マッサージを必要とする人体は不良品なのではないか?
ふと考えた。人間にはどうしてマッサージが効くのだろうか?
マッサージはリンパ管などが詰まっていて体液を流してやることにより疲労回復などに効果があるということになっている。
だったらそもそもなんでリンパ管は詰まるのだろうか。自力で体液は循環しないのだろうか?
そもそもリンパ管が詰まる時点で人間の身体は不良品なんじゃないか?
不良品じゃないとすれば、詰まるには詰まるだけの免疫上の必然性があってそれを無理やり流してしまうことは逆効果なんじゃないだろうか。
しかしそこまで理詰めで考えても、私はタイに行けば必ずマッサージをしてもらう。なぜなら気持ちがいいからです。
ううむ。なぜマッサージをしてもらうと気持ちがいいのだろうか? 人間にはなんでマッサージが必要なんだろうか?
人体の設計ミス。外からの刺激がないと当初設計を成し遂げられない
タイでは毎日のようにマッサージ店に通う私ですが、国内ではほぼマッサージ店に行くことはありません。そのかわりフォームローラーというコロコロに乗って自分でセルフマッサージをしています。
フォームローラーでお腹をコロコロ往復すると便秘が解消されます。旅先では指先でお腹を揉むことで代用しています。便通というのも、寝たきり、動かずではうまく作用しないみたいです。お通じには歩くような運動が必要だし、雨などで外を歩けないならお腹を揉むと効果があります。
しかしこれもよく考えてみると、マッサージと同じで外からの刺激がないと自分だけでは当初の(お通じという)設計が成し遂げられないという、人体の設計ミスなのではないだろうか?
マッサージというのは、毛づくろいの名残かな?
なんでマッサージは気持ちがいいのかな? 気持ちがいいってことは、それが必要ってことだろう。
たとえば人間が性欲を感じるのは、それがないと種が途絶えてしまうからです。それと同様にマッサージがサバーイなのは、種の生存に有利な何かがあるからだろう。それはつまり体が健康になって長生きに有利というような効果があるからマッサージを気持ちいいと感じるに違いない。
あるいはマッサージというのは毛づくろいの名残りなのかもしれない。
毛づくろいというのは、清潔や健康効果のほかに、個体間のコミュニケーションの手段である。種族の中でコミュニケーションがさかんであれば、いざというときに仲間が助けてくれるし、種の保存には有利に働いたことだろう。
もしも毛づくろいを好む種が、生存競争の中で生き残れる確率が高いとすれば、毛づくろいを気持ちいいと感じる種こそが生き残ってきたに違いない。だから我々はマッサージを気持ちいいと感じるのだろうか。
マッサージは毛づくろいコミュニケーションの名残りか?
もしそうだとすれば、マッサージは健康とはあまり関係がないということになる。
ただたんに他者との毛づくろいコミュニケーションを心地よいと感じているだけなのだ。
その証拠になるかわからないが、うちの妻などはマッサージによってよく体調を崩す。いわゆる揉み返しによって疲労困憊してしまうのだ。マッサージによって筋肉のすじが切れて、その回復に体力を使うのだ。
彼女などはマッサージが必ずしも健康にいいとは限らないといういい見本だろう。
マッサージは毛づくろいの名残りかもしれない。