ドラクエ的な人生

『20世紀少年』ともだちといじめ。思い出補正

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動機は「いじめられていて、ただ仲間に入れてもらいたかっただけ」

わたしの好きな映画に『20世紀少年』という作品があります。漫画原作でそちらも大好きです。この作品は「同級生もの」です。登場人物のほとんどは小学校時代の同級生です。

味方だけでなく、敵側の悪の親玉さえも、主人公ケンヂの「ともだち」だったりします。

「ともだち」はケンジがこどもの頃に書いた「よげんの書」を忠実に再現しようとします。「よげんの書」は悪が起こり、正義(ケンヂたち)が立ち上がる、という構成なので、最初に悪が起こらないとはじまりません。

だから「ともだい」はすすんで悪の側で「よげんの書」を実現していきます。それは人類滅亡にもかかわる大犯罪なのですが、このともだちの動機というのが「いじめられていて、ただ仲間に入れてもらいたかっただけ」という切実なものなのでした。そこがわたしにはとても共感できるのです。悪いことをしてやろうとか、自分がいい思いをしてやろうとか、そういう動機ではなく、ただ友達と遊びたかっただけ。そういう動機でした。だから彼は「ともだち」と名乗るのです。「悪の帝王」とかではなく「ともだち」と。

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「昭和はよかった」は思い出補正

『20世紀少年』という作品は、20世紀が舞台です。作者の浦沢直樹さんの少年時代が20世紀だったこともあるでしょうが、やはり「いじめ」などをめぐる環境が「現代」では描きにくかったことが大きいのだと思います。

現代は、パワハラなどで、上司や上官、知事などが失脚、辞職に追い込まれるような時代です。パワハラというのは一種の「いじめ」でしょう。現代は、いじめはいじめるやつがわるいという風潮になっています。のび太・ジャイアンでいえば、絶対的にジャイアンが悪いという風潮になりました。そして「ジャイアン的なものは許さない」「糾弾する」という時代になっています。20世紀は「いじめられるやつにはいじめられるだけの理由がある」「いじめられるほど弱いのが悪い。強くなれ」という言説がまかり通っていた時代でした。のび太にも悪いところがある、というわけです。

イロハ

あたしも半年ぐらい「しかと」されたことある。でも順番だもの。自分の番が終わった時には、今度はみんなの中心になっていじめられないようにしようと思ったよ

ハルト

すっかり廃れちゃったけど暴走族なんてのもさかんだったよね。暴走族も流行ならば、不良も流行、いじめだって流行するんだ。

イロハ

はっきりと自分の意見を言う人がいじめられる傾向があったわね

ハルト

はっきりと自分の意見を言う教育だって今はあるよ。日本的腹芸とかノンバーバルコミュニケーションは国際的に通用しないと、みんなもうわかったから、変わっていくだろうな。

 

 

イロハ

生き抜いていくのに一番重要なのはコミュ力(コミュニケーション能力)よね

ハルト

不良がブームで流行ったように、いじめというブームが去れば、そういうやつはいなくなる。社会全体にいじめや差別をゆるさない風潮があるから、確実に21世紀の少年は20世紀少年たちよりも、暮らしやすくなっているだろうね。

イロハ

手をつないで一緒にゴールする徒競走主役のシンデレラが何人もいる芝居なんていうのがあるらしいけどね

ハルト

やっぱり「昭和はよかった」と思うのは思い出補正なんだ。きっと時代はよくなっている。昔よりも確実に今のほうがいい時代なんだ。

 

 

イロハ

だけど『20世紀少年』が好きなのね

ハルト

ピンチとかトラブルのない物語なんて面白くないじゃん。傍観者として眺めることと、当事者になることは別だよ

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