ドラクエ的な人生

カメラを止めるな!

どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか?

世の中、世知辛いことがたくさんあって、疲れますよね。はああ~(ため息)。

そういうときは、みんなで笑うといいです。一人で笑うのではなく、みんなで笑うといい。

劇場でお笑いライブなんか見るのもいいですけれど、劇場で見る映画も最高ですね。

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市民ランナーの劇場映画

今日、ご紹介するのは映画『カメラを止めるな』です。この映画はネタバレ厳禁ということになっていますので、私もその線で書くつもりですが「どこまでをネタバレとするか」は人によって感覚が違います。私と違う感覚の人からすれば、もうすでにネタバレになっているかもしれません(笑)。

ですので、ネタバレを怒るような性質の方は、この場でこの稿を読むのを止めて、ただちに映画館へ直行してください。この映画は「テレビで見ればいいや。そのうちやるでしょう」とは思わないでください。この映画はテレビ放映しない可能性があります。

というのはこの映画は商業映画の正規ルート(企画から撮影、上映まで)を辿ってきた映画ではないからです。ENBUゼミナールという俳優・映画監督を目指す方のための養成スクールが、シネマプロジェクトとして制作した映画だということです。学校の成果発表作品、いわば卒業論文ぐらいのところで制作された自主映画に近いものだと思います。

都内2館で上映がスタートしたものの、話題を呼び、いまでは全国200館近くで上映されているそうです。制作費300万円ながら、興行収入は10億円を突破するだろうと報じられています。

自費出版の本が講談社や新潮社の文庫にならないように、将来、テレビ放映されたりDVD発売されたりはしないかもしれません。つまり、今、劇場で見なければ、もう金輪際見られないかもしれません。ですから、ただちに劇場まで見に行ってください。

私がこの映画に興味を持ったのは、その作品の由来「市民ランナー」感です。この作品は、マラソンに例えるならば、市民ランナーが走りに走って、とうとうオリンピッククラスの選手と並走するまでになったようなものです。こういう作品が面白くないはずがありません。

草の根から出て、勝ちに勝って上がってきたのです。出世すごろく豊臣秀吉みたいなものです。

さて、言いましたよ。以下は興味のある方のみお読みください。ネタバレしないように書くつもりですが、ネタバレのラインは人によって違うので。。。

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ノンフィクション、フィクション、虚実ないまぜ

ノンフィクションという分野があります。これは嘘、偽りのない真実の姿を記録するという分野になります。いわゆる「歴史もの」も基本的にはノンフィクションの一部といってもいいでしょう。源平の合戦で平家が勝つわけにはいきませんし、「西郷どん」は西南戦争で必ず死ぬはずです。

また、私小説という分野があります。作者の経験や感じたことをそのまま書く日記・心境文学です。作者の個性が受ければ、日記でも売れます。作者に深みがあれば、日記も文学になります。ブログだって作者次第です。たとえば美女がボディービルダーの肉体に改造する過程を詳細な写真入りで日記風に綴るだけでも、ものすごいページビュー数を稼ぐのではないかと思います。キャラ立ちすれば日記だって物語を凌駕します。

それに対してH・G・ウェルズの『タイムマシン』『宇宙戦争』のような明白にフィクションなのだな、と承知したうえで楽しむ創作もあります。『銀河英雄伝説』みたいな作品を実話と思って読む読者はいないでしょ? 『ワンピース』のような世界的な作品はフィクションです。悪魔の実は実在しますけど。

ノンフィクションとフィクションがあるとすれば、その中間的なものはないのでしょうか?

もちろんあります。

司馬遼太郎『竜馬がゆく』は坂本龍馬をあえて竜馬と表記することで「本人なんだけど別人」扱いとして、作者の想像による行動、言動を虚実ないまぜで縦横に駆使しています。

『巨人の星』は、現実の長嶋茂雄や王貞治といっしょに架空の星飛雄馬が活躍するストーリーでした。

ダ・ヴィンチ・コード』では現実の絵画『最後の晩餐』を引き合いにヨハネはマグダラのマリアだとしてイエスには妻子がいたことになっています。もはやどこまでが本当のことで、どこからが創作なのか見分けがつきません。すくなくともヨハネがマリアだというところまでは真実だという気がします。

創作としての優劣は別として、難易度でいえばあきらかに私小説・日記風の方が簡単です。生きている自分や身の回りの世界に愛があればあるほど、作品は私小説化してきます。

素人のブロガーが日記風なのはまず「簡単だから」です。そして「自分の身の回りの世界を愛しているから」。

新人の小説家の主人公が「作家志望者」だったりしたら、これはほぼ私小説だと思って間違いありません。身の回りのことは簡単に書ける反面、面白みに欠けることもあります。

完全創作は圧倒的なエネルギーが必要です。『機動戦士ガンダム』の世界観を個人で考えるのは桁違いに大変なことです。ジオン公国の正義から、ニュータイプまで考えてたら、畢生の大作になるでしょう。特別な人だけができることです。

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これ以上は読まないでください(注意! ネタバレあり)

映画『カメラを止めるな』で最初に「あれ」と思ったのは、作中の監督が「おれの映画だ!」と主演男優に叫ぶところです。例のあの作品を私は思いだしました。

いちおうゾンビ映画だということになっています。うまい売りだし方だと思います。そういう触れ込みにしておかないと、後半のオチが面白くありません。星新一のショートショートみたいなものですから。オチがすべてといっても過言ではありません。

映画を観終わった後には「ゾンビ映画じゃないでしょ、これ」ということになっているはずです。

虚構を現実のように受け止めるのが通常の作品ですが、「いやこれ虚構だし」とばらして現実に引き戻してしまう、このような作品をメタフィクションと言ったりします。

これまで見てきたものは実は劇中劇でした、というのがメタフィクションです。

結局、私が『カメラを止めるな』作品冒頭に「あれ」と例のあの作品を想像したのはどんぴしゃりでした。おそらく偶然ではなく、上田慎一郎監督の意識的な例のあの作品へのオマージュなのだと思います。

新人の映画監督が主人公を「映画監督」にしたら、これはほぼ私小説だと思って間違いないでしょう。身の回りのことは簡単に描ける反面、面白みに欠けることもあります。そういう意味ではまだ自主映画臭が抜けないのですが、上田監督はそこを逆手にとって成功しています。

私小説からメタフィクションへと進化したわけです。

また『カメラを止めるな』は、現在パクリ疑惑の渦中にあるといいます。

「前半で劇中劇を見せて、後半でその舞台裏を見せて回収する、という構成」が同じだということで、作品のインスピレーションを受けたという舞台の代表の方が、著作権の侵害だとして訴訟の準備をされているとか。

この劇団の主宰者だった方は、作品完成直後には自分の「無になりそうだった作品」がこのような形で命を新たに吹き込まれたことを率直に喜んでいたようなのですが、『カメラを止めるな』が売れに売れ、上田監督が高く評価されるほど「作品が別の人の手で生き延びた」だけでは満足できなくなってしまったようです。

魂を吹き込んだ作品が、生き延びたことだけを素直によろこんだ」気持ちもクリエーターとして真実だったと思いますが、人間、「もっと、もっと」となって初心を忘れてしまいがちですよね。その気持ちはわかる気がします。作品が「そこそこ」の評価だったら、訴訟なんてことにはならなかったんでしょうが。

しかしありとあらゆる作品は過去の作品の上に成り立っています。『銀河鉄道999』が『銀河鉄道の夜』がなかったら存在しなかったかもしれないように。

例のあの作品がなかったら、両作品とも存在しなかったかもしれないのです。

例のあの作品というのは映画『蒲田行進曲』のことです。THE・メタフィクション。

「あがってこい。ヤス。あがってこい」

池田屋の階段は、スターダムの階段のメタファーでしょう。

人間の心は複雑ですなあ。次はこの「人の心の綾」を核のネタに映画化したらいかがでしょうか。上田監督!

まあ、とにもかくにも、みんなで笑いたいなら映画館に行きましょう。私は後ろの席の女性が大爆笑しているのにつられて笑ってしまいました。

「映画を見てこんなに笑う人も世の中にはいるんだなあ」

身近な人の生態しか知らないから、そういうことに驚いたりするのです。いろんな人がいますよねえ。

たまには、みんなで笑うのもいいものです。
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