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FIRE早期退職。「自分が死ぬ」前提でないと仕事はやめられない。

『死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33』の気づき

『死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33』という本を読みました。

別にたいしたことは書いてありません。今まで漫然と生きてきた人が急に死期が迫ったからといって何か特殊な悟りの境地に達するわけがありません。そんなことがあるわけがないのです。だってこれまでに何億人の人間が死んできたと思います? 死ぬ前の人みんなが何かを悟るなら、この世は悟りに満ち溢れているはずでしょう。死ぬ前に気づくこと、というのは、たぶん「ありきたりのこと」なのです。

33人のもうこの世にいない人たちが今わの際に気づいたことがこの本には書いてあります。

みんな、会社人間だったことを悔やみ、家庭を犠牲にして仕事ばかりだったことを悔やみ、他人と競ったり嫉妬したりの人間関係を悔やみ、周囲に気を使いすぎて自分らしくいられなかったことを悔やんだりしています。そしてそれから自由になろうとします。何か生きた証、痕跡を残そうと苦闘したことのむなしさを悔やみ、守銭奴や健康オタクだったことを悔やみ、本当はまだ死にたくない気持ちとなんとか折り合いをつけて死んでいきます。

その中で一つだけ感動した人の話しがありました。夫を看取って死ぬと決めていたほど仲良し夫婦の妻側が余命いくばくもないガンにおかされてしまいます。長き闘病の末、妻はもう死にたいというのですが、夫は自分の半身が逝くことを許しません。

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(本文より)

カプチーノを淹れよう。きみが待っているから。
カプチーノを淹れよう。明るい陽差しの中、きみが微笑むから。
ぼくの人生のスケッチは、まだ未完成だけど。
裏の畑の麦の穂は、まだまだ蒼いままだけど。
大地に立っているこの存在を、実感していたいんだ。
カプチーノを淹れよう。きみとぼくのために。
カプチーノを淹れよう。きみの巻き毛の黒髪が四月の風に揺れるから。

「条件は変えられるけど、人は変えられない。また再び誰かを好きになるかも知れないけれど、同じ人ではないわけだよね。
前の人の短所を次の人の長所で埋めたって、前の人の長所を次の人はきっと持ちあわせてはいない。結局は違う場所に歪みがでてきて食い違う。だから人はかけがえがないんだ」

金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。
夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。
夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。

あの北の寒い漁港で、彼はいつも思っていた。この不幸な家族に立脚して人生を切り開いてゆくのではなくて、自分という素材としてのベストな幸福を掴もう、と――だけど、そういうものから切り離された自分なんてものはありえないのだ。そのことが痛いほどよくわかった。

あの人がいたからおれがいたのだ。それを否定することはできない。

人はそんなに違っているわけじゃない。誰もが似たりよったりだ。それなのに人はかけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。

むしろ、こういうべきだった。

その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と。

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妻も夫と別れるのが狂おしいほど苦しい。でもそれは夫に依存しすぎているからだ、と気づきます。そして夫から自由になろうと、夫の手をそっと放そうと決意するのです。そして夫も妻の自分から自由になってくれれば、と願います。避けられない旅立ちの別れの前に必要なのは、自由になることでした。

さすがの私も臨終体験はないので、このような壮絶な自由は体験したことがありません。

「私は狂おしいほど女を愛した。しかし常に女よりも自由を愛した」といったジャコモ・カサノヴァを思い出しました。自由っていうのは複雑な意味をもった重たい言葉なんですねえ。

ジャコモ・カサノバ『回想録』世界一モテる男に学ぶ男の生き方、人生の楽しみ方

退職。「自分が死ぬ」前提でないと仕事はやめられない。

人間というのは「仮の永遠」を信じて生きています。いつか何もかも消えてなくなるという考え方は心地よいものではないために、昨日があったように明日もあるとして「仮の永遠」を生きています。このままずっと生きていく前提で日々暮らしているわけです。

実は私も昔はそうでした。この自分が死ぬなんてことは考えられなかった。もしかしたらこのままずっと自分だけは特別で生きていられるんじゃないかと思っていました(笑)。

それが「そうじゃない」ことに気づいたのは、シリアスに練習していたマラソンで自己ベスト記録を更新できなくなったときでした。シリアスランナーが自己ベストが更新できないということは自らの衰え、老いに直面することと同じです。

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雑誌『ランナーズ』のライターが語るマラソンの新メソッド。ランニングフォームをつくるための脳内イメージ・言葉によって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化して速く走れるようになる新理論。言葉による走法革命のやり方は、とくに走法が未熟な市民ランナーであればあるほど効果的です。あなたのランニングを進化させ、市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」「ハサミは両方に開かれる走法
腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」の本当の意味は?
●【肉体宣言】生きていることのよろこびは身体をつかうことにこそある。
(本文より)
マラソンクイズ「二本の脚は円を描くコンパスのようなものです。腰を落とした方が歩幅はひろがります。腰の位置を高く保つと、必然的に歩幅は狭まります。しかし従来のマラソン本では腰高のランニングフォームをすすめています。どうして陸上コーチたちは歩幅が広くなる腰低フォームではなく、歩幅が狭くなる腰高フォームを推奨するのでしょうか?」このクイズに即答できないなら、あなたのランニングフォームには大きく改善する余地があります。
ピッチ走法には大問題があります。実は、苦しくなった時、ピッチを維持する最も効果的な方法はストライドを狭めることです。高速ピッチを刻むというのは、時としてストライドを犠牲にして成立しているのです。
・鳥が大空を舞うように、クジラが大海を泳ぐように、神からさずかった肉体でこの世界を駆けめぐることが生きがいです。神は、犬や猫にもこの世界を楽しむすべをあたえてくださいました。人間だって同じです。
・あなたはもっとも自分がインスピレーションを感じた「イメージを伝える言葉」を自分の胸に抱いて練習すればいいのです。最高の表現は「あなた」自身が見つけることです。あなたの経験に裏打ちされた、あなたの表現ほど、あなたにとってふさわしい言葉は他にありません。

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早期退職、FIREという考え方があります。ふつうの退職も同じですが、退職というのも「自分が死ぬ」前提でないと考えられません。だって永遠にずっと自分が生きているとしたら、明らかに退職後の財政収支はいつかマイナスになってしまうはずですから。

FIREとは若隠居のこと。ご隠居の暮らし方

働いているうちはまだ「永遠の命」幻想を抱いていけます。すくなくとも働き続けている以上、ずっと生きたとしても財政収支は赤字にはならないからです。でも退職すれば、いつかは収支がマイナスになる。いわゆる「長生きリスク」「高齢者貧困」問題です。いつか死ぬ前提でなければ仕事をやめることはできません。

つまり退職するということは「仮の永遠」幻想をきっぱりと諦めて自分が死ぬことを認めるということです。これが六十歳(定年)ならば体のあちこちにガタが来ているので自然に否応なしに「仮の永遠」を諦められるかもしれません。しかし四十歳でFIREした場合はどうでしょうか? まだ肉体は若々しく活力横溢です。その状態で「仮の永遠」をきっぱり諦められるでしょうか?

多くの人が早期退職を実行できないのはこの「仮の永遠」幻想に生きられなくなる恐怖感が原因なのだと思います。あるいはFIREを達成してもまた仕事に戻るのは「仮の永遠」幻想の中で生きていく方が心理的に心地いいからではないかと思います。

病院がなくなって病気もなくなった北海道夕張市。信じれば長生きできる。

人間の寿命には心理的な影響というものがあります。財政破綻した北海道の夕張市では病院がなくなってしまったのですが、病気もガクンと減ったそうです。「病院に通えない」と思うと人は病気にならないのです。病気で病院で死ぬのではなく、老衰で寿命で自宅で死ぬ人が増えたそうです。

「仮の永遠」を信じて生きることで人はずっと生きつづけようとします。それに対して早期退職者は自分の寿命を見限っています。すると……もしかしたら早期退職すると働き続けている人よりも寿命が早く来るかもしれません。

人の心理は寿命や健康に影響をあたえるのです。

人はスポーツでかつての自己記録が出せなくなったり、仕事をやめたりする瞬間に「仮の永遠」が幻想にすぎなかったことを悟ります。そして『死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33』の登場人物たちと同じような「気づき」に気づきます。誰もが遅かれ早かれそれに直面します。

見ないままで済むならばできるだけ見ないほうがいいという考え方をする人もいるでしょうが、どうせ見なければならないものならば早いうちに見て後悔のすくない人生を送った方がいいと思う人もいます。私は後者です。あなたはどっちでしょうか?

病気の彼らは病気によって人よりもはやくそれに気づかされました。でも私たちは本を読むことによって、その気づきを手に入れることができます。

その気づきは早い方がいのです。早く気づいて、後悔のすくない人生を送りたいものですね。

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