先日、電車に乗っていたら、近くの高校生が話しているのが聞こえてきました。
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高校生1「このあいださ。体育の授業の前にジョニーが日焼け止め塗ってるの見ちゃってさ。びっくりしたわ」
高校生2「いらねーじゃん。ジョニー。日焼け止め、無駄じゃん」
高校生1「あれでもいちおう日焼けを気にしてるみたいでさあ」
高校生2「いやいやいや。もうこれ以上無理っていうぐらい真っ黒じゃんw」
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私は笑いをこらえるのに必死でした。その高校生の気持ちがよく分かったからです。黒人の中には美しいといってもいいぐらい見事なまでに真っ黒な人がいます。黒いアブラを肌に塗ったような人が。
バラク・オバマはアメリカ合衆国史上初の黒人大統領だといわれていますが、オバマなんて「色の薄い人」です。美しいほど真っ黒な黒人とはほど遠い。私はフロリダのエレベーターでそういう「黒い油を塗ったような黒人」に会ったことがあります。ぎょっとしてしばらく見入ってしまいました。同じ肌をもった人間とは思えないぐらいに真っ黒な肌でした。
もしかしたら織田信長が体を洗わせて色落ちしないか確かめたという弥助という黒人もそういうタイプの黒人だったのかもしれません。
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黒人は日焼けをするのか?
きっとサンバーンと呼ばれる火傷・水泡現象はあるのでしょうね。だから日焼け止めを塗っているのでしょう。
国際化がすすんで近所の高校のクラスメートに普通に黒人がいることにも驚いたし、その黒人が体育の授業前に日焼け止めを塗っていることにも驚いたし、ガイジンのクラスメートに総ツッコミを入れている高校生のたくましさにも驚きました。
笑いをこらえるのがたいへんでした。ぷぷぷ。
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(本文より)
カプチーノを淹れよう。きみが待っているから。
カプチーノを淹れよう。明るい陽差しの中、きみが微笑むから。
ぼくの人生のスケッチは、まだ未完成だけど。
裏の畑の麦の穂は、まだまだ蒼いままだけど。
大地に立っているこの存在を、実感していたいんだ。
カプチーノを淹れよう。きみとぼくのために。
カプチーノを淹れよう。きみの巻き毛の黒髪が四月の風に揺れるから。
「条件は変えられるけど、人は変えられない。また再び誰かを好きになるかも知れないけれど、同じ人ではないわけだよね。
前の人の短所を次の人の長所で埋めたって、前の人の長所を次の人はきっと持ちあわせてはいない。結局は違う場所に歪みがでてきて食い違う。だから人はかけがえがないんだ」
金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。
夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。
夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。
あの北の寒い漁港で、彼はいつも思っていた。この不幸な家族に立脚して人生を切り開いてゆくのではなくて、自分という素材としてのベストな幸福を掴もう、と――だけど、そういうものから切り離された自分なんてものはありえないのだ。そのことが痛いほどよくわかった。
あの人がいたからおれがいたのだ。それを否定することはできない。
人はそんなに違っているわけじゃない。誰もが似たりよったりだ。それなのに人はかけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。
むしろ、こういうべきだった。
その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と。
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