ドラクエ的な人生

著書『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』あとがき

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反戦平和運動こそが最高の地球温暖化対策だ

私たち庶民のささやかな地球温暖化対策をあざ笑うかのように、現在進行形の戦争が人や森や街を破壊しています。砲兵重視の軍隊が火力主義で貴重な資源を燃やし尽くしているのです。戦争とは火を使って資源を燃やすことだといえるでしょう。

もったいないなあ、と感じます。死んだ人も含めて。それだけの資源があればもっと有意義なことに使えるはずなのに。世界の指導者たちは何をやっているのでしょうか。

なにが脱炭素でしょうか。なにがSDGsでしょうか。隣であれだけバンバン火を燃やされたら、何の意味もありません。なにが環境運動でしょうか。なにが電気自動車でしょうか。

反戦平和運動こそが最高の地球温暖化対策ではないでしょうか。

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いつか確実に人類は人類の手によって滅びるだろう

ロシアのウクライナ侵攻を見て、私はこう思いました。「こりゃあいつか確実に人類は滅びるな」と。ロシアでもウクライナでも多数をしめる庶民は戦争なんてしたくないと思っています。にもかかわらずそんな多くの庶民の気持ちを踏みにじる格好で老いた独裁者が強権を振りかざして戦争が始まってしまいました。そういうのは今にはじまったことではありません。歴史上ずっと繰り返されてきたことです。つまりこれからも同じようなことが起こるでしょう。

ロシア・ウクライナ戦争で核ミサイルが使われる使われないに関係なく、いつか誰かの手によって確実に核ミサイルは使われてしまうでしょう。いつか確実に人類は自らの手によって絶滅すると私は思います。

そんなことはありえないと思いますか? 果たしてそこまで人間は信用できるでしょうか。権力を失う寸前の独裁者を信用できるでしょうか?

この先、数千年のあいだに、いつかのタイミングで核ミサイルは人々の頭上に確実に落とされるでしょう。それが武器というものの宿命です。武器が存在するのは使われるためです。飾り物ではありません。いつまでも核が抑止力のままで終わるとは私にはとうてい思えません。核ミサイルを使えば勝てる戦争を独裁者たちがそれを使わずにむざむざ負けを認めるとは思えないのです。

ロシアのウクライナ侵攻よりも、北朝鮮の東京核攻撃の方がずっと確率は高いはずです。ロシアはウクライナが憎いわけではありません。それに対して北朝鮮は日本を憎んでいます。どっちが起こりうる未来でしょうか。

これは確率の問題です。ゼロパーセントではありません。私たちが生きている間には無事かもしれません。しかし将来の人類は無事ではないでしょう。いつか核ミサイルは使われて、そして人間は壊滅的な被害を被るでしょう。第三次世界大戦という言葉では手ぬるいようは悲劇がきっと待っているに違いありません。

人間をいちばん殺しているのはライオンや熊ではありません。人間をもっとも殺すのは人間です。これまで核兵器の抑止力おかげで大国間の戦争はなくなったと言われてきました。しかし現在、核大国ロシアが率先して他国に戦争をしかけています。そして核武装した国々がウクライナを応援しています。

かつてウクライナは核武装されていた地域でしたが、独立と同時に核を放棄しました。あのとき核を放棄しなければロシアも攻めてこなかったのでは……ウクライナがそう考えたとしても不思議ではありません。核で武装すべきだという議論はこれからも世界中で起こるでしょうし、インド・パキスタン・北朝鮮のようにいつのまにか核武装する国はどんどん現れるでしょう。技術は進歩していますし、情報は拡散しています。かつての超兵器をどの国でも簡単につくれる日がくるでしょう。なかには独裁者が支配する国もあるでしょう。そのような人たちのすべてを信用できるでしょうか。歴史の中で狂った独裁者はいくらでも登場しました。

この先、人類の危機は何度も何度も起こります。核が戦争を抑止できない時代が来ます。ロシア・ウクライナ戦争がその先鞭をつけたのかもしれません。

戦争は外交のひとつだといいます。あっという間に戦争で占領できるような小国と対等な立場で議論しなければならないというのは大国のリーダーには受け入れられない現実でしょう。比較にならないほど力の差があるのに対等な顔をする生意気な小国に対して、独裁者は手元の駒(軍事力)使いたくなるに違いありません。そして幾千年のうちにいつかは人類は自らの手によって壊滅的な被害を被ることでしょう。

お釈迦様の弓矢のたとえ話をご存知でしょうか。刺さった毒矢がどこから飛んできたかとか、どのような人物が毒矢を放ったのかとか、そんなことを気にしているうちに傷ついた者は死んでしまうだろう、と。人類の未来なんて考えるだけ無駄なことだと私は思います。

「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」それが私の人生態度だったと本書の冒頭で述べました。いつまでも他国の戦争なんかウォッチしていないでそろそろ自分の人生に戻りましょう。

人類の未来なんて考えるだけ無駄なことです。本来の自分の暮らしに精一杯取り組みましょう。ウクライナ人が見せてくれたように、自分の命をたいせつなもののために使いましょう。一日一日を大切に今日を生きましょう。死ぬときに後悔しないように、やり残したことがないように。

私たち市井の一般人には自分の人生を大切にすることしかできません。それを命がけで取り組むことが私たち庶民の反戦運動です。ひとりひとりが自分の暮らしを大切にすることが、人類共通のひとつの価値観をつくりあげ、それに反する行動はいつか人類全体に否決される。いつかそんな日が来ると信じましょう。

本書の中に著者の平和への思いを感じ取っていただければ幸いです。

アリクラハルト

(2023年12月16日)

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このブログの筆者の著作『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』

戦史に詳しいブロガーが書き綴ったロシア・ウクライナ戦争についての感想と提言。

『軍事ブロガーとロシア・ウクライナ戦争』
●プーチンの政策に影響をあたえるという軍事ブロガーとは何者なのか?
●文化的には親ロシアの日本人がなぜウクライナ目線で戦争を語るのか?
●日本の特攻モーターボート震洋と、ウクライナの水上ドローン。
●戦争の和平案。買戻し特約をつけた「領土売買」で解決できるんじゃないか?
●結末の見えない現在進行形の戦争が考えさせる「可能性の記事」。

ひとりひとりが自分の暮らしを命がけで大切にすることが、人類共通のひとつの価値観をつくりあげます。それに反する行動は人類全体に否決される。いつかそんな日が来るのです。本書はその一里塚です。

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