先日、コンビニで飲食物を物色していたら、店内に松田聖子の『青い珊瑚礁』が流れていた。
同時期にたくさんいたであろうアイドル達の曲からスパーンと突き抜けて「ああ、この曲でスターになったんだな」「ひとりの少女が彼女以上の存在に変わったんだな」というのがよくわかる曲だ。
「どこの誰ともわからない」「その他大勢」の存在だった新人歌手が、この曲で「他の子に決定的に勝ったんだな」というのがよくわかる。
その伝説の名曲がコンビニ店内に流れていたのだが、他の客の何気ない会話が衝撃だった。
若いカップルが店内に入ってきた。店内に流れている『青い珊瑚礁』にじっと耳を傾けて、
女「ねえ。この曲知ってる?」
男「知らない。古っぽい曲だよね。知ってる曲?」
女「知らない。でもなんだかいい曲だね」
そんな会話を交わしたのだ。
お前ら『青い珊瑚礁』知らないのか!!
あまりの衝撃に私は打ちのめされた。
ああ。この世に永遠のものなんてないんだ。
わたしはそう思ったのである。
あれほど一世を風靡した『青い珊瑚礁』が、わずかな時間で消えていこうとしている。
ひとりの少女を大スターに変えたあの『青い珊瑚礁』が残らないのでは、どんな作品も後世に残ることはないだろう。
小説のようにこちらから近寄っていかないと体験できないメディアならば、まだわかる。
熱海の『貫一・お宮』の像も、『金色夜叉』を今の人が読むのは、文体の古さもあってかなり難しい。
河津七滝の『伊豆の踊子』像も同じだ。小説を実際に通読したことのある人がどれだけいるのか。滝を訪れる人の100人のうち10人もいないだろう。
しかし音楽はテレビや街角から勝手に耳に入ってくる。小説などよりはるかに体験しやすいメディアの筈だ。
その音楽でさえも忘れ去られてしまうのか、、、と、わたしはショックをうけたのだ。
永遠のものなんてないんだ。
コンビニで買い物をしながら、そんなことを思った。
哀しいけれど、しかたがない。それが世界なのだ。
だから今を生きる人たちが必死に創作できるのだ。
もしも過去のものが永遠ならば、どうして新しい創作が必要だろうか。
常に「今」なのだ。
わたしはそう思った。
そして過去の追憶にひたるような年齢になったのだなあ、と自分のことを顧みたのである。