パソコンとスマホでファイルを同期しようとMicrosoft OneDriveに接続する
私の仕事も最終章を迎えています。6冊の著作の最終推敲を終えました。そしていよいよ海外大放浪の準備を本格的にはじめようと考えていました。海外大放浪の際、問題となるのは国内での諸手続です。たとえば確定申告だとか、あるいは航空券の手配などを渡航先でやらなければならなくなるかもしれません。その際、必要となるのがサイトのパスワードです。
私はそれらすべてのログインパスワードをパソコンに保存しています。デスクトップに自分のドキュメントを保存していました。それらのファイルが海外でも見られたら、たとえばネット銀行の口座振り込みだとか、投資信託の売買を自分のスマホで行うことができます。今のままではパスワードが手元にないために何もできません。
そこで切っていたmicrosoftのonedriveにひさしぶりにログインすることにしました。パスワードファイルをパソコンとスマホで共有できれば、海外からのデジタル手続きが可能になると考えたからです。
デスクトップのマイドキュメントが、あっという間に消えた
Microsoft OneDriveは数年前に使ってみたことがありました。しかし自分には必要ないと感じてオフラインにしていました。昔のログインパスワードを調べて、ひさしぶりにログインしました。すると……。
なんとあっという間にデスクトップのマイドキュメントが消えてしまったのです。私は唖然としました。よく映画などで目の前のファイルが悪意あるコンピューターウィルスにあっという間に書き換えられる描写がありますが、あんな感じでした。ほとんど何も入っていない空のOneDriveの内容が、情報満載のマイドキュメントと同期して置き換えられてしまったのです。心の準備が出来ていなかったので呆然としました。
唖然。こんなことってあります?
主語の違いは、なにを大事に思うのか、の違い
ものごとには主語があります。何と何を同期するのか。主語となるのはどっちなのか? これは何を大切に思うのか、という心の問題でもあります。
私たちローカルユーザーは、手元のファイルが大事なので、そちらが主語だとふつうは考えます。しかしマイクロソフトはクラウドで儲けを狙っていますので、クラウドストレージが主語なのでした。わたしは手元のファイル(主語)をクラウドに同期したいと思いましたが、逆にクラウドのファイル(マイクロソフトの主語)が手元のファイルに同期して消えてしまったというわけです。そんな馬鹿な。
今から考えてみれば、同期するときに「ファイルが大きすぎて入りきらないので消去していいですか?」という内容のメッセージが表示されたと思います。しかし私は消えるのはonedriveの過去ファイルだと思っていますので、これまで一切使っていなかったものに未練はなく、YESを選択しました。
その結果、消えてしまったのがローカルのマイドキュメントです。消えたファイルはローカルのゴミ箱にもなく、onedriveのゴミ箱にもなく、完全に消えてしまったのでした。
痛恨の一撃。AIに「最悪のケース」だと言われる。
デスクトップのマイドキュメントが消えて、私は頭を抱えて絶望に落ち込みました。ここ最近の仕事の成果である最新ファイルが消えてしまったのです。
その後、なんとか気を取り直して、すぐにいろいろ調べて、何とかファイルの復旧を試みました。ChatGPTに詳しく事情を説明して対処法を聞きましたが、私のケースは「最悪のケース」だそうです。AIに最悪のケースだと言われて更に落ち込みました。
た、立ち直れん……
ファイル復旧ソフトもインストールして試しました。……しかし結局、さっき消えたばかりのファイルを復元することはできませんでした。ファイルそのものは上書きもされず、ハードディスクの中のどこかに残っているはずなのですが、それを取り出すことがどうしてもできないのです。調べたところ、ハードディスクではなく、ソリッドステートドライブの場合、消去ファイルの復旧は難しいとのことでした。
また、ファイルの履歴があれば、昨日の状態に戻すこともできるらしいのですが、そのような履歴はとっていません。まさしく「痛恨の一撃」のダメージをモロにくらったのでした。
うおおお……。マジか!
ワンドライブはマルウェア。ローカルファイルを消してしまうなんて、ありえる処置なのだろうか?
なんの同情もない目線からいえば、ユーザーのミスということになるのでしょう。仕事などでは多人数が使って最新版と同期するのがクラウドのメリットなのだから、最新ファイルがクラウドにあるのは当然だと考えることもできます。
しかし勝手にローカルファイルを消してしまうなんてことがありえるのでしょうか? ほとんどマルウェアの所業ではないかと思います。コンピューターウィルスがやるような状況が目の前で展開されたのです。マイクロソフトワンドライブはマルウェアか?
〈せめてクラウドの最新データのほかに、自分のローカルファイルは消さずに残してくれればいいのに〉と何度マイクロソフトを怨んだか知れません。
しかしネットというのは本当に恐ろしいです。本当に大切にしてきたファイルが同期という名の外部操作によってあっという間に消えてしまいました。ネットバンキングやネット証券などのデータも同じことではないでしょうか? 相互信頼の上で、向こう様がちゃんとやってくれるからこそ資産は無事ですが、向こうがその気になったらデジタル上の数字なんてあっというまに消えてしまいます。
昨日に戻れたら! 願えどもかなわず
せめて昨日に戻れたら!(ファイルの状態が)
たとえば愛する人を事故で無くしてしまったような人は、このように思うことでしょう。私も、何度も同じことを思いました。しかし現実世界がそうであるように、パソコン世界も一瞬前にすら戻ることはかなわないのでした。
私はできませんでしたが、参考までに、ファイルの履歴をとっている人は、過去に戻ることが可能だそうです。これはファイルを昨日に戻すことができる魔法です。私はさっそくこの機能をオンにしました。人は昨日に戻ることはできませんが、ファイルの状態はバックアップ次第で昨日に戻ることが可能です。
マイドキュメントなどのファイルはバックアップがなによりも大事。そんなパソコン初期の常識を今更ながらに、onedriveというマルウェアの痛恨の一撃で思い知らされた気がします。
マイクロソフトよ。ここ数か月の仕事の成果品を返せ! (涙目)
どれほど嘆いたところで、去ってしまった恋人が戻ってこないように、失ったファイルは戻ってきません。状況を変えることができない以上、この痛恨の一撃のショックから立ち直るためには、考え方を変えなければなりません。それには自分が失ったものを自覚することです。ところで私はどれほどのものを失ってしまったのでしょうか?
私が失ったのは、最新の原稿のファイルです。それはここ二か月の仕事のすべてでした。しかし手元の原稿は失いましたが、ガチの本当の原稿はアマゾン・キンドル書籍にアップロード済であるために、考え方次第では、何も失っていないと言えなくもありません。もちろん手元の最新原稿を失ってしまったため、内容の更新は難しくなりますが、じつは最新原稿はキンドルで人目にさらされる形で残っているのです。
今回の喪失の大きさは、手元の原稿をどれだけ重く見積もるか、わたしの考え方次第だといえそうです。そもそも死ぬときに自分のパソコンの中に自作小説や随筆の最新原稿を残しておいたとしても、それにどんな意味があるでしょうか? 書かれた原稿は読まれてこそ意味があり、読まれるためにはパブリックにオープンになっている必要があります。つまりキンドル書籍として出版済であることで、もう最新原稿の役割は終えていると言えなくもありません。
手元の最新原稿は、自己満足という意味においてのみ価値があるものです。それは漫画家の手書き原稿のようなものです。印刷された成果品が残っているかぎり、手書き原稿がなくなっても、それほど大きな損失とは言えません。夏目漱石や芥川龍之介の手書き原稿がなくなっても、書籍が残っているかぎり、日本文学の損失ではありません。
デジタル遺品にどう対処するか? その脳内シミュレーションができた
デジタル遺品という言葉がありますが、自分のパソコンの中のファイルは、どれほど大事にしてきたものでも、けっきょく死ぬ前にはぜんぶ消去するのではないかと私は思います。死ぬ前に自分のパソコンの中に最新原稿を残した姿を想像してみたのですが、それに意味があるとは思えませんでした。けっきょく、手元の原稿は自己満足においてのみ意味があるものです。手元のデジタルデータをいつまでも残しておいても仕方がありません。PC内のデータはどうせいつかは消えてなくなるものなのです。
やるだけやって終わらせたのです。そして出版しました。原稿の本当の役割である出版はすでに終わっています。私の手元には自分で発注した紙ベースの書籍があります。それを元にすれば、時間こそかかりますが、最新原稿を手元に取り戻すのは難しいことではありません。紙から書き写す作業をすればいいだけのことです。完全に何もかも失ってしまったわけではないのです。
愛されてナンボ。伝える人があってこそ作品は残るもの
今回、Microsoft OneDriveとの不用意な同期によって、デスクトップの最新ファイルを失ってしまった私です。痛恨の一撃! 当初の衝撃こそ大きいものでしたが、冷静に考えてみれば、何も失っていないともいえます。命を失ったわけでも、健康を失ったわけでも、資産を失ったわけでもありません。ただ最新原稿を失っただけで、それも復旧しようと思えば可能な状態です。おそらく半月ほどあれば、もとの最新原稿を取り戻せるでしょう。
それよりも考えさせられたことは、自分の死後も作品が残るか、ということでした。そのような視点に立つと、手元の原稿にはほとんど意味がないことが、失ってよくわかりました。私が魂を込めた作品は、現在はアマゾンキンドル図書の書棚にて、誰でも読もうと思えば読める場所に陳列されています。それが本当の意味での原稿だといえるでしょう。
しかしそのデジタル原稿の陳列もいつまで続くのでしょうか? それはアマゾン次第です。こうしているあいだにも続々と新書が発行されていますので、アマゾンが永久に書籍を陳列してくれるとは考えにくいでしょう。おそらく『出版後●●年以上経ったものは、月間売り上げ数●●冊以上のものを除き、すべて廃棄する』というようなときが来るに違いありません。それはデジタル書籍に限らず、紙の本だって同じことです。売れなければ絶版となり、再版されることもなく、それきり消えてゆくのです。
そう考えると、後世に残る書物というのは、伝える人があってこそということがよくわかります。愛されてナンボ。伝える人があってこそ作品は残るものなのです。
誰かが作品を愛して伝えてくれるから、残るのです。愛されない作品ならば、消えて当然。それが真実でしょう。この人生はそういうものなのです。
しかし私はこの真実は知りたくありませんでした。魂を込めた自分の作品が無に帰す未来のことなど。
知らぬが仏といいますが、知らずに済むほうがいいことがあるってことが、いろんな経験を経て私にもわかるようになりました。たとえばガンの告知については現在でも是々非々でしょう。自分が癌だという真実を知ったところで、元の健康体に戻れるわけではなく、ただただ元気を喪失してしまう人もいることでしょう。しかし知らなければ自分は健康体なのだという勘違いのままで、最期まで元気で行ける人もいると聞きます。
いつか消えてしまう未来を想像することで、より元気になる人なんていますか? 私はすこし元気を失いました。ほとんどの人はそうやって消えていくのです。とくにデジタル書籍のようなものがなかった時代の人は、死後に残る可能性すら感じることなく死んだことでしょう。私も彼らと同じで、あきらめが肝心です。手元の最新ファイルなんて自己満足に過ぎません。どれだけ稿を重ねたところで、どうせ満足できないものなのです。諦めが肝心です。
失ったファイルにこだわることは、過去にとらわれているのと同じ
はからずもマルウェア(Microsoft OneDrive)によって、自分が死ぬときのシミュレーションを強制的に行わされたような状態になってしまいました。最新ファイルが喪失した時の痛恨の一撃は、頭を抱えてうずくまるほどだったのですが、自分の思い込みが打ち砕かれただけで、たいした損失ではないと自分に言い聞かせることができました。この苦悩の正体がありもしない希望を抱いているせいだということがわかりました。
今を生きていないから苦しむのです。まだ私には命が残っています。失ってしまった過去(ファイル)のことで悔やんでいる暇はありません。どうせ人間、最期は何も持たずに死んでいくのです。その日までどれだけ人生を充実させることができたか、これからはそこにフォーカスして生きていきましょう。失ったファイルにこだわることは、過去にとらわれているのと同じことです。しょせんはローカルファイルなんて残りやしないのですから。

