ドラクエ的な人生

始めから学ぶのだけが歴史じゃない。『逆説の日本史』(井沢元彦著)

どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか?

たまたま手に取った『逆説の日本史』(井沢元彦著)という本を読んでいます。おそろしく面白いので、紹介しようと思います。

タイトル通り、日本史を書いたものですので、歴史の流れに沿って古い時代から読んでいく(1巻から読んでいく)というのが本来の読み方なのでしょうが、ハルトがまず最初に読んだのは

20.西郷隆盛と薩英戦争の謎

21.高杉晋作と維新回天の謎

です。歴史から言えば途中からですが、この読み方でいいと思っています

日本史のことはだいたい知っていますから(そんなに詳しくありませんが)、途中から読んでも特に問題はありません。

むしろ歴史ものを古い時代から順に読むことの弊害は、縄文土器とか卑弥呼とか『今を生きる自分』との関わりを全然見いだせないまま興味を失い、途中で放り投げてしまう危険性があることです

高校時代の日本史の授業がそうでした。1年間で現代まで歴史を学ばなければいけないのに、(年度当初で時間があるので)古代のことはやたらと詳しく、(時間がないので)太平洋戦争はすっ飛ばすという。。。歴史は現代に近づくほど、今を生きる自分との関係が見つけやすいから面白いはずなのですが、これでは一番美味しいところを最後に食べようと取っておいたら、マズいところでお腹がいっぱいになっちゃったというようなものです。

歴史本を古い順に学ぶと、あたかも英単語をABCから覚えるように、Aから始まる単語ばかり詳しく(古い時代ばかり詳しく)、Zから始まる単語は全然知らない(近代史はつまびらかでない)ということになりかねません。「試験に出る順」に覚えなければ。

薩長同盟あたりからは、近代史(とくに決定的な太平洋戦争)に密接に結びついてくるのですが、そのこともしっかりと書き込まれています。なぜゆえ大日本帝国陸軍が大戦争を引き起こしたのか、歴史の上から解説されています。

もっともだ、と私は思いましたが、たとえこれがウソでも面白いです。つまりサスペンスものとしても読めるのです。

たとえば豊臣秀吉について書いた本があるとして、あなたならどちらの本を読みたいですか?

①秀吉は幼名を日吉丸といって、尾張中村に生まれた。現在の名古屋市である。生家は貧しい最下層の農民であった。

②秀吉は右手の指が六本あった。フロイスや前田利家の古文書に明記されており、歴史上の事実なのだが、現在、このことに触れた一般の歴史書はほとんどないのは何故だろうか?

私ならば絶対に②の本を読みたいですね。

「秀吉の右手の指が六本ってナポレオンか! そんなこと聞いたこともない」

これが作家の技量というものです。

作者の井沢元彦さんは江戸川乱歩賞を受賞した推理作家であり、推理小説の手法で日本の歴史を推理しています。

作家と言うのは作品冒頭で「この本は面白いんだよ。最後まで読む価値がある本なんだよ」と印象付けなければ商売あがったりです。

歴史書ですから嘘はいけませんが、「面白さ」これがすべてなのではありませんか。

面白くなかったら、ページの途中で捨てられてしまったら、たとえどんなに資料を検証した歴史本であっても、作家である自分が書く意味がない。

そんな覚悟がこの「逆説シリーズ」からは伝わってきます。

とにかく面白過ぎます。ページを繰る手がとまらないというのは久しぶりです。

こういう本が読みたかったのです。

なぜこれを面白いと感じたのか? われらが歴史に求めるものは何なのか?

歴史とは年表を覚えるようなものであっては意味がないと思っています。

人間が生き、限りある命の中で決断した結果の個人のデータベースこそが歴史なのではないでしょうか。

物語として面白くなければ歴史じゃない

モバイルバージョンを終了