ロシア文学に書いてあった、ロシアの姿は今も生きている
ロシアとウクライナの戦争が今も続いています。ロシア側はこの紛争を特別軍事作戦と呼んでいまだ戦争だと認めていませんが、平和だった都市にミサイルを撃ち込んで戦争じゃないというのは詭弁にすぎません。
わたしは『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』という著書も出版しているほど、この戦争のウォッチャーです。またYouTubeで『世界名作文学紹介チャンネル』というのもやっていて、ロシア文学をたくさん読んでいる読書家でもあります。そういうわたしが昨今のロシア・ウクライナ戦争を見てどう感じているか?
「なるほどロシア文学に書いてあったロシアの姿は今も生きているんだなあ」
そんな感慨を持つのでした。
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このブログの筆者の著作『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての感想と提言。
『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか?
●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか?
●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。
●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか?
●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。
ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすることが、人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。それに反する行動は人類全体に否決される。いつかそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。
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囚人や、多重債務者を戦場におくるロシア
ちょっと前には、犯罪者集団(囚人)を集めて、戦場で戦わせていました。ふつう、民主主義国家では軍人というのは、とくに現在進行形で戦争が行われていて国を守るために戦士が赤い血を流している場合、軍人というのは人々から尊敬され、名誉ある職業であるはずです。それがあるからこそ兵士に応募する若者がいるわけです。しかし囚人が兵士では感謝や尊敬しろといわれても無理というものです。彼らはもともと人殺しやレイプ犯なわけですから。使役罰と軍役がごっちゃになってしまいます。罪への罰なら戦場へ行くのも当然かなと思ってしまいます。感謝なんかできませんね。
我々、西側の思考からすると「そういう囚人たちと同列に扱われるのは嫌だ」と兵士の応募も減るだろうと予想できます。人々からの尊敬や憧れや名誉がなくて誰が命を賭けるでしょうか。そんなことはちょっと考えればわかりそうなものです。つまりそういう悪手をまともな政治家なら打たないはずなのですが、ロシアという国は平気でそういうことをやりますね。
最近では、兵士に応募すれば借金を帳消しにするというニュースがありました。ウクライナ侵攻に加わる兵士らが抱える借金を1千万ルーブル(約1480万円)を限度に返済免除にするそうです。めちゃくちゃですね。信用で成り立っている資本主義貨幣経済の根幹を何とも思っていません。こんな国にカネを貸しても踏み倒されて返ってこないんじゃありませんか?
なんというか……法が法として、ちゃんと処理されないんだな、という感想です。たしかに戦争で人殺しという最大の悪をやっているけど、それはそれ。無抵抗の一般人を虐殺するのは戦争犯罪としてちゃんと処罰されるというのが西側の感覚じゃないですか? それはそれ、これはこれとして、わけて処理されるはずです。でもロシアは勝っても負けても戦争犯罪人は処罰されるだろうなんてつゆとも思っていません。感覚が何世紀もずれたまま、昔のままなのです。
ロシアは、文明化されていない未開の地で、教養のないウォッカ飲みが古いしきたりで素朴に暮らしている
もっともこれらは過去の人たちの作品ですので、さすがに今現在のロシアでは近代化されてそんなことはないだろうと思っていたのですが……しかし現在進行形のロシア・ウクライナ戦争を見ていると、今でも文豪たちのロシア評は生きているなあとおもわざるをえないのでした。その泥臭く、洗練されていない戦術ひとつとっても。ロシア文学で読んだ人たちが、そのイメージのまんま戦っている、という気がしてなりません。
司馬遼太郎が『坂の上の雲』でロシア人のことをこう評していました。彼らはチンギスハーン(モンゴル帝国)の後継者たちなのだ、と。顔は西洋人ですが、彼らはヨーロッパ人ではないのです。
ロシア東部戦線を警戒せよ。韓国人はもっとロシアを嫌ってもいいのではないか?
ロシアの領土拡張思考というのは、地政学でもハートランドの膨張と説明されている伝統的なものです。韓国人は日本の植民地支配は徹底的に嫌いますが、ロシア人のことをそれほど声高に嫌悪しないのは不思議な気がします。
そもそも朝鮮が日本の植民地になったのも、単純に日本の欲望だけではなく、ロシアの南下政策があったからです。日本人はロシアの南下に恐怖して、ロシアの膨張というアクションにリアクションするかたちで大陸に打って出た面があります。植民地という帝国主義の時代のブームにただミーハー的に乗ったものではありません。日本が韓国を植民地にした当時、確実にロシアも朝鮮半島を狙っていました。歴史のIF、たらればは禁物かもしれませんが、半島は日本に支配されなかったらロシアに支配されていたかもしれないのです。
だいいち、朝鮮半島が南北に分断されているのも、そもそもロシアの南下政策が原因ではありませんか?
ロシアには民族的なうらみがあるはずです。韓国人はもっとロシア人を嫌ってもいいのではないでしょうか。ウクライナへの侵攻をもっと糾弾してもいいのではないでしょうか?
日本もそうですが、どうして東洋人は白人を憎みきれないんでしょうかねえ?
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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。
【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え
韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。
「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。
帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。
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