ドラクエ的な人生

スノーボードをやめた日1

イロハです。

ボディーボードを止めた日のことははっきりと覚えていませんが、スノーボードをやめた日のことははっきりと思えています。なにせ本当に板を「手放し」てしまったのですから…。

何シーズンか愛用のボード(Burton)を久方ぶりに出してきて、ハルトと二人快調に滑っていました。

粉雪が舞うコンディションでしたが、快調に楽しく滑りました。

攻めのコースは行かず、気持ちよく滑れる簡単なコースを何往復もし、雪と風の爽快感を楽しむといった調子です。緩やかなターンを繰り返し、飛んだり跳ねたり回転したりなど無理なことはしません。若くないですから(笑)

私がスノーボードを始めたのは高校1年生の冬でした。その当時まだスノーボードを知っている人が少なくて、スキー場に行くたびに不思議そうな、何それ?的な顔をされたもんでした。ボード自体も高くて、長く続けるかわからないような私は、中古のK2を45,000円(板のみ)買って始めました。まず、板が厚くて重い。そしてビンディングにブーツ、今のように洗練されたものではないブカブカな時代でした。ウエアはフィトシステムズ♡教科書もネット検索もない時代ですから、体で覚えましたよ(笑) 先輩と一緒に山の頂上までリフトで登らされて…「さあ、自分で降りろ‼」てなもんです。( ;∀;)

一本の板のに両足を固定し、不安定な雪の上を支えなしで滑るスポーツ。それまでスキーもやったことはありませんでしたので、雪上の感覚から初体験なのに、です。

上から下に重力にひかれて滑ってくるだけなので大した運動じゃないだろうと思う人もいるかもしれませんが、そうではありません。

どこまでも下に勝手に滑って行ってしまうボードを踏ん張ってコントロールするのはなかなか力を使うのです。しかも、まずどこに力を入れれば自分の思い通りに板が動いてくれるのかわからない(;^ω^) 下に降りるまで何回転んだことか!後ろに転べば尻もちをつき、お尻や尾てい骨が痛いし、前に転べば膝からいきますから、皿が割れる程痛い!もう半泣き状態です。

翌朝、目を覚ました時は本当に驚いたものです。だって首から下が全く動かない筋肉痛! Σ(・□・;)階段も一段ずつ降りていくような無様さで。しかし、また転ぶためにスキー場にいきます。これを何度か繰り返してようやく滑れるようになっていくのです。

たとえばスノボでターンをしようとするときは、板の中央に置いていた体重を踵からつま先の方へ移動、つま先から踵の方へ移動、と一枚の板の端~中央~端といった具合に体重を上手に移動させ、板を傾けエッジを使うことで曲がっていきます。一度滑れるようになってしまえば自転車と一緒で感覚を忘れたりはしないと私は思っています。

もともとサーフボード、スケートボード、スノーボードというのは同じようなスポーツで、スノーボードもサーファーが冬にも横乗りできないか、スケートボーダーが雪の上でも同じことができないかと、工夫して始めたものとされています。

サーフショップ兼飲食店のバイト先が時代を先取りするようにスノーボード用具を輸入発売したので、私たちもそれに横乗りに乗かったのがはじまりでした。

十分に滑って、ラスト一本にしようとハルトとは話していました。

そういう時に事故は起こります。油断もあるのでしょうか。

先に私が滑り、斜面の途中でハルトを待っていたのですが、いつまで待っても彼は降りてきません。待っても、待っても、いつまでも彼は来ません。

あまりにも遅いので、スノーボードのビンディングを外して、雪山を歩いて登り始めました。

これまでに何本も滑っていますから、先に下まで降りてはいないと思いました。

その時です。救急スノーモービルが赤いライトを回転させてサイレンを鳴らしながら私を追い抜いていきました。

まさか、と思いながら、歩きにくいスノボシューズで一生懸命に雪山を上ると、先ほどのスノーモービルが人を乗せて下ってきます。

運ばれている人のウエアはハルトでした。上の方に人だかりができていました。

何か事故が起こったのは確実でした。

私はビンディングをはめ、救急スノーモービルを追いかけました。

レストハウス前で救急スノーモービルは止まっていて、医務室に彼は運ばれたとドライバーに聞きました。医務室に行くと、彼が肩を抑えて呻き、震えていました。

「どうしたの?」

「転倒したようです。ここでは処置できないので、病院に運びます」

ドクターが返事をくれました。

これをラスト一本にして、ちょうど帰ろうとしていたところだったので、荷物を持ち帰らねばなりません。

「ちょっと待ってて。荷物もってくるから」

ハルトに声をかけて、医務室を駆けだします。

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