにランナーも脊椎まわりの筋肉をよじり使いながら走ります。動かさないために、姿勢を維持するために筋力をつかわないようにしてください。揺れたら揺れたでいいのです。頭蓋骨があるため脊椎は揺れても倒れません。頭が重りとなっているから脊椎まわりの筋肉を思いきりダイナミックに動かしても倒れるまではいかないのです。

動的バランス走法が腸腰筋など体の前面の筋肉を駆使して走る走法だとすれば、ヤジロベエ走法は腰やお尻など体の前面も背面も両方の筋肉を使って走ります。脊髄を立たせ腕を後ろに引くことで背面の筋肉がゆるみダイナミックに動かせるようになるのです。

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腰で走る走法

大きなストライドを確保するためには腰を使う必要があります。

脊髄を立てると、前傾した「動的バランス走法」にくらべて、背中の肉に余裕ができるはずです。

背中の肉に余裕ができると、腰をダイナミックに動かすことができます。

さらに大きく腰を使って走るためには、胸を開いて、肩の力を抜くことです。

具体的には、背中の肩甲骨を寄せて肩を下にストンと落とします。すると背中がゆるみます。

背中がゆるめば、腰を動かしてダイナミックに走ることができます。

おまけに背中がゆるんで胸が開けば呼吸が楽になります。

呼吸がスムーズにいかなければ、速く走ることはできません。

このように「ヤジロベエ走法」は一石二鳥の走法なのです。

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ストライドを稼ぐための走法・ヤジロベエ走法

ヤジロベエ走法(旧名・天秤走法)では、おへそから下は全部脚だという意識で走ります。ヤジロベエの支点となっている一点(腰椎)から下は、移動するための推進装置です。

では上半身は何のためについているのでしょうか。

上半身は酸素を取り込む肺のためにあります。風船を膨らませて浮かべるように、肺に空気をいっぱい取り込みます。

マラソンの呼吸法。「腹圧をかける走法」
私たちが意図的にできることは、酸素(空気)と赤血球(血)ができるだけ触れるようにしてあげることだけです。横隔膜の上にはたくさんの血が行きやすいので、そこまで深く酸素を吸い込めば、肩式呼吸や胸式呼吸で肺の上部にたよった呼吸法よりも、たくさんの酸素が赤血球に触れるのです。

体重を支えているのは筋肉ではなく骨です。

リラックスした腹と背中の筋肉で大腿骨を太鼓を叩くバチのように動かします。

大腿骨はお腹の深いところにある腸腰筋(腰椎と大腿骨を結ぶ筋肉。主に股関節を屈曲させる働きをする)をつかって持ち上げます。この筋肉は深部にあるため意識しにくい筋肉なのですが、この筋肉が使えているということはその対抗筋である腰(背中)の筋肉がよく動いているはずです。腰から背中の筋肉が大きく動いている時にはその対抗筋である腸腰筋が動いていて大腿骨が大きく前に持ち上がっているのが確認できるでしょう。

ここで意識するのは「ハサミは両方に開かれる走法」です。不動の大地を踏みつけるのではなく、抵抗なしの空気を膝蹴りするようにして切り裂きます。両足を意識せず、片足だけに集中して大丈夫です。

前に進むためにはアスファルトを蹴らなければ(押さなければ)ならないと思い込んでいる人がいると思いますが、そんなことはありません。ハサミは両方に開かれます。一方のハサミの刃が開くとき(膝蹴りの前脚)、もう一方のハサミの刃(体重を支えている後ろ足)も勝手に開かれます。だから前脚だけ意識しておけば大丈夫なのです。心配いりません。

ストライド走法の極意「ハサミは両方に開かれる走法」(地面を蹴るより膝蹴りを決めろ)
『ハサミは両方に開かれる走法』とは支脚よりも遊脚を意識する走法です。ハサミは両方に開かれる走法。後ろに蹴るのではなく前に突き出してストライドを稼ぐ走法です。走っている時の二本の脚はまるでハサミのようなものです。片方の脚を意識するだけで、結果として両方の脚を動かすことができます。なぜならハサミは両方に開かれるからです。
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上級者の走り方。ヤジロベエ走法は肩の力を抜く走法

動的バランス走法」よりも「ヤジロベエ走法」を私が進化系と位置づけているのは、結局、背中の筋肉を緩めることができるか、につきます。

「動的バランス走法」には、骨盤・腰椎の浮遊感がありません。ヤジロベエ走法のように一点バランスの上で浮いておらず、腰の筋肉は常に緊張しています。

単純にずっと固くなっている筋肉よりも、ときどき緩んだ筋肉の方が血行がいいことは容易に想像がつくと思います。血行がいいということは、長時間使えるということです。走るときにはリラックスすることが大切なのです。

カタにこだわりすぎるのが、日本文化のよくないところ。カタを追求するあまり、ダイナミズムを失うことがある。強さを失うことがある。面白さを失うことがある
理想のフォームを維持することに力を使いすぎると、却ってタイムが遅くなります。そもそもフォームはひとつでないから奥が深いのです。飽きが来ないのです。いつまでも発見があるのです。カタを追求するあまり、ダイナミズムを失うことがある。強さを失うことがある。面白さを失うことがある。私はそう思っています。

腰を入れて骨盤が直立、中立していた方が、股関節からぐいっと大腿骨を前に突き出すことができます。よりストライドを稼ぐことができるのです。

「動的バランス走法」では脚が高くあがりません。前に倒れないように「おっとっと」と自然に足が前に出る走法は、どちらかといえばピッチ走法向きです。ストライドを伸ばすためにはヤジロベエ走法の方が優れています。

遠投する場合、落下距離も含めなければ本当の意味で飛距離は出ません。動的バランス走法ではボールが上昇している間の飛距離しかカウントしていません。この場合の飛距離とはストライドのことです。動的バランス走法よりもヤジロベエ走法の方がストライドが大きくなるのです。

走ることで下半身は当然ブレますが、土台がぶれてもバランスをとるヤジロベエのように腰椎で上半身のバランスをとりましょう。

動的バランス走法では、上半身を動いていないとバランスが取れないほど前に倒してオットットと足が勝手に出てしまう力を利用します。

それに対してヤジロベエ走法では上半身は腰椎でバランスをとっているだけですから、自分の筋肉でジャンプしなければ前に進むことはできません。

だったら動的バランス走法の方が速く走れるんじゃないかと思うかもしれません。しかし、そうではないのです。スピードはピッチではなく、ストライドで稼ぎます。

マラソン『ピッチ走法よりもストライド走法』ダメージなんか度外視して走れ
オリンピッククラスの指導者の考え方の本質的ベースにあるのは『オリンピックで、凄いストライドの黒人選手に、短脚の日本人が勝つため』に編み出されているということを見落としてはなりません。 市民ランナーがサブスリーを達成するために考え出された指導方法ではないのです。
川内優輝選手はプロランナーに転向しても今より遅くなるだろう(追記あり)
「速く走れる厚底シューズ」を履いての自己ベスト記録更新だったようです。結局、本稿でもっとも主張したかった「ランニングはピッチではなくストライド次第だ」というこの稿の本質は何も変わっていません。

フワッと宙に浮いてストライドを稼げる走り、それがヤジロベエ走法です。

重力に引いてもらってオットットと走る動的バランス走法では着地筋を酷使します。重力に引かれる反面、前につんのめる感じになります。

しかし腰椎で上半身を支えるヤジロベエ走法なら上半身がゼログラビティになりますので、脚が引っかかることなく回すことができます。

マンガの表現に学ぶ実走。下半身をクルクル回転させるイメージで走ってみよう
ランニングというのは歯車がかみ合って回る機械のようなものです。ひとつひとつのテクニックは、単体で独立したものではなく、次の動作へと回転的に繋がっていくものなのです。それを表現したマンガの表現「足をクルクルと回転させる」は、非常によくできた表現だと言わざるを得ないのです。

その結果、ストライドが稼げるのです。

足が自然と前にトットットッと前に出るよりも、フワッと宙に浮く方が速いのです。

下に引く重力を利用するよりも、自分の筋肉の方が強いと信じて、中上級者は「動的バランス走法」から「ヤジロベエ走法」に移行してください。「ヤジロベエ走法」で上半身がフワッと浮遊した感覚になるのは、上半身の体重処理を腰椎のみにまかせて腹背筋の力を抜くためです。対抗筋の力を抜いてこそ、主動筋のパワーを発揮できます。

「骨格走法」筋肉ではなく骨で走る。疲労しない走り方
骨格走法は、筋肉のサポートを極小化して意識の外に追いやる走法です。筋肉が動いているか、をチェックしながら走るのではなく、骨格がいいフォームになっているかチェックしながら走ってみてください。それが骨格走法です。

「動的バランス走法」にくらべて「ヤジロベエ走法」は背筋(腰の筋肉)を決定的に緩めることができます。すると腸腰筋もよりダイナミックに動かすことができるのです。

背筋(腰の筋肉)を緩めるもうひとつの方法は、肩を下げてリラックスさせることです。肩を上げて走っている初心者ランナーを多く見かけますが、肩を上げると胸式呼吸になりがちです。

さらに背筋を緩めることができません。筋肉は長く伸ばして使っては緩みません。短く使ってこそ緩むのです。肩の力を抜いて、肩を下ろせば、その分、背筋はリラックスして、よりダイナミックな動きが可能となります。そのためにはヤジロベエ走法です。

動的バランス走法と違って、ヤジロベエ走法は腰椎で上半身の力を支えているので、肩の力を抜いて背筋を緩めることが可能です。ヤジロベエ走法は上半身全ての力を抜く走法です。上半身の力を柔軟に緩めるからこそ、下半身の地震のような動きのなかでも、腰椎の一点でバランスをとる事ができるのです。

そう、ヤジロベエのように。

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すべてのフォームを使え。それが究極の正解

ヤジロベエ走法は腰椎だけで上半身を支えて腹背筋をリラックスさせる走法です。上半身がフワッと浮遊するような感覚で走ります。

しかし、レースの途中で、腹圧をつかったパワー走法(トランポリン呼吸法)を発揮したいと思ったら、そちらに切り替えてください。

マラソンの呼吸法。「腹圧をかける走法」
私たちが意図的にできることは、酸素(空気)と赤血球(血)ができるだけ触れるようにしてあげることだけです。横隔膜の上にはたくさんの血が行きやすいので、そこまで深く酸素を吸い込めば、肩式呼吸や胸式呼吸で肺の上部にたよった呼吸法よりも、たくさんの酸素が赤血球に触れるのです。

そうなったら上半身のリフトアップをやめて、別のフォームに切り替えましょう。

フォームを変えることを恐れてはいけません。

先日のアジア大会のマラソンでもそうでしたが、元オリンピック金メダリストの解説者が、こう言います。

アスリート解説者「苦しいですね。あきらかに先ほどまでとフォームが変わってきました」

ここではフォームが変わることは「悪いこと」「アカンこと」のように言われています。

しかしそれは優勝を狙う選手の場合です。オリンピックの金メダルを狙う選手の場合です。

金メダル狙いと、市民ランナーの自己ベスト狙いはまったく違います。

エリートほど究極のたった一つの走法にこだわるものです。彼らは最速を目指していますから仕方がありません。

しかし私たち市民ランナーが目指しているのは「最速」ではありません「自分史上最高」です。

アスリート解説者「苦しいんでしょうね。顎が上がってしまいました」

しかし顎を上げて頭の重さを背骨の上に乗せて、背骨で頭蓋骨を支えると、背筋を休めることができます。やってみてください。今まで緊張していた筋肉をリラックスさせることができるのです。

すこしスピードは落ちるかもしれませんが、なにもフォームAからフォームBに変わっただけで、レースを諦めることはありません。優勝を狙っているわけじゃないんですから。

「ヤジロベエ走法」で休ませた腰・背中の筋肉が復活していたら、また「動的バランス走法」に戻ってもいいでしょう。「ハサミは両方に開かれる走法」「天秤走法」「ヘルメスの靴」でも構いません。

ヘルメスの靴。足についた宙に浮くためのバネ(足底アーチとアキレス腱)
ヘルメスの靴ほどではありませんが、人間の足にも二種類の宙に浮くためのバネが備えつけられています。足底アーチと、アキレス腱です。人間の足に備わったこの天性の装置を、私は「ヘルメスの靴」と呼んでいます。

速く走るためのランニングの極意「アトムのジェット走法」は駆使できていますか? 「踵落としを効果的に決める・走法」も忘れないでください。

複数のフォームを使い回して、自分のすべてを使ってゴールを目指すこと。それが私のサブスリー養成講座の核心です。戦闘速度と巡航速度、どちらも大切です。両方持っていることが強みとなるのです。

ストライド走法とピッチ走法、どちらが正解か? どちらの走法を使うべきなのか?

ランニングの世界では「永遠のテーマ」「答えのない永遠の問い」のように語られるこの二つの走法の優劣ですが、私にはもう答えが出ています。

どっちも使え。これが正解です。

すべての走法を駆使して、自分史上最高のゴールを目指しましょう。

あなたの自分史上最高のゴールに、私のサブスリー養成講座がお役に立てたならこんなにうれしいことはありません。

×   ×   ×   ×   ×   × 

※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。

「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何?
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。

Bitly

星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。トウガラシ実存主義、新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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●◎このブログの著者の書籍『市民ランナーという走り方』◎●
書籍『市民ランナーという走り方』Amazonにて発売中
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●◎このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』◎●
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
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●◎このブログ著者の小説『ツバサ』◎●
小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『ツバサ』
主人公ツバサは小劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自身が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
Bitly
×   ×   ×   ×   ×   × 
読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大小説
×   ×   ×   ×   ×   ×  (本文より)知りたかった文学の正体がわかった! かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。 しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。 世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。 すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。 『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。 その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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×   ×   ×   ×   ×   × 
◎このブログの著者の随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

Bitly
随筆『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』

旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。

私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●韓国帰りの帰国子女の人生論「トウガラシ実存主義」人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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●◎このブログ著者の書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』◎●
書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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書籍『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての提言 『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』 ●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか? ●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか? ●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。 ●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか? ●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。 「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」を信条にする筆者が渾身の力で戦争を斬る! ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすること。それが人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。人々の暮らしを邪魔する行動は人類全体に否決される。いつの日かそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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マラソン・ランニング
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