私が尊敬する作家のひとり。チェコの作家カレル・チャペックの『山椒魚戦争』。
第二次世界大戦直前の1936年に発表されました。
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『山椒魚戦争』のあらすじ
東南アジアの海辺で、山椒魚に似た生物が見つかります。彼らは水棲の知的生命体で、道具を使うことをすぐに覚えます。それのみならず、人間の言葉を理解するようになりました。
最初、人類は山椒魚を真珠の採集につかっていただけでしたが、一般労働力として利用できると気づきます。山椒魚は人間の商品となり、会社によって繁殖させられ、各地に売られます。
人間は山椒魚たちを奴隷のように扱いました。動物園で見世物にもされました。ところが動物園の一匹が言葉をおぼえ、新聞を読み始めます。このことは大ニュースとなりました。人道主義者たちが、道具も使い言葉も喋れる山椒魚たちには人権のようなものをあたえるべきだと言い出します。やがて山椒魚の学校ができるなどしてますます山椒魚たちは栄えます。
ときどき反抗的な山椒魚の反乱がありましたが、最初のうちは人類は圧倒的な武力で御していました。しかし海の中は山椒魚たちの世界です。海中で彼らは力をためていました。やがて圧倒的な数になった山椒魚たちにリーダーが現れ、ついに人類に対して反旗を翻します。最初は世界の海岸線を要求します。しかしやがては陸地を水没させて海を増やしていくのでした。人類はもう山椒魚たちに勝てません。人類に危機が迫ります。
さて、どうなるでしょうか?
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『山椒魚戦争』の詳細
十歳の子供ぐらいの大きさで、色はほとんど真っ黒です。魚ぐらいの小さなしっぽがありますが、尾びれはありませんでした。
大きさはアザラシぐらいですが、後ろ足でよちよちあるいているときは、これぐらいですかな。きれいとは言えませんな。うろこもありませんし、ヒキガエルか山椒魚みたいに、つるりとしているんです。前足は子供の手のようになっています。指は四本。利口でかわいい動物ですよ。
→この山椒魚に似た知性のある生き物が貝から真珠を採集するのに役に立つと人間は考えます。
ほら、こうやってナイフを回すんだよ。やがてカチッと音がして、とうとう貝が開いたんですよ。あんな動物にこんなことができるなんてね。まったく雷にでも打たれたようなショックでしたよ。
夢を見ているようだな。
おまえたちを助けることを誓う。
トカゲ牧場みたいなものをつくるってわけです。なんとか自活できるようにしてやりたいんですよ。なにしろかわいい連中ですから。それに利口だし。ご自分の目で見てみれば、こりゃあ儲かると思うはずですよ。
→動物園で喋る山椒魚は大人気となりました。お天気から経済恐慌、政治情勢、ドイツの潜水艦から戦争のことまで、ありとあらゆる話題について喋ります。しかしチョコレートボンボンを山ほどもらった山椒魚は、胃カタルと腸カタルとなって帰らぬ山椒魚となった。
けだし、名声は山椒魚さえも堕落させるのである。
→山椒魚が人間の比喩ではないか、と最初に感じさせるくだりです。
みなさん、将来にわたって山椒魚の独占を維持しようとの考えは、この際すっぱり捨ててしまおうではありませんか。山椒魚シンジケートを設立し、さらに大規模にビジネスを推進するのです。
ときにあなたはその山椒魚をごらんになったことがあるんでしょうな。恥ずかしながらわたしは見たこともないんだが。
いやいや、山椒魚の姿を見物したりしている暇はありませんよ。山椒魚シンジケートを設立しただけで満足しなくては。
たいへんな数みたいだね。島でもなんでもあっというまにつくれるんだ。いまじゃ新大陸をつくるのだって夢じゃない。新しい歴史が始まるんだ。われわれはすばらしい時代に生きているんだよ。
海中に穴や通路を掘ることで海岸や島が崩壊する危険を叫ぶものなど、山椒魚導入に否定的だった人間、団体は枚挙にいとまがない。しかし、人類史上、すべての進歩が抵抗や不信に直面してきたことも事実である。蒸気機関しかり、山椒魚しかり。
→いまふうにいえばAIや、クローン細胞しかり。すでに技術的にはクローン人間がつくれます。もし自分の寿命があとわずかだったとして、クローン人間があったら、やっぱりクローンに脳の移植する手術をお願いしたくなるんでしょうか。それとも完全なる自分の遺伝子は残るんだから、クローンに遺産を残して、オリジナルはおとなしくこの世を去ることができるでしょうか?
山椒魚ビジネスが持つ巨大な可能性と、マスコミの強力なバックアップによって、山椒魚は世界各地で興味と好意をもって迎えられた。
なあ、山椒魚くん。いつかきみたちの時代が来ても、お願いだから人間の精神生活を科学的に研究しようと思わないでくれよ。
人々は山椒魚を計算機同様のあたりまえの存在と見なすようになった。山椒魚が極めて役に立つ有益な動物だと判明してからは、合理的な世界を構成する要素の一つとして扱われるようになったのである。
山椒魚の子女が、フランス語、文学、数学、文化史、作法などを学ぶことになった。マルセイユに山椒魚総合大学が開設された。法学博士号を取得した最初の山椒魚が出現したのもこの大学だった。
ほとんどすべての国家が家畜に対するのと同様の保護措置を山椒魚にも適用するようになった。いくつかの国では山椒魚の生体実験の禁止が法令化された。投石が禁止され、山椒魚の勤務地や生息地には高い塀が張り巡らされた。
世界大戦でも我が国は中立だよ。中立を守って他国に武器を輸出する国が必要だからな。
山椒魚が住民の村を襲っている。事件の前に村人が何匹が山椒魚を叩き殺したんだそうだ。
どうも気に食わない。あいつらが自衛しはじめたとなると……こりゃあまずいぞ。どうもいやな予感がする。
普遍的山椒魚世界の建設である。単一の民族と、単一の生活水準。われわれのそれとくらべてはるかに完全な世界が出現するだろう。この惑星は、二つの支配種の共存をゆるすほど広大ではない。一方の統一が完成すれば、他方は舞台を降りるしかない。
山椒魚への武器供与を即刻中止せよ。対山椒魚同盟を結成せよ。全人類よ、武器を手に立ち上がれ! 世界大戦でもなしえなかった世界統一のチャンスが、われわれの目の前にあるのだ。
→そしてとうとう山椒魚のリーダーからメッセージが届きます。
ハロー、人類の皆さん。我々は生存のために、より多くの海、海岸、浅瀬を必要とするにすぎない。みなさんの大陸をいただき、新たな湾や島をつくらなければならない。みなさんにはなんの敵意もないが、こちらの数が多すぎることをご理解いただきたい。みなさんには内陸部への移住をおすすめする。丘陵地帯の破壊は最終段階になる。
→ナチスはゲルマン民族の生存圏という理念を掲げてロシアに侵攻しました。それを髣髴とさせます。カレルチャペックの故国チェコはナチスドイツに占領され『山椒魚戦争』は発禁となったそうです。こういうくだりが原因でしょう。
わしらにはいい場所がある。なにしろ海がないんだから。
グアテマラじゃ、山脈をまるごと水没させたそうだ。全陸地の五分の一を水没させたことを思うと……
海の近くだけだろう。山椒魚を戦争しているのは臨海諸国だけ。ここは中立国なんだよ。
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えっ、メタフィクション? 最後まで物語で通した方がよかったのではないか?
人類滅亡の土壇場になって、作品は急に終わりを告げます。作者がメタフィクション的に登場し、自作解題をはじめるのでした。「我々はまだ未来を選ぶことができる」そんなことを作者は語ります。戦争へと続く未来を変えることもできるんだ、というわけです。いちおう作者としては、悲劇的な結末ではなく、なんとかギリギリ未来に希望をつなぐハッピーエンドに仕上げたといったところです。
人類が哀れだと思わないの?
多少の陸地は残る。その陸地に人間が住み続けるわけだ。そして山椒魚のために金属や機械をつくる。
山椒魚だって生き延びなきゃならない。
→作者は、人類への希望のため、疫病で山椒魚を全滅させようというアイディアが頭をよぎりました。しかし、それではいくらなんでもご都合主義だと自己批判しています。
おいおい、いくらなんでも、それは話しがうますぎるぞ。人間の力じゃどうしようもなくなったら、母なる自然が助けてくれるってわけか?
世界を破滅させるための機械や材料をいっしょうけんめい工場でつくってるのは誰だ? ノアの洪水の資金を融資しているのは誰だ?
山椒魚隊山椒魚だよ。人間だってひとつの同胞だろ。同胞だからって戦争の種がなくなるわけじゃない。
山椒魚総統は人間だよ。第一次大戦当時はどこかの曹長だった。
それぞれが国家になりかけている。アトランティス山椒魚はレムリア山椒魚を軽蔑して、不潔な野獣と呼ぶ。レムリア側はアトランティス側に狂信的な憎悪をいだいて、帝国主義者とか西洋の悪魔とか、古き良き山椒魚性の破壊者と見なす。そしてその結果、戦争が勃発する。当然の成り行きだ。世界大戦だ。文明と正義の名において。
われわれか、さもなくば彼らか。
みんな死んでしまうのかい?
それから?
……それから先はぼくにもわからないよ。
カレル・チャペックは第二次世界大戦を経験せずに亡くなりました。しかし、脳裏には第一次世界大戦のことがありました。だから、明るい未来ばかりを見ていたわけではありません。むしろ第二次世界大戦のことははっきりと予見していただろうと思われます。
こういう見通しのある人、良心をもった人がいても、あの戦争は止められなかったのですね。
しかし、本作がこのエンディングでなかったら、と残念でなりません。べつに作者に言わせなくても、登場キャラクターに言わせればよかったのではないでしょうか。
それでも作者が思わず顔を出してしまったのは、未来に希望をつなぐハッピーエンドに仕立て上げたことの無理さを自分で承知していたからではないでしょうか。
作品をバッドエンドにはできなかったけれど、それでも未来を信じられない作者が、なんとか苦しい言い訳をしているように思えてなりません。
実際、この後、チェコはナチスに占領されてしまいます。
やはり山椒魚というのは、(発見された地である)アジア人でもあり、黒人奴隷でもあり、またナチスドイツでもある比喩的な存在なのでした。