ドラクエ的な人生

ガダラの豚(中島らも)の魅力、あらすじ、評価、感想

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芋づる式読書法

私は『私的世界十大小説』という著書があるぐらい、結構な読書家だと思います。しかし基本的にはライトノベルや、推理サスペンスもの、現代作家の書いたものは読みません。歴史の洗礼を経てきた世界文学が読書のベースです。

世界文学偏重の読書傾向をもっているのですが、ときどき現代小説などを読むことがあります。中島らも『ガダラの豚』もそのひとつ。世界文学の書評を読んでいる中で、自分と同じ感性を持っていそうな人が激賞している本がある場合にのみ現代小説でも読む場合があります。こういうのを芋づる式読書法といいます。ある名作文学を読んだ人がおすすめしている本を読み、その本をおすすめしている人が薦めている別の本をまた読んで……と続けていく読書法ですね。

読書家であることが重要なのではなく、なにを読むかが重要なのです。

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(本文より)知りたかった文学の正体がわかった!

かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。

しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。

世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。

すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。

『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。

その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。

Bitly

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ガダラの豚は、『TRICK』の元ネタか?

私の好きなテレビドラマに『TRICK』という作品があります。奇術師の仲間由紀恵さんと学者の阿部寛さんが、奇跡を見せて人を信者にするインチキなカリスマの、手品を暴いてウソを明るみにするという作品。なによりも監督の堤幸彦さんが大好き。

中島らもさんの『ガダラの豚』は『TRICK』のような作品です。呪術師などの手品のトリックを暴く元奇術師と、学者が登場し、アフリカの呪術師と対決するというストーリーです。

『TRICK』が2000年の作品であるのに対し、『ガダラの豚』は1996年の作品。『深夜特急』が『猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイク』の元ネタであるように、影響を与えた可能性は十分にありそうです。

それほど両者は似通っています。『TRICK』好きな人は『ガダラの豚』を面白く読めるでしょう。

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『ガダラの豚』はオカルト本に分類していい

『ガダラの豚』を面白く読めるもう一つのタイプは、オカルト好きな人です。本書は「オカルト系」と分類していいと思います。『TRICK』が日本の新興宗教を相手にするのに対して、『ガダラの豚』はアフリカの呪術師を相手にしています。

呪術というものを、迷信だと退けるのではなく、プラシーボ効果などを援用して、呪術は本当にきくものだという理論が展開されます。宇宙飛行士が打ち上げ前に胸で十字を切ることと、アフリカの部族が呪術を信じることは本質的に同じことだ、と。

多くの場合、不幸は知ることによってもたらされる。だから心優しい神は、人間のほとんどを馬鹿者に造られたのだ。

→主人公の学者は呪術を否定しきれないのでした。阿部寛さん(上田教授)的にアホだから否定できないのではなく。

そんなにして人を呪う動機は何なんですか? 一種の、負の平等主義だね。牛を三頭しか持たない者は、十頭持っている者に対して平等になろうとする。つまりは、ねたみが考え方のベースにあるんだよ。光と影でできているのさ、人間は。

→呪術師は医者であり、裁判所のような役目をこなしています。罪びとに罰をあたえ、恨みを晴らしているのでした。

蟻に象のことがわかるかね? 知らないからああして地を這っていけるのだ。神の掟だよ。人は人であるように。それ以上望まんようにという掟だ。誰だって真理は知りたい。しかしそれは神だけのものなのだ。あるいは真理そのものが神なのかもしれん。掟は我々小さきものに与えられた神の温情なのだ。その掟を守り、運行するのが我々呪術師の役目だ。

→呪術師は自分の役割を確信しています。日本のテレビ局は視聴率主義でアフリカ呪術の特番を組みますが、その中で凄惨な殺人事件が起きてしまうのでした。

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オチはなし。スプラッターでホラーな展開

『TRICK』だったら、カリスマの奇跡のみわざは実は手品のトリックだったということがわかって、敵の権威は失墜します。私たちが普通に信じているものが勝つ展開なので、安心して見ることができます。

ところが『ガダラの豚』の場合、敵のカリスマの呪術は最後まで「手品のトリックに過ぎない」ということにはなりません。そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない。そしてその不思議なパワーの全容が手品にすぎないと暴かれることもなく、凄惨な殺人事件が起こってしまいます。

ラストは呪術か、毒か、ドラッグかに精神を壊された人たちが殺人を犯して、たくさんの人が死にます。主人公家族だけが生き残る、というギリギリのハッピーエンド路線ですが、スプラッターであり、ホラーな作品だと言ってもいいでしょう。

ホラーに理屈はありません。ゾンビがどうして動くのか、説明を求める人はいないでしょう。本書はエンターテイメントであり、読んで賢くなろうとしてはいけません。アフリカ呪術に詳しくなりたい、とか、人の心をよく知る人になりたい、とか向上心を持って読書してはいけないのです。

「ガダラの豚」というタイトルは、新約聖書のエピソードに由来しています。イエスが悪霊に取り憑かれた男から悪霊を追い出し、その悪霊を豚に入らせ、豚は悪霊ごと水没するという』はましです。「復讐するは我にあり」みたいなタイトルのつけ方ですね。

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(本文より)知りたかった文学の正体がわかった!

かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。

しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。

世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。

すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。

『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。

その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。

Bitly

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