ドラクエ的な人生

なぜ働いていると本が読めなくなるのか? 物語りが夜に向いているのは太古の習慣の名残り。夜にしか読めない

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なぜ働いていると本が読めなくなるのか

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という本が、本屋に平積みになっています。かなり売れているようです。

人の興味をひくタイトルですね。

この本の著者が何と言っているか、未読なので知りませんが、私なりに「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の答えはもっています。それをここでは書こうと思います。

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読書する時間。夜にしか読めん

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」に対する、私なりの答えは「本は夜にしか読めないから」です。

私の読書は、実用書ではなく、世界文学(小説)なのですが、昼間はまったく読む気がしません。読んでもぜんぜん集中できません。

読書なんかよりも外を走った方が楽しい、と本を放り投げたくなります。内容がまったく頭に入ってきません。

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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。

「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
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どんなレースに出ても自分よりも速くて強いランナーがいます。それが市民ランナーの現実です。勝てないのになお走るのはなぜでしょうか? どうせいつか死んでしまうからといって、今すぐに生きることを諦めるわけにはいきません。未完成で勝負して、未完成で引退して、未完成のまま死んでいくのが人生ではありませんか? あなたはどうして走るのですか?
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。

Bitly

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ところがふしぎなことに、夜だとお話が頭に入ってくるのです。熱中して読むことができます。

外はもう真っ暗です。外で何かをしようという気にはなりません。外に出かけるよりも読書をする方がずっと楽しいという時間です。夜になって初めて読書に熱中できます。

ほかにやることがないから仕方なく読書しているわけではありません。不思議なことに夜になると読書が面白いのです。こりゃいったいどういうことなのでしょうか?

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物語りが夜に向いているのは太古の習慣の名残り

読書には読書にふさわしい時間というものがあるのではないでしょうか。私の場合はそれは夜です。夜にしか読めません。

かつて人々は、夜には何もやることがありませんでした。電灯がなかったからです。電灯がないと夜は寝るぐらいしかやることがありません。そうしたなかで唯一の楽しみが、焚火を囲んで、お話しをきくことでした。

長老からいにしえの物語を聞いて、楽しんだり学んだりしました。言葉をしゃべる動物や精霊の話しだったり、教訓めいた故人の実際の話しだったりしたことでしょう。いま、これらの物語は小説というかたちで伝えられています。

思うに、夜にしか物語が頭に入ってこないというのは、この太古の習慣の名残なんじゃないでしょうか?

私の遺伝子の中に、物語は夜に聞け(昼間は働け)、と刻まれているから、夜じゃないと本が読めないのではないかと感じます。

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働いていると本が読めない理由は、夜更かしができないから

夜にしか物語を聞けない脳の人が、物語をぞんぶんに満喫しようとしたら、夜更かししなければなりません。

するとどうなるか……朝方、眠くて起きるのがつらくなります。夜に読みまくると、必然的に、朝方、寝坊してしまいます。

本に熱中して2時、3時になったら、翌朝、眠くないわけがありません。しかし働いていると、会社に行くために、むりやり起きなければなりません。サラリーマン生活をしながら、夜更かし読書をすると、翌日仕事中に猛烈に眠くなります。大学生だったら講義中に眠ってしまえますが、お金をもらっている手前、サラリーマンは就業中に居眠りができません。睡魔と戦って起きているのは、地獄です。そんな地獄に苦しむぐらいだったら、夜更かし読書をやめてしまおう……これが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」のファイナルアンサーではないでしょうか。

大学時代にたくさん本が読めたのは、朝方、早起きしなくてもよかったからではないでしょうか? 夜更かしすることができたから、本をたくさん読めたのです。

眠たくなったらいつでも眠れるという恵まれた状態でなければ、本を読むことはできません。これが働いていると本を読もうという気にならなくなる最大の理由だと私は思っています。

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(本文より)知りたかった文学の正体がわかった!

かつてわたしは文学というものに過度な期待をしていました。世界一の小説、史上最高の文学には、人生観を変えるような力があるものと思いこんでいました。ふつうの人が知り得ないような深淵の知恵が描かれていると信じていました。文学の正体、それが私は知りたかったのです。読書という心の旅をしながら、私は書物のどこかに「隠されている人生の真理」があるのではないかと探してきました。たとえば聖書やお経の中に。玄奘が大乗のお経の中に人を救うための真実が隠されていると信じていたように。

しかし聖書にもお経にも世界的文学の中にも、そんなものはありませんでした。

世界的傑作とされるトルストイ『戦争と平和』を読み終わった後に、「ああ、これだったのか! 知りたかった文学の正体がわかった!」と私は感じたことがありました。最後にそのエピソードをお話ししましょう。

すべての物語を終えた後、最後に作品のテーマについて、トルストイ本人の自作解題がついていました。長大な物語は何だったのか。どうしてトルストイは『戦争と平和』を書いたのか、何が描きたかったのか、すべてがそこで明らかにされています。それは、ナポレオンの戦争という歴史的な事件に巻き込まれていく人々を描いているように見えて、実は人々がナポレオンの戦争を引き起こしたのだ、という逆説でした。

『戦争と平和』のメインテーマは、はっきりいってたいした知恵ではありません。通いなれた道から追い出されると万事休すと考えがちですが、実はその時はじめて新しい善いものがはじまるのです。命ある限り、幸福はあります——これが『戦争と平和』のメインテーマであり、戦争はナポレオンの意志が起こしたものではなく、時代のひとりひとりの決断の結果起こったのだ、というのが、戦争に関する考察でした。最高峰の文学といっても、たかがその程度なのです。それをえんえんと人間の物語を語り継いだ上で語っているだけなのでした。

その時ようやく文学の正体がわかりました。この世の深淵の知恵を見せてくれる魔術のような書なんて、そんなものはないのです。ストーリーをえんえんと物語った上で、さらりと述べるあたりまえの結論、それが文学というものの正体なのでした。

Bitly

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