奥田英朗の伊良部先生のイメージは『がきデカ』のこまわりくん
『町長選挙』は直木賞を受賞した奥田英朗さんの太った精神科医、伊良部先生シリーズの傑作です。この伊良部先生、私はいつも『がきデカ』のこまわりくんを連想しながら読んでしまうのですが、他にもそんな人っていますか?
伊良部先生シリーズには傑作が多いのですが、なかでも最高の傑作はこれから紹介する『町長選挙』ではないでしょうか。なんなら映画化してもいいのでは? と思います。いつの日か本当にそうなるかもしれません。
『町長選挙』の内容、あらすじ、魅力、書評
対立する両陣営から、支持者になれと迫れられている。
予算があるものを使わんバカがおるか。地方の大半は案外こんなものなのかもしれない。
派閥はどこにでもあるものだが、一切交じり合うことがない。職場に子供のガキ大将グループが二つある感じだった。
はやい話しが土建屋同士、公共工事の奪い合いよ。
選挙で町長の交代があるたびに、あらゆる主従関係が逆転するらしい。その報復合戦は果てることがない。
いいも悪いもこれが伝統じゃからしょうがない。
戦争は勝つか負けるかじゃ。決戦は島民の総意なのだ。
→東京島に出向した若い主人公(良平)が語り部です。若い公務員は島での町長選挙に巻き込まれます。この町長選挙が激しすぎて唖然とします。町長が交代したら報復人事はあたりまえ。ありとあらゆる利権が勝った側にもたらされます。汚職はあたりまえでした。良平は東京島にカルチャーショックを受けます。
票のとりまとめをやってくれ。
敵となったら容赦はせん。八木先生が当選した暁には、おまんには絶対に冷や飯をくわす。
普通ならエールの交換をするのがマナーである。この千寿島では罵り合いだ。比喩ではなく、戦争なのだ。
公務員がなぜ勤務時間中に選挙運動をとは思わなかった。もう慣れたのだ。
「伊良部先生はお金を渡されたら受け取ります?」「当たり前じゃん」
出向なんでしょ? あと一年と三か月です。それで人間関係に悩むわけ? めでたい人だなあ。何をしてもあと一年と少しでアカの他人じゃん。ぼくならモヒカン刈りで役場に通うね。
この島の勢力争いはいくらなんでもひどい。でもさ、全員が汚れてるんだから何を言っても無駄なのよ。狐を選ぶか狸を選ぶかの選挙なわけ。
課長職でも現場に出されるのが報復人事の恐ろしいところである。
カバンから封筒を取り出した。うわっ。良平は心の中で唸った。
→買収工作もあからさまでした。この汚職選挙がどう浄化されていくのかが本書のカタルシス部分になります。
町長選挙は島を挙げての喧嘩祭りなのか。
全員が応戦していた。良平が初めて見る生の乱闘だった。みんな元気一杯だった。溌剌としていた。そうか。町長選挙は島を挙げての喧嘩祭りなのか。
あのな。どっちも同じなら実現はせん。うちだけ、という公約から先に着手するのが政治家じゃ。同じなら永久に後回しなんじゃ。
→私は『町長選挙』を読みながら、どうしてもアメリカの共和党と民主党の二大政党制を想起せずにはいられませんでした。共和党、民主党も違う公約を掲げて選挙戦を戦っています。そして「うちだけ」という公約から着手するのでしょう。
無風選挙なら町長は何もせん。役場も楽をする。数票差でひっくり返る宿敵がおるから、死に物狂いで公共事業をひっぱってくるんじゃ。それが独自の公約じゃ。
わしらは全員、島を愛しとる。そのうえで戦うんじゃ。
じゃあ小倉派と八木派の棒倒し。
なぜか二人は強い視線をぶつけ合って対峙していた。わしはそれでもええけどな。
もしも棒倒しで決めるなんてことになったら、事実上の武力衝突ですよ。
ぼくは中立ですが、勝った方に投票することを約束します。そうしてくれ。わしはこの方法がいちばんええと思っとる。
東京で下宿を送る高校生や大学生が全員呼び戻されているのだそうだ。
シュンスケ、ええな。おまんが最後は旗を奪うんぞ。
選手たちがグラウンドに姿を現した。その途端、地鳴りのような拍手と歓声に包まれる。良平は圧倒された。まるでローリング・ストーンズのライブのような盛り上がりだ。肌がざわざわと粟だった。こんな話し、東京のみんなは信じてくれるだろうか……。
おまん、親父さんに恥ずかしくない仕事をやっとろうな。
どっちが勝とうとも、この島は大丈夫だと確信した。利害は対立しても、みんなが島を愛している。
両軍合わせて四百人の男たちが構えた。全員、顔を紅潮させている。男たちの姿がまぶしかった。観客が全員立ち上がる。良平はこぶしを握り締め、生唾を飲み込んだ。
号砲が鳴った。
→町長選挙は島を挙げての喧嘩祭り。その結末は棒倒しで決めるというまさに喧嘩祭りにふさわしい結末でした。本当に武力衝突することになったら、賄賂の汚職は姿を消したのです。さて小倉派と八木派とどちらが勝ったのか? それは本書の読んでお確かめください。余韻嫋嫋、最高のエンディングだったと思います。
共和党と民主党。アメリカ大統領選挙の報復人事
さて、奥田英朗『町長選挙』のようなことがアメリカの大統領選挙でも起こるのでしょうか?
お金のバラマキや脅しのことは知りませんが、報復人事は実際に行われているそうです。
たとえば共和党のトランプ大統領時代に任命された多くの政府高官は、民主党のバイデン大統領になったときに解任されて、バイデン派の人物が新たに任命されたそうです。
そういうことが実際にあるからアメリカ大統領選挙は奥田英朗『町長選挙』のように盛り上がるのかもしれませんね。
「どっちも同じなら実現はせん。うちだけ、という公約から先に着手するのが政治家じゃ。同じなら永久に後回しなんじゃ」
アメリカの政治がダイナミックに動くのも、共和党と民主党が拮抗しているおかげかもしれません。そんなことを考えさせられました。
『町長選挙』は私的ベスト10に入れるか迷ったほどの名作です。ぜひ読んでみてください。
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(本文より)知りたかった文学の正体がわかった!
かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。
しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。
世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。
すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。
『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。
その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。
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