コロナ禍があけて三年九カ月ぶりに海外旅行(フィリピン・マニラ)に行ってきました。
こちらがそのときの動画です。これから述べるネコやイヌ、鶏がたくさん登場しますので参考にご覧になってください。
インドなど「未開のアジア」はフィリピンと同じです。動物たちが街中で人間と一緒に暮らしているのがとても印象的でした。
鎖に繋がれ飼われているネコ。日本の猫は無愛想でかわいくない
まずはネコについて。私は日本のネコは無愛想でまったく可愛くないと思っています。ちょっと近づくと脱兎のごとく逃げちゃう。なんだよ、ちょっとは愛想を振りまけっていうの。
でも海外のねこは意外とかわいいなあと思います。近寄ってもまったく逃げないし、さわらせてくれます。人前で無防備に爆睡しています。日本の猫とはぜんぜん違います。
またネズミを退治するというネコ本来の仕事をちゃんとやっているなあ、と感じます。ちゃんと仕事をしているから人間と一緒に住むことを許されているというネコのプライドのようなものを感じました。「ここ(都市)にいていいんだ」とマニラのネコは自覚しています。それに対して人間に餌をもらってやっと生きている日本の地域猫なんてものは、申し訳なさそうに社会の片隅でこそこそと生きていくしかないのでしょう。卑屈でいやしい日本の猫にくらべて、マニラのネコは堂々としていてかわいかったです。
また海外のネコは意外と繋がれて飼われているいるネコがいます。日本だと「虐待だ」と騒がれそうな気がしますが。フィリピンの人はそんなこと気にもとめません。
フィリピンのネコちゃんたちは首輪に慣れているみたいでおとなしく飼われていました。「ネコは自由の生き物だから首輪に繋げない。嫌がる」と思いこんでいるのはどうやら日本猫しか知らない人の狭い見識、偏見のようです。
犬は繋がなきゃいけないのに、ネコは繋ぐと虐待だというのは、論理的に矛盾しています。海外に行くとそういうことに気づかされるのです。
犬の進化と同じで、このままの状況がずっと続くならば、人懐こくてかわいくて仕事をよくするのは海外のネコで、人になつかず無愛想で本来の仕事をしない日本猫は、将来的には需要がなくなるかもしれません。
繋がれて飼われている鶏。
そもそも庭で放し飼いにしていたからニワトリと呼ぶんだと思います。しかし今や日本では鶏舎でしか飼われていないイメージですよね鶏って。ヒモにつながれたニワトリはそれは不自由でしょうが、身動きできない鶏舎のブロイラー鶏にくらべたらはるかにましな暮らしをしています。
しかしマニラではけっこうな数の文字通りのニワトリを見かけました。しかも路上で飼われているニワトリがけっこう多かった。繋がれているニワトリとそうでないニワトリがいました。たぶん特定の飼い主がいるんだと思います。
ニワトリのことを、朝告げ鳥、時告げ鳥などと言いますが、早朝、ニワトリの鳴き声で起こされました。マニラではまだ人間本来の暮らしをしているんですねえ。
アジアあるある。放し飼いの犬。
この鎖でつながれていない犬は「アジアあるある」です。私はバリ島で早朝ジョギング中、あまりにも多くの繋がれていない犬に吠えかけられるので走るのを中断したことがあります。またトルコのカッパドキアでは牧羊犬に噛み殺されそうになりました。
犬と人間が命がけで真剣勝負したらどっちが強いか。抑止力とはどういうものか解説します。
日本犬は番犬として育成されてきたので凶暴で見知らぬ人には吠え掛かる個体が多いのですが、フィリピンの犬たちはおとなしく路上で一度も吠えられませんでした。その姿はまるで町の通行人のようでした。見知らぬ通行人が自分の近くを歩くことに慣れていて、逃げることも怯えることもありません。インドだと通行人のような牛がいるんですけどね(笑)。
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路上の一角で昼寝しているのは毛並みのいいオッサンではありません。ワンコです。人間と一緒に暮らしています。最近の日本では「犬は室内で飼わないと虐待」という風潮さえありますが、そういう人たちにはマニラの犬をぜひ視察してもらいたいと思います。「犬は室内で飼わないと虐待」というのも確実に狭い見識、偏見です。古来、人間はずっとイヌと一緒に暮らしてきましたが、犬はずっと屋外で飼われていたのです。
ペットは家族だ、というのも偏見でしょう。自分がそう思うのは勝手ですが、他人にまでその偏見を押しつけるのは問題があります。
長い年月、犬は人間のパートナーではありましたが、あくまでも使役動物、警報装置であり、家の中で買うものではなく、家族ではありませんでした。
そういう人間本来の古来のすがたをマニラで見てきた気がします。日本人の偏見にまみれた動物観が浮き彫りになったマニラ旅行でした。