ドラクエ的な人生

少女マンガの元祖。シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』の内容、魅力、あらすじ、書評、感想

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後年の少女マンガ、女性向け恋愛小説、韓流ドラマの元祖といってもいいような作品

ここではブロンテ姉妹の、お姉ちゃんの方の名作『ジェーン・エア』の内容、魅力、あらすじ、書評、感想を書いています。1847年刊行。まさにヴィクトリア朝時代の作品です。

後年の少女マンガ、女性向け恋愛小説、韓流ドラマの元祖といってもいいような作品でした。

ちょっと暗めで芯の強い孤児が主人公です。孤児というところは『赤毛のアン』と似ていますが、性格は違いますね。『赤毛のアン』のグリーンゲイブルズや「嵐が丘」もそうですが、個人の邸宅に象徴的な「二つ名」がついているのが特徴的です。これは少女趣味なのでしょうか。

貴族のお城ならともかく、個人の邸宅にそんな御大層な名前をふつう付けます? 日本人にはない感覚だと思います。ちなみに「ジェーン・エア」の邸宅はソーンフィールドといいます。ロマンが搔き立てられますね。

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『ジェーン・エア』の内容、魅力、あらすじ、書評、感想

孤児の少女ジェーンが伯父さんの家でいびられながら成長し、養護院を経て、家庭教師として謎の家で働くようになるというのが前半のストーリーです。

その館の主人ロチェスターとジェーンは恋におちるのですが、恋の相手はイケメン王子様ではありません。年の離れた、いかつい感じの、野獣タイプの変わった人です。ジェーンも不美人設定で、それが革新的に新しかったそうです。ロチェスターは身分の高い金持ちですが、影を背負っています。

ロチェスターはジェーンの芯の強さ、知性に惚れた模様です。これはシャーロット・ブロンテが容姿のみで女を選ぶ男性たちに対してノーをつきつけているのでしょう。

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何の理由もなしにわたしたちが打たれた時は、思い切り打ち返さなくてはいけないわ。

わたしは、なぜいつもいじめられてばかりいなければならないのだろう。なぜ、いつもおどしつけられ、叱言を言われつづけねばならないのだろう。なぜわたしは、みんなの気に入らないのだろう。いくら一生懸命気に入られようとつとめても誰もちっともかわいがってくれないのはいったいなぜなのだろう。

家じゅうのものがみんなで寄ってたかって非難を加える。

不合理だ! 不公平だ!

→ でました! 少女マンガおきまりの「不幸な境遇(孤児)」「いじめられ設定」です。

リード氏(母の兄)の亡霊が、わたしの眼前に現れるかもしれない。

→ 亡霊といえば『嵐が丘』ですが、ジェーン・エアにも亡霊的なシーンがいくつか登場します。

〈ローウッド学院〉

もし正しくない人に、いつも親切に言うとおりに従っていたら、その人たちはしたい放題のことをするわ。何の理由もなしにわたしたちが打たれた時は、思い切り打ち返さなくてはいけないわ。私たちを殴った人が決して二度とそんなことはしまいと悟るほど、それぐらいしっかり打ち返してやらなくてはいけないと思うわ。わたしがどんなに気にいろうと努めても、あくまで私を嫌い続ける人なら、こちらからも嫌ってやらなければならない。不当にわたしを罰する者には手向かわなければならない。

→この女の気の強さは、刊行当時、衝撃をもって受け止められたそうです。現代の核抑止力理論に通じるものがありますね。

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このブログの筆者の著作『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』

戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての感想と提言。

『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか?
●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか?
●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。
●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか?
●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。

ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすることが、人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。それに反する行動は人類全体に否決される。いつかそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。

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夫人の厳しい仕打ちを、それによって引き起こされた、あなたのはげしい、たかぶった気持ちと一緒に忘れてしまうようにつとめたら、あなたはもっと幸福になれるんじゃないかしら。人に怨みを抱いたり、まちがった仕打ちをいつまでも忘れずに過ごすにしてはこの人生はあまりに短すぎるように思えるのよ。わたしたちはみんな欠点の重荷をしょってこの世に生きているし、生きていなければならないのだわ。

わたしは眠っており、ヘレンは——死んでいた。

→友達と一緒にベッドで眠っていたら、翌朝、友だちは冷たくなっていた、という衝撃シーンです。

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束縛が、表情を押さえつけ、声をしずめさせ、手足を拘束している。

〈ロチェスター邸・ソーンフィールド〉

わたしが生まれつきふしだらでなかったように、あなたも生まれつきはきっと厳格ではなかったのです。ローウッドの束縛が、表情を押さえつけ、声をしずめさせ、手足を拘束している。人の前であまり陽気に笑ったり、自由に話したり、活発に動いたりすることを怖れている。しかしそのうちわたしに対して自然な態度がとれるようになると思います。

あなたは嫉妬を感じたことなどないのでしょうね、エア先生。

訊くまでもありませんね。恋をしたことがないのだから。

目を閉じ、耳を覆って、漂っていけば、流れの底近くそそり立つ巌も見えず、岩すそにたぎる白波の音も聞こえない。だが、お聞きなさい。あなたはいつか岩だらけの海峡の水路にさしかかる。そこでは人生のどんな流れも、渦巻きや荒れ狂う怒涛の中へ、飛沫や騒音の中へ、砕け散ってしまうだろう。

→ これは恋愛の暗示でしょう。『ジェーン・エア』を少女マンガの元祖だと指摘した通り、本書のメインテーマは恋愛と結婚です。恋愛狂騒を荒れ狂う怒涛に例えるあたり、さすがですね。

ロチェスターの顔はわたしが何よりも見たいものとなってしまったのだ。部屋の中に彼がいるということは、どんなに温かい火にもまして、喜ばしいことであった。

美は、見つめるものの目の中にある。主人の顔立ちは原則的には美しくはなかった。けれどもわたしにとっては、はるかに美しさ以上のものであり、完全にわたしを支配してしまうような興味と作用に満ちていた。

彼らの階級はすべてこのような主義を奉じているのだ。

→ でました! 「身分違いの愛」。これも少女マンガ、韓流ドラマの定番ではないでしょうか。このように「ジェーン・エア」は王道を行くのです。

もしわたしが彼のような紳士であったならば、自分が愛することのできるような女でなければ、娶りはしないであろう。しかし私のまったく知らない反対意見があるのに違いない。さもなければ世の中の人はすべて私が欲するところと同じ行動をとるに決まっているからだ。

→ そうですよね。世の中には「なんでこんな行動するのかわからない」という人がたくさんいます。その人たちの考え方を私たちは理解することができません。みんな同じ考えだったらいいのに、どうしてこんなに世には意見と感じ方があるんだろう。

彼女は振り向いて、傲慢な態度でこちらを見た。その目は〈いま時分、この虫けらが、何の用があるんだろう?〉と言っているようであった。

横柄な表情や、冷ややかな態度、無関心な語調など、言葉や行為にあからさまな不躾なことをしてみせなくても、彼女の気持ちを遺憾なく表現しているのである。

→ 女同士のいやがらせ、いじめ行為です。少女マンガの王道ですね。

侮蔑はかつてわたしに対して振るっていた力をまったく失っていた。エリザが私の感情を害することも、ジョージアナがわたしをいらいらさせることもなかったのである。彼女たちが私の心に引き起こすよりもはるかに強い感情がわたしの内部に呼び起されていたのだ。彼女たちの力よりもはるかに鋭く激しい苦痛と喜び——だから二人の態度が良かろうと悪かろうと、わたしにはぜんぜん関係がないほどであった。

その石のような目を見て、彼女が最後までわたしを悪く思おうと決めていることを知った。わたしは苦痛を、そして怒りを感じた。そして彼女に打ち勝とう——彼女の性格や意思がどうあろうとも、こちらはその上手に出ようと決心した。

→ 少女マンガ特有の「心のたたかい」が展開されます。まだ少女マンガのなかった時代、女たちは『ジェーン・エア』に熱狂したんでしょうね。

遺骨が納骨堂に運ばれたその日から、あなたとわたしは、おたがい、まるで見も知らぬ人間みたいに離ればなれになるのです。わたしは、あなたを古い世界に残して、自分は新しい世界に行きます。

→ 仲たがいする姉妹が描かれています。ブロンテ姉妹は仲よかったのかな? 気になりますね。

かわいそうな女! いまはもう習慣になって身についている考え方を変えようと努力することは彼女にはすでに遅すぎた。生きている間、彼女はわたしを憎み続けてきた——そして死にのぞんでも、なおわたしを憎まなければならないのだ。

→ 少女時代の最大の敵、育ての母(虐待おばさん)との最後の対面シーンです。

このような形で死ぬことの恐ろしさに対して起こる暗い無常な失望感があるだけであった。わたしたちは誰も涙一滴こぼさなかった。

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結婚を決意した相手のロチェスターは妻帯者だった!

友だちの家でその小さなさすらいの足のつかれを休めなさい。

仲間の人たちから愛され、自分の出現が、その人たちの楽しみを増すと感ずることほど幸福なことはない。

わたしは未来に対し、きっぱりと目を閉じた。

われにもあらず涙が溢れ出た。けれども声を立てて泣きはしなかった。わたしは嗚咽を抑えていた。

わたしがあなたにとって何の意味もないものとなってもなおここにとどまっていられるとお考えなのですか? 私を感情も持たぬ機械だとお思いになるのですか? わたしが貧乏で、名もない身分で、不器量で、ちっぽけな女なので、魂もなければ愛情も持たないとお思いになるのですか?

私の受ける征服は、自分の手にする、どんな勝利よりも魅力があるのです。

怒った時のあなたは火の精のようになる。そうです。わたしはイングラム嬢に求婚するふりをしたのです。

その目は、わたしがその顔からも視線からも避けようとしていたのに、しつこくわたしの目を追い求めていたのであった。

ロチェスター氏には現在存命中の夫人があります。これまで雷鳴に震えたことのないわたしの神経だが、この低い声で言われた言葉にはわなわなとふるえた。いまだ霜にも火にも感じたことのないような名状しがたい激しい痛みをわたしの血は感じた。

→ 結婚しようと思ったロチェスターは妻帯者でした。「ジェーン・エア」はイギリスの作品ですが、イギリス国教会の信徒ではないのですね。1534年成立したイギリス国教会なら離婚できるんですが。「神が結び付けたものを、人が引き離してはならない」というやつでしょう。ロチェスターの妻はまともじゃない女性(気ちがい)だったのですが、離婚もできず、閉じ込めて生活の保護、介護だけをしていたのです。

ジェーン。あなたにとって大事だったのはわたしの地位とわたしの妻としての身分だけだったのですか? 夫になる資格がないと、それでわたしがさわるのをいやがるのだね?

→ 結婚できないことを悟ったジェーンはロチェスターの元を去ります。ひとつのシーンが終わり、別のシーンとなります。

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主人公ツバサは小劇団の役者です。

「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」

恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。

「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな

アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。

「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」

ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。

「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」

惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。

「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ

劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。

「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も

ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。

「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」

ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。

「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」

「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」

尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。

妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ

そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。

「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」

そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。

「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」

そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。

「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って

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少女マンガの王道を行く展開。

ジェーンは牧師セント・ジョンとその妹、ダイアナとメアリーにホームレス状態のところをひろわれて同居することになります。やがてその三人は従兄弟であることが判明します。そして親族から遺産を相続してお金持ちになるのでした。

→ 出自の謎が明らかになっていくという、これも少女マンガ特有の展開ではないかと思います。

いまはぎりぎりのところまで追いつめられていた。窮乏と面と向かっている。手段もなく、友もなければ、お金もない。

→ 貧乏暮らしも少女マンガの王道のひとつです。

わたしは自分をはねつけた人たちをとがめだてはしない。それは当然予期されたことではあり、助けてもらえるはずもないと、わたしは感じていたのだ。彼女の方が正当なのだ。

家を持たぬ窮乏の恐ろしさを、もういちどあじわうことは、わたしにはもう耐えられません。

結婚して一年もたたぬうちに、わたしは気づく。十二カ月の恍惚感の後には、おそらく終生後悔が続くだろう。

→「ジェーン・エア」は女性の作品らしく「恋愛」そして「結婚」が大きなテーマとなっています。三角関係もテーマになっています。

あなた方三人はわたしの従兄弟ということになるのですね。わたしたちは、お互いに血の半分は、同じ源から流れ出ているのですね?

思わず口をすべらしてしまったものらしい。なぜならそう言った途端に彼女はその逃げ出した言葉を呼び戻したいようなそぶりを見せたからである。

彼を喜ばせようとすれば、自分の性質を半分押さえつけ、自分の才能を半分押し殺し、自分の趣味を本来の性質から捻じ曲げなければならぬ。それは私の緑色の目を、海のように青い荘厳な光を帯びた彼の目の色に染め直すことができないのと同じように不可能なことであった。

あなたは勤労のために形づくられたのであり、恋愛のためにつくられたのではない。

わたしは露骨に挨拶まで抜きにされ、涙ぐむほど心を傷つけられた。

わたしはいつも、もったいぶるよりも、楽しそうにしている方が好きなのだ。

もし結婚したら、あなたはわたしを殺してしまいます。

あなたと和解しようとしても無駄でした。わたしはあなたを永久に敵にしてしまったことを知りました。

人間を便利な道具としてしか認めない男の人と一生つながれているのは、不自然ではないでしょうか? 私の生涯はいいようのないみじめなものになります。

あの方は小さな人間どもの愛情や要求をすっかり忘れておしまいになります。

ああ、このやさしさ! 力などより、なんと、はるかに効果的なことであろう!

→ 結婚を巡る三角関係とは、高潔だが非人間的なキリスト教伝道師を選ぶか、野蛮で愛情ゆたかな人を選ぶか? というジェーンの葛藤にあります。尊敬できる仕事のできるタイプを選ぶか。自分を情熱的に愛してくれる野人を選ぶか? はい。少女マンガフアンのみなさんならもう答えはおわかりですよね? 理知的なインテリは負け、衝動のままの子供のようなわんぱくが選ばれるのはヴィクトリア時代から決まっているのでした。

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ラストは『冬のソナタ』盲目まで登場するサービスっぷり。元祖は偉大だ

旦那様はまるっきり目が見えないのです。まったくの盲目なのですよ、あのエドワード様が。

→ でました、盲目! 韓流ドラマ展開の元祖か? このシーンで私は『冬のソナタ』の最終回を思い出しました。

ジェーンの声は、わたしのしぼんだ声を明るくし、わたしの心に命を吹き込む。

わたしのような盲目の不具者に身を捧げることを許してはくれないだろう。

生きている限りわたしはあなたを置き去りにはいたしませんわ。

彼とともにいると、うっとうしい遠慮もなく、浮き立つ気持ちを抑制するものもなかった。彼という存在の中にこそ、わたしは生き、わたしの中にこそ彼は生きるのだ。

あの強かった人の無力さが痛いほどわたしの胸をうった。鳥の王者である鷲が止まり木につながれて、一羽の雀に向かって餌を恵んでくれるようにと哀願しているようにも思われた。

万一、運命がわたしの身体をあなたから引き離す時が来ても、心だけはいつまでもあなたのおそばに残っています。

シャーロット・ブロンテは現代日本に生まれていたら、作家ではなく少女漫画家になっていたんじゃないかな、と思います。それほど『ジェーン・エア』は少女マンガに欠くべからざる要素が詰め込まれた元祖のような作品でした。

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(本文より)知りたかった文学の正体がわかった!

かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。

しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。

世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。

すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。

『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。

その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。

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