ラクロ『危険な関係』とは? 悪もんのヴァルモンとメルトイユの関係と姦計
ここでは一度は読んでみたいと昔から思っていたラクロ『危険な関係』の内容、あらすじ、魅力、評価を語っています。
『危険な関係』はすべて手紙で構成されています。読者はそれぞれ手紙筆者の立場に立って物語を追いかけなければなりません。
本書が描こうとしたのは「悪」だとボードレールをはじめ様々な人から書評されています。本当にそうでしょうか。それを見ていきましょう。
私はただ「人の真心・純情ではなく大人の策略によって大きく変わる男女関係」を描こうとしただけなのではないかと思います。その結果として悪を描くことになった。悪は結果であって目的ではありません。
ちなみに「危険な関係」というのは狭義には「男女の肉体関係」を意味します。肉体関係を持つことによって、ツールヴェル法院長夫人は悲憤の死にいたりますし、セシルは修道院に入ることになります。
悪もんのヴァルモンの死もとどのつまりはメルトイユ夫人と肉体関係を持っていたことが原因です。メルトイユとヴァルモンは元々肉体関係があったがゆえに、裏切りと怒りを感じ、復讐の対象になりました。刺し殺すダンスニーもまたメルトイユと肉体関係があるのでしょう。だから恋人の姦計に操られてしまったのです。肉体関係がなければ陰謀にはかからなかったはずです。
「危険な関係」とは、広義には「人の関係性の中(社会)で生き抜くことは、理性なんか頼りにならず、ひじょうに危険だ」という意味でしょう。そのことは作品のラストにラクロのオチ、結論として描かれています。
ラクロ『危険な関係』の内容、あらすじ、魅力、感想
妨げられた欲望はどこまでも人を引きずっていく。
女性が身を守る力に弱いということはわれわれ男性にとってなんたる幸運でしょう。
恋の絶望ほど面白いものはありませんわ。
ご婦人がたというものは、ひとたび権力を手にするとそれを乱用せずにはおかないものです。
あれほど思い切った失礼なことを言われれば、どんな男だって命をかけて返報するでしょう。
→ 『危険な関係』は「悪を描いたものだ」という人がいるのは、はじめから誘惑という姦計からはじまるからです。悪もんのヴァルモンは、快楽主義者。女性は獲物という人物です。行動家です。それに対して真の主人公とされるメルトイユは、安楽椅子探偵のように動きません。手紙のみで人を動かします。
官能の悦びがえられてはじめて、恋の目隠しがはずれるものだ。
あの人の心臓は恐怖のためではなく恋のために高鳴ったのだ。
この女の悔恨の対象となり、悔恨の征服者となることは、なんという楽しさであろう。
われわれが幸福と呼んでいるものは、快楽というのが精いっぱいのところです。
恋とは医術と同じく単に自然力を助ける術である。
自分から身をまかすようにさせるためには、まず最初に女を手に入れる、というのがほんとうのやり方です。
どんな神に祈ろうというのでしょう。恋に打ち克つほどの力を持つ神さまがあるでしょうか。
あの人とゆっくり視線を交わすことができるのは、その機会だけだった。
つれないふりをしてみたいのが、あの奥方のお好み。
善人にも弱点があるように悪人にも美徳はあるのでございます。しかしそのために善人も悪人もひとしなみに扱うとすれば……あの人自身が危険な関係の当の相手になるわけではありませんでしょうが。
手紙をくれることを承知したとなれば、あの人はすでに夫をだます必要に迫られているわけだ。
私を中傷したのは、ヴォランジュ夫人。私が立ち去らねばならぬ憂き目にあうのも、あの女の意見、あの女の毒のある忠告によるものなのです。
老婦人方を怒らせてはいけない。若いものの評判をつくりあげているのは老人たちなのですから。
平穏を必要とする心を乱すようなことはおやめになってください。夫たった一人に私のすべての義務と快楽とは捧げられております。
→ 最初は冷たく誘いを断るツールヴェルがどのようにヴァルモンに身を任すか。それが本書の見どころのひとつです。
数え切れぬ難破船の残骸に覆われた海原の中に、どうして漕ぎ出すことなどできましょう。私は岸辺にとどまります。
あなたが完全な支配力をおふるいになれる男に何を怖れるのでしょう。思いのままに導くことができる感情のことで何を怖れるのでしょう。あなたも愛してごらんなさい。そうすればあなたの恐怖は消え去るでしょう。
セシルとダンスニーとのあいだには危険な関係があるように思えると打ち明けてやりました。
ダンスニーの手紙のメッセンジャーになり、求めている手紙を渡さないようにし、部屋の鍵を要求した。接吻を求めた。声をあげようとしたが、手紙のことや鍵のことなどの弱みがあった。セシルは精一杯の抵抗をせず、いやだというが口だけで、屈服し、同意した。お互いに満足を得て、翌日の逢引まで打ち合わせて別れた。
つまらぬ快楽の償いとして、長い長い不幸があたえられる。
あなたをまるで自分の一番愛している女みたいに扱うなんて。
恋の苦しみだけを大切になさって、恋の楽しみはお嫌なのね。
あの方から何の便りもない。私はこの上もない不幸におそわれるのではございますまいか。お手紙をいただけないのが、どんなにか私には悲しい。手紙がある時は、私のことを考えていてくださる。
必ずや今までよりももっと有名となり、あなたにふさわしい男となっていることでしょう。一晩にして愛する恋人の手から娘を奪い取り、使いたいだけ使ってやり、商売女にだって要求できないようなことをやすやすとやらせたというのに、それがなんでもないことのようにおっしゃる。
浮気がすんでしまえば、そっと恋人の腕の中に返してやるつもり。
美徳で尊敬される夫人が、私の言葉ひとつ眼差しひとつを求めているのに、この私は彼女を棄ててやるのです。彼女の生涯が長かろうと短かろうと、この私ひとりがそれを開きそれを閉じてやったのだ。この私の仕事を見てくれたまえ。この世に二度とこんな例があるものか探してみたまえ。
→ 悪です。
私の計画は、この私がどんな男よりもすぐれた男であるという考えを一生あの娘に持たせることにあった。
この私に抵抗できるなどと思いあがっていたあの女も、とうとう陥落してしまいました。そうです、私のものになったのです。もう彼女には、これ以上私にあたえるものはなにもないというわけです。
気を失っているうちに身をまかせていた。
→ ツールヴェル夫人とは表面上は不同意のまま、先に肉体関係を結んでしまいます。
私の生命があなたさまのご幸福に役立つのでない限り、もう私は生きてはまいれません。私はそのためにすべてを捧げます。
→ すると心境がこう変わるんですね。
「女は寝てはじめて男に惚れる」と言った私の友人がいましたが、深い言葉ですね。ラクロも同意するでしょう。
別れた後でも彼女の姿が頭を離れず、それから気をそらすためには、よくよくの努力が必要だった。
女を誘惑することと女を破滅に陥れることとはほとんど同じことだと考えているのです。
→ 悪もんが、自分が楽しいだけならいいのですが、相手の女性を破滅させてしまうのでした。
この色事に高い値打ちをつけてはいても、他の色事に手を出さないと決まったわけではなく、もっと楽しいもののためには、これを犠牲にだってすることにもなりましょう。
異国を見れば見ただけに、いっそう私はおのが祖国を愛したのだ。
→ 私の著書『帰国子女が語る第二の故郷 愛憎の韓国ソウル』にこの言葉を引用して使わせていただきました。
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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。
【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え
韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。
「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。
帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。
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人は何にでも倦きるものです。それは私のせいではありません。あなたを犠牲にしたとしても、誓いにそむいたとしても、それは私のせいではありません。私が他の女を選んだように、あなたも他の恋人をお選びください。ではさようなら。これが世間というものです。それは私のせいではありません。
初恋の相手を裏切ることこそ、すばらしい傑作なのです。
→ 傷によって人の心に残ろうというのは未熟な考えだと思います。愛によって人の心に残らなければ本当の意味で残ることはないのだと知ることが、人間の成長なのです。
虚栄心は幸福の敵だといった賢人がおりますけれど、ほんとですわね。
どっちつかずはお断りですよ。やんわりと拒絶しようとしてお追従などで私をお騙しにならないこと。いささかでもご異議があれば、こちらとしてはそれを事実上の宣戦布告とみなします。
委細承知、開戦を宣します。
摘み取ることを忘れているとせっかく育てた果実を失うおそれもある。どんなりっぱな勝利でもちょっとした不機嫌や嫉妬からくる疑いなどで簡単に挫折してしまうことがよくある。
きびしくしたってなんの得るところがありはしません。益がないばかりか、快楽さえも失うことになるわけですからね。
あなたのお姿を見たばかりに平和を失ってしまいました。私のあやまちの原因であるあなたに、なんでそのあやまちを罰する権利などがございましょう。
ヴァルモンはダンスニーと決闘し命を落とす。メルトイユのたくらみ。
→ 相手の名誉を気遣って死ぬところはまるでカサノヴァの回想録のようでした。しかし同じ女ハンターでも、カサノヴァと悪もん(ヴァルモン)はフェミニンぶりがぜんぜん違います。
ジャコモ・カサノバ『回想録』世界一モテる男に学ぶ男の生き方、人生の楽しみ方
長所、美点、これらすべてがただの一度の気のゆるみで失われてしまったのでございます。
→ ラクロはツールヴェルなどの転落を通じてこのことを描きたかったのではないでしょうか。
利害は一致しており、私の有罪はヴァルモンの有罪です。事件を闇に葬る努力に対して、ご反対どころかむしろご援助をこそ期待し得るものと考えるのでございます。
娘の幸福は修道院の中以外にはない。希望するような童貞志願はゆるさない。童貞志願者の制服を着る。
『危険な関係』のラストにメルトイユ侯爵夫人の手紙が収録されていない理由
メルトイユが座ろうとすると、今までそこにいた婦人たちはみんな言い合したように席を立ちましたので、あの人は完全にひとりだけ残されてしまったのでございます。みんなの怒りをはっきりと示したこの動作は殿方たちの喝采を受け、ざわめきは喚声にまで高まった。
→ 『危険な関係』ではラストにメルトイユ夫人が完全に転落するのですが、彼女の手紙がないのが残念でした。プライドの高い姦計の婦人が、周囲に目の仇にされ、財産を失い破産し、病気で片目と美貌を失い「心が顔に出ている」と嘲笑されるメルトイユ夫人の心境告白こそ読みたかったのに。しかしそこは書かず読者の想像にまかせてこそ後世に残る文学たりえたのかもしれませんね。書いてしまうとどうしてもそれ一本に導線が張られてしまいますからね。作品の持つ可能性、ひろがりが失われてしまいます。
若い身空ながらすでに多くの嘆きを知りました浮世と離れる修道の誓いをその地にいって喜んで立てる。
ただ一度の危険な関係が、どんな不幸を引き起こすことか。
こうした反省は事件が起こってみなければ出てこない。理性は不幸を警告してくれることも、慰めてくれることもできない。
→ これが『危険な関係』のオチ、結論であり、ラクロがもっともいいたかったことです。本書を「悪を描いている」と論評する人が多いのですが「悪を描きたかった」わけではないと私は思います。結果として「悪を描くことになった」というのが本当のところではないでしょうか。
ほんとうにただ悪を描きたかったのなら、もっとどぎつい素材もあったでしょうし、なにも最後に勧善懲悪風にメルトイユを破滅させなくてもよかったはずです。悪が勝ち誇って高笑いを残したってよかったはずですから。