ドラクエ的な人生

登山・遭難記録(群馬県妙義山)

YouTubeをやっています。『車泊でGO!!』というチャンネルです。

その中でいちばんコメントをいただいている動画のひとつが「登山・遭難記録(山梨県)」という動画です。

山梨県の毛無山という富士山がよく見える山に登ったのですが、どういうわけが帰り道の標識看板を見逃してしまい、同伴者とはぐれ、パニックに陥ったという動画です。

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ひじょうに評判の悪い動画

閲覧数は多いのですが、けっして人気のある動画というわけではなく、ひじょうに評判の悪い動画です。残念……。

その理由の一つに「動画が期待にこたえていない」ということがあると思います。

おそらく視聴者は、滑落して脚を折って呻き苦しんでいる、とか、ホワイトアウトで帰れず雪洞の中で夜を明かす、とか、岸壁に死体が宙ぶらりん、とか、救助ヘリに吊り上げられる、といった自分では体験できないようなセンセーショナルな動画を見たいと思っているだろうからです。

それが他人の動画を見るという意味であり、ありきたりの出来事ならば他人の動画を見るよりも自分で体験した方が100倍楽しいに決まっています。

自分が体験したくてもできないようなものを見たい。そういう期待には残念ながら応えられないので、他の人の動画を探してみてください、というしかありません。

もうひとつは「遭難じゃないじゃないか。ただ道に迷っているだけだろう」という声です。これに対しては「道迷い遭難という言葉がある以上、道迷いは遭難である」というコラムに自分の意見をまとめています。こちらをご覧ください。

登山における遭難の定義とは?

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遭難救助の現場は「道迷い救助」がいっぱい

『岳』という山岳救助をテーマにした漫画があります。私は穂高山荘で『岳』を読んで涙がとまりませんでした。ほとんど穂高が舞台のマンガなので、事故現場がすぐそこだったので。

その漫画の中にも、道に迷って正しく帰ることができない人たちを主人公の救助ボランティア三歩や、長野県警山岳救助隊が助けるというシーンがたくさん登場します。

未読の方は、ぜひ一度読んでみてください。

実際の救助現場ではこのマンガにも見られる通り「道に迷って正常に帰ることができなくなった人」をレスキューすることが多いというのが実情だそうです。「道迷いは遭難じゃないから救助には行きません」と彼らが言ったら、彼らの存在意義を問われてしまうでしょう。

このように「帰りたいのに正しく帰れない状態」のことを遭難と呼んでいいと私は思っています。道迷いだって帰りたいのに正しく帰れないのならば遭難です。

もうひとつ。私が道迷い遭難した状況を「YouTubeのアクセス数を稼ぐための芝居」をしていると見える人がいるようです。そういう人たちには「正しくものごとを見極める目をもってください」としか言いようがありません。

車中泊の旅の途中で行ったあまりにも山をなめた「行きずり登山」「ながら登山」だったために、あの余裕で遭難するはずないじゃないか、と見えるのかもしれません。

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群馬県妙義山。ガチ遭難体験記

ところで私は毛無山の「道迷い遭難」とは別に、群馬県妙義山で本当に遭難したことがあります。動画は残っていませんが、その時の状況をここに記しておきます。

まだ登山初心者だった頃の話しです。それにも関わらず、妙義山の登山は、一般道とは別の「上級者ルート」を登りました。

今だったらカラビナロープなどもっと装備を整えていくと思いますが、初心者だったのでそういう知恵もありませんでした。

なにより山を知らなかったのです。

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カラー印刷したルートマップがにじんで溶けて読めなくなった!

どうして私が登った岩壁を降りたかったかというと、ルートを見失っていたからでした。

その日は小雨が降っていました。それが岩壁の鉄鎖を濡らし、よけいに登攀を難しくしていた一因だったのですが、その雨によってカラー印刷したルートマップがにじんで読めなくなってしまったのです。

カラープリンタで再生紙に印刷した簡易的なルート地図を持参していたのですが、折りたたんでポケットに入れていました。それが雨と汗とでにじんで読めなくなったばかりか、とうとうボロボロに溶けだしてしまいました。紙の質が悪かったのでしょう。濡れてグズグズに溶けだして、もはやルートマップとしては役に立たないものになってしまったのです。

そして大岩壁を登攀したけれど、崖上で怖くて降りられなくなってしまったのです。壁を登るのは目が先にあるから足場の確認が簡単なのですが、降りる場合は脚が先なので初心者は足場を探すのがむずかしいからです。

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川の流れを追いかけて人里にたどり着こうと考えた

大岩壁の先のルートですが、いくら探しても見つかりません。まさか地図がにじんで読めなくなるとは。まさか紙がぽろぽろに溶けて崩れてしまうとは。

ルートがわからずに先に進めなくなってしまい途方に暮れていたところ、川の赤ちゃんが「こっちにおいでよ」と私を呼んだのです。

槍ヶ岳に登るとわかりますが、山頂近くに「梓川の赤ちゃん」が流れていますよね。あのような川の赤ん坊が流れていました。その流れを追いかけると、予想通りだんだん川らしく大きな流れになっていきました。

「この流れを追えばいつかは川となり、そこには人里がある」と、私は確信します。

ルートがわからず、先に進めず、登ってきた岩壁は恐ろしくて下れず、どうしようもなくなった私は川を追いかけて人里に戻ろうと決意しました。さいわい脚力には自信がありました。なまじ脚力に自信があったばかりに遭難へとまっしぐらに突き進んでしまったのです。

※私の著書です。登山家の方も、足腰を鍛えようと思ったら参考になる内容が満載ですのでぜひお読みください。

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山火事になれば、誰かが助けに来てくれるだろうか?

人跡未踏の藪の中、流れゆく川の赤ん坊を必死に追いかけました。生きて帰るために。

しかしやがては大河になるはずのその川は……目の前で滝となって数十メートル下までストンと落ちていきました。

水は痛みを感じませんが、こちらはそうはいきません。もはや川を追いかけることはできません。滝の上で下を眺めながら私は絶望していました。

「ここは針の山だった。悪魔のささやきに耳を貸したおれがバカだった」

正気に戻った私は狂ったように川を逆に登って元のルートに戻りました。

この時「山に火をつけて山火事になれば誰か助けに来てくれるだろうか?」と頭に考えがよぎったことを明白に覚えています。道に迷って帰ることができずパニックになると、こんなことまで頭によぎるのです。

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死ぬかもしれない、と覚悟を決めて、大岩壁を下った

怖くて降りられないと思った大岩壁の上に私は再び立っていました。小雨だったしライターもなかったので、山火事にして助けを呼ぶこともできません。先に進むルートは何度探してもわかりません。もはやこの岩壁を下るしか、帰る道はありませんでした。

死ぬかもしれない、と覚悟を決めて、大岩壁を私は降りたのでした。怖くて下りられないとビビッて逃げた岩壁を。

必死でした。顔をゆがめ、火のように熱い息をして鉄鎖にしがみつきました。最後は2mぐらい壁から落ちました。足首に激痛が走ったのですが、さいわい骨は折れませんでした。

壁の下で、心から実感したことをおぼえています。「これで、生きて、帰れた」

こうして私は誰の助けを求めることもなく、自力で山を下ったのです。

川をよじ登るときに膝や肘までつかったので全身が真っ黒に汚れていました。一般道を行く登山者とすれ違った時に、ギョッとされました。私があまりにもボロボロだったので。

一般道の登山者も、まさか私がガチ遭難して死ぬ思いをして戻ってきたとは誰も思わなかったでしょうから。

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一般の登山者は、登山道以外を歩いてはいけない

一般の登山者は、登山道以外を歩いてはいけません。

川を追いかけて町に行こうとか、斜面を下っていけばやがて町にたどり着く、とか考えがちですが、それは悪魔のささやきです。実行してはなりません。

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ルートマップの防水対策は登山の最重要ポイント

その遭難以来、ルートマップのカラープリンタ印刷はしていません。しっかりした地図をビニールで覆って持参しています。登山ルートマップの防水対策は登山の最重要ポイントだと思います。

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登山における遭難とは「帰りたいと思っているのに、正しく帰れない状況」のこと

足首をすこし捻挫したぐらいで、救助されることもなく、私は自力で山から戻ってきました。でもこれは「遭難」だったと私は思っています。

なぜなら「帰りたいと思っているのに、正しく帰れない状況」だったからです。「誰かに助けてほしいと心から思った」からです。

そしてなによりも「死」をとても近くに感じたからです。

道に迷って帰りたいのに帰れなくなった状況を、YouTube動画で「遭難」と表現して物議を醸してしまいました。しかし今でも私は「遭難」という表現で間違いはないと思っています。

みなさんの参考になればと思います。

ちなみに私は小説を執筆しています。『片翼の翼』という小説ですが、この時の登山の体験が内容に反映されています。興味を持った方がご一読いただければうれしく思います。

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