芋づる式読書法
私は『私的世界十大小説』という著書があるぐらい、結構な読書家だと思います。しかし基本的にはライトノベルや、推理サスペンスもの、現代作家の書いたものは読みません。歴史の洗礼を経てきた世界文学が読書のベースです。
世界文学偏重の読書傾向をもっているのですが、ときどき現代小説などを読むことがあります。中島らも『ガダラの豚』もそのひとつ。世界文学の書評を読んでいる中で、自分と同じ感性を持っていそうな人が激賞している本がある場合にのみ現代小説でも読む場合があります。こういうのを芋づる式読書法といいます。ある名作文学を読んだ人がおすすめしている本を読み、その本をおすすめしている人が薦めている別の本をまた読んで……と続けていく読書法ですね。
読書家であることが重要なのではなく、なにを読むかが重要なのです。
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『ギルガメッシュ叙事詩』にも描かれなかった、人類最古の問いに対する本当の答え
(本文より)「エンキドゥが死ぬなら、自分もいずれ死ぬのだ」
ギルガメッシュは「死を超えた永遠の命」を探し求めて旅立ちますが、結局、それを見つけることはできませんでした。
「人間は死ぬように作られている」
そんなあたりまえのことを悟って、ギルガメッシュは帰ってくるのです。
しかし私の読書の旅で見つけた答えは、ギルガメッシュとはすこし違うものでした。
なぜ人は死ななければならないのか?
その答えは、個よりも種を優先させるように遺伝子にプログラムされている、というものでした。
子供のために犠牲になる母親の愛のようなものが、なぜ人(私)は死ななければならないのかの答えでした。
エウレーカ! とうとう見つけた。そんな気がしました。わたしはずっと答えが知りたかったのです。
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ガダラの豚は、『TRICK』の元ネタか?
中島らもさんの『ガダラの豚』は『TRICK』のような作品です。呪術師などの手品のトリックを暴く元奇術師と、学者が登場し、アフリカの呪術師と対決するというストーリーです。
『TRICK』が2000年の作品であるのに対し、『ガダラの豚』は1996年の作品。『深夜特急』が『猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイク』の元ネタであるように、影響を与えた可能性は十分にありそうです。
それほど両者は似通っています。『TRICK』好きな人は『ガダラの豚』を面白く読めるでしょう。
『ガダラの豚』はオカルト本に分類していい
呪術というものを、迷信だと退けるのではなく、プラシーボ効果などを援用して、呪術は本当にきくものだという理論が展開されます。宇宙飛行士が打ち上げ前に胸で十字を切ることと、アフリカの部族が呪術を信じることは本質的に同じことだ、と。
多くの場合、不幸は知ることによってもたらされる。だから心優しい神は、人間のほとんどを馬鹿者に造られたのだ。
→主人公の学者は呪術を否定しきれないのでした。阿部寛さん(上田教授)的にアホだから否定できないのではなく。
そんなにして人を呪う動機は何なんですか? 一種の、負の平等主義だね。牛を三頭しか持たない者は、十頭持っている者に対して平等になろうとする。つまりは、ねたみが考え方のベースにあるんだよ。光と影でできているのさ、人間は。
→呪術師は医者であり、裁判所のような役目をこなしています。罪びとに罰をあたえ、恨みを晴らしているのでした。
蟻に象のことがわかるかね? 知らないからああして地を這っていけるのだ。神の掟だよ。人は人であるように。それ以上望まんようにという掟だ。誰だって真理は知りたい。しかしそれは神だけのものなのだ。あるいは真理そのものが神なのかもしれん。掟は我々小さきものに与えられた神の温情なのだ。その掟を守り、運行するのが我々呪術師の役目だ。
→呪術師は自分の役割を確信しています。日本のテレビ局は視聴率主義でアフリカ呪術の特番を組みますが、その中で凄惨な殺人事件が起きてしまうのでした。
オチはなし。スプラッターでホラーな展開
ところが『ガダラの豚』の場合、敵のカリスマの呪術は最後まで「手品のトリックに過ぎない」ということにはなりません。そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない。そしてその不思議なパワーの全容が手品にすぎないと暴かれることもなく、凄惨な殺人事件が起こってしまいます。
ラストは呪術か、毒か、ドラッグかに精神を壊された人たちが殺人を犯して、たくさんの人が死にます。主人公家族だけが生き残る、というギリギリのハッピーエンド路線ですが、スプラッターであり、ホラーな作品だと言ってもいいでしょう。
ホラーに理屈はありません。ゾンビがどうして動くのか、説明を求める人はいないでしょう。本書はエンターテイメントであり、読んで賢くなろうとしてはいけません。アフリカ呪術に詳しくなりたい、とか、人の心をよく知る人になりたい、とか向上心を持って読書してはいけないのです。
「ガダラの豚」というタイトルは、新約聖書のエピソードに由来しています。イエスが悪霊に取り憑かれた男から悪霊を追い出し、その悪霊を豚に入らせ、豚は悪霊ごと水没するという』はましです。「復讐するは我にあり」みたいなタイトルのつけ方ですね。
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『ギルガメッシュ叙事詩』にも描かれなかった、人類最古の問いに対する本当の答え
(本文より)「エンキドゥが死ぬなら、自分もいずれ死ぬのだ」
ギルガメッシュは「死を超えた永遠の命」を探し求めて旅立ちますが、結局、それを見つけることはできませんでした。
「人間は死ぬように作られている」
そんなあたりまえのことを悟って、ギルガメッシュは帰ってくるのです。
しかし私の読書の旅で見つけた答えは、ギルガメッシュとはすこし違うものでした。
なぜ人は死ななければならないのか?
その答えは、個よりも種を優先させるように遺伝子にプログラムされている、というものでした。
子供のために犠牲になる母親の愛のようなものが、なぜ人(私)は死ななければならないのかの答えでした。
エウレーカ! とうとう見つけた。そんな気がしました。わたしはずっと答えが知りたかったのです。
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