ドラクエ的な人生

運命に導かれる生き方をしよう。失意の場所で、今まで以上の幸せを探すことが運命を生きること

運命に導かれる生き方とは、挫折した時に、力まかせに元の場所に戻ろうとするのではなく、失意のその場所から新しい道を選んで旅立つことです。

逆境にあらがって元の道に戻ろうとするのではなく、その道をそのまま進んで、そこでしか見つけられない新しい何かを見つけることです。

失意の場所で、今まで以上の幸せを探すことが運命を生きることです。

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運命に導かれる生き方とは、失意の場所で、今まで以上の幸せを探すこと

私のこれまでの人生の中で、運命に導かれてここにいるのかな、と思った瞬間がいくつかあります。みなさんにはそういうことがありましたか。そしてそれはどのような瞬間だったでしょうか?

たとえばこのブログ『ドラクエ的な人生』は、走ることと放浪の旅をみなさんにお勧めするサイトですが、元を正せば、どちらも『挫折』が出発点でした。

挫折という本来は望んでいない状況・事態の中で見つけたものが、今、私の人生に欠かせない二本の柱になっています。そしてそこに私は運命を感じています。

運命に導かれる生き方とは、挫折した時に、力まかせに元の場所に戻ろうとするのではなく、失意のその場所から新しい道を選び旅立つことです。

逆風に流されて、別の道に迷い込んだら、逆境にあらがって元の道に戻ろうとするのではなく、その道をそのまま進んで、そこでしか見つけられない新しい何かを見つけることです。

失意の場所で、今まで以上の幸せを探すことが運命を生きることになります。

前提条件を変えて生きるのです。

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失意の場所でこれまでにはなかった何かを見つけること。それが運命を生きる生き方

失意の場所でこれまでにはなかった何かを見つけること。失意の場所で、新しい何かを掴み、幸せを感じること、それが運命を生きるということです。

力づくで元の場所に戻る人もいます。そういう人は「運命なんてものはない。人生は自分の力で切り開いていくものだ」そう言うタイプの人です。

しかし「これが私の運命だった。天命に従う」というタイプもいます。私のいう「運命に導かれる生き方」をしている人です。

私は失意の場所から新しい旅に出るタイプでした。そして失意の場所にこそ自分の生きがいがありました。

神様が「お前はこうしなさい」と言っているのに、か弱い人間が強引に元のルートに戻ったところで、祝福を受けた人生を歩めるのか、はなはだ疑問に思います。

だいたい、ひとりの人間が力づくで勝ち取れる運命なんて、たかが知れています。

人生というものは想像もつかないものです。戦争に巻き込まれたり、災害に遭ったり、愛する人を失ったり。自分の意思だけではどうにもならないものです。

そこで人生に失敗したと思うか、そこでこれまでとは違う全く新しい自分を再生して、違う何かを掴み取るか。

転んでもただでは起きぬ精神が、運命を生きることになるのです。転んだ場所で何かを見つけたとき、ここに導かれていたのかと思う瞬間が来るのです。

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人生、そんなに悪くない

このブログは、放浪のすすめ。旅へと人をいざなうものです。

タイトル『ドラクエ的な人生』とは、名作ゲーム『ドラゴンクエスト』から名づけました。

ドラクエって旅じゃありませんでしたか?

知らない町をさまよって、人と話して、世界の果てまでフィールドを旅して、ピンチになって、すべての力を振り絞ってピンチを切り抜けて、何かをつかんで、故郷に帰還する。そしてまた次の旅に出る。。。

放浪の旅も同じです。人生も同じです。

人は夢に生きられる。旅立った先に素晴らしいものがある。そんな願いをこめて『ドラクエ的な人生』と命名しました。

挫折を恐れて踏みとどまるのではなく、挫折さえも運命になると信じて、勇気をもって新しい世界に踏み出していくこと。それが運命に導かれる生き方だと思っています。

全力で走ればいい。走れなくなったら、立ち止まって、その場所でまた新しい何かを探せばいい。

このブログはそのようにして生まれました。今では私の生きがいのひとつになっています。

失意の場所でも命を燃やして、新しい何かを見つけ、満足を得ること。人生が前よりもよくなっていくこと。すると運命に導かれていると思える瞬間が必ず来ます。

人生、そんなに悪くないものです。

【肉体宣言】走るために生まれた
生きる歓びとか命の実感というものは自然と湧いて出てくるものではありません。この世界の中で肉体を思う存分に動かしてはじめて感じられるものなのです。
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