旅によって中断される習慣と、あたらしく獲得される習慣
たとえば自宅にいるとき、私には執筆の習慣があります。しかし旅に出るとこの習慣は途切れます。キーボードなしになにかを本格的に書こうと思えません。読書の習慣もあるのですが、この習慣も途切れます。ハワイのビーチで読書している人を何人も見かけましたが、よくあんなところで本なんか読めるなあと思います。海を眺めていたほうが楽しいのに。本はプールサイドより、寝る前にベッドで読んだ方が楽しくないですか? しかし旅先では軽量化のためにそもそも本を持っていません。だから本を読むのは無理なのでした。そんなことより明日に備えて早く寝るほうがいいです。
習慣をたくさん持っている人ほど、豊かな人生
旅先では、執筆や読書といった習慣を捨てて、のんびり時間の流れに身を任せるというあらたな習慣を手に入れてきました。このような習慣をたくさん持っている人ほど、豊かな人生なのではないでしょうか。
獲得したたくさんの習慣を同時にすることはできませんが、旅先の貧乏暮らしも、自宅のリッチな生活と同じか、それ以上に楽しんでいます。また習慣は切り替えが難しく、旅先の怠惰な習慣から、帰国して急に執筆の習慣には戻れません。
食生活も、習慣の切り替えが難しいもののひとつです。普段、日本では「生活保護の人か?」っていうぐらいつつましい食事をしているのですが、旅先ではお酒を飲んだり、地元の食事を楽しんだりと贅沢しています。しかし帰国して元の食生活に戻るとカロリー不足を感じることがあります。贅沢に体が慣れてしまったのでしょう。習慣の切り替えってむずかしいね。
これは冬と夏の習慣にも似ています。私の場合、夏は水シャワーを浴びてかき氷を食べる習慣がありますが、冬になるとその習慣は全廃しなければなりません。そして冬は冬で、たとえば寝る前には入浴するといった夏とは別の習慣にしなければならないのです。
自宅では冬のように暖かい服をたくさん着込んで、旅先では夏のようにノースリーブに短パン。そのように習慣を切り替えないと旅にうまく順応できません。
旅人は旅先であたらしい習慣を手に入れるものです。しかし手に入れるもっとも大きなものは習慣よりも認識ではないでしょうか。
私はハワイ旅行で、これまでの英語学習ではダメだと思い知りました。ネイティブの会話のスピードについていけないのです。ゆっくり喋ってくれさえすれば、今は彼らの喋っていることを理解できるのですが、リアルな英会話のスピードについていけません。つまりスピード練習をしなければ、実際には使いものにならないということです。
新たな認識が手に入れば、これまでの習慣を微調整して変えていくことも可能です。これまでの英会話の勉強の習慣を少し変えなければならないという認識を手に入れてハワイから戻ってきました。

