FIRE! 隠居の本質は仕事を辞めることではなく、人間関係の位置を占めることを望まないということ

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書籍『市民ランナーという走り方(マラソン・サブスリー。グランドスラム養成講座)』『通勤自転車からはじめるロードバイク生活』、小説『ツバサ』キンドル書籍にて絶賛発売中です。ぜひご一読ください。

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同窓会。各人の立ち位置が昔から変わらない衝撃

先日、ソウル日本人学校の記事を書きました。

ソウル日本人学校は公立? 私立? 卒業生の偏差値、進路

ソウル日本人学校は一クラスしかなく、クラス替えがなく持ち上がりのため、いつも同じ面々で、替えがきかないメンツのため、いまでもとても仲良しです。先日もLINEのグループで昔のクラスメートと話しをしていたところです。しかし……つくづく思ったのですが、各人の立ち位置って、昔から変わらないなあ、と。

人と人との相性とか、各人に対する反応とかが、昔の立ち位置のまんまだなあ、とつくづく感じました。

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昔の立ち位置のまんまのクラスメイト。

クラスの中心にいた人は今でもみんなの中心にいます。仲間外れを出さないようにさりげなく気をつかってくれた配慮の子はいまも配慮してくれるし、何かに疑問を投げかける人、それに回答する人も、昔と同じ立ち位置のまんまなんですよね。

おれたちって「成長」したんだろうか? 一生懸命生きてきたつもりだったけれど、結局、何も変わっていないのでは?

そんな中で私の立ち位置は「集団のはじっこでひとりで人と違うことを考えている」といったところです。昔から決して集団の真ん中で輝いていた「みんなのヒーロー」タイプではありませんでした。頭も悪くなかったし、運動もできた方なんですが……性格的に集団の中心で愛されるというタイプではありません。

そういう「みんなの中心」「センター」に憧れる気持ちがなかったといったらウソになります。センター」の存在になりたいと自己変革し、努力したつもりでしたが……どうもうまくいかなかったみたいです。

結局、「集団のはじっこでひとりで人と違うことを考えている」スタンスは、生涯克服できませんでした。

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会話の仲間外れ? 話題の問題か。人気の問題か。

ソウル日本人学校の記事で書いた「日本人学校は公立か、私立か」という記事は、私にとっては衝撃的な内容でした。公立小学校の出身と思っていたら、私立小学校の出身だったなんて……。

自分のルーツを誤解していた、ぜんぜん考えていなかった、ということですから。

文部省が設立したと思っていた公立の学校かと思っていたものが、現地の日本人会が設立した私立の小学校(教員派遣という助成を受けた認可された私立小学校)だったなんて……。そういう自分のルーツをまったく知らなかったことに衝撃を受けたのです。その衝撃を共有したくて、唯一共有できるはずの仲間の中で話したのですが、この話題に誰も食いついてきません。

みんな、自分が公立出身か、私立出身か、そんなことに興味がないみたい。あるいはそんなこと周知の事実で、いまさらそんな話題に驚いていることが興ざめなのか。それとも私が嫌われているのか? (トホホです)

卒業記念にタイムカプセルを地中に埋めたはず……という話題で盛り上がっています。その話題の中心にいるのは、今は女医さんになっている女子のリーダー格だった子で、やっぱり当時から話題の中心にいた人です。

この疎外感、立ち位置はかつて感じたことのあるものでした。センターにいるやつは昔からセンターにいて、端っこの方のやつは今も端っこでした。この疎外感は、話題の問題でしょうか。それとも人気の問題でしょうか。

小学校のときの取り巻きっぽい人は、今でも取り巻きっぽい人のままです。けっきょく、ジャイアンはジャイアン、スネ夫はスネ夫で、のび太はのび太なんだなあ。

「集団のはじっこでポツンとひとりで人と違うことを考えている」というわたしの立ち位置もまた幼いころから今も変わりません。ひさしぶりに友だちと話して、そんなことをつくづく感じたのでした。

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人間関係の「センター」は「みんなと同じことを考える」「みんなの代弁者」

わたしは昔から「人と同じことをするのが嫌い」なたちでした。「人と同じことを考えるのも嫌い」なタチでした。そういうスタンスでずっと来たから、今、こんなところにいるわけです。

遊民主義・ユーミン主義

あまり人のいわないような主張をわたしが言えるのは、それ故です。

今この場所この瞬間を旅先のように生きる。集団よりも個を優先する生き方【トウガラシ実存主義】

人と同じことをするのが嫌い」な人間が人気の中心を目指すのは簡単ではありません。むしろ向いていません。センターの人は「みんなと同じことを考える」「みんなの代弁者」です。そこに座ろうというのは「人と同じことをするのが嫌い」な自分の本質を変えなければなりません。ある意味、今までとは別の人間にならなければなりません。

それでも! と思わせるほど人間関係の「センター」には魅力がありました。しかし、どうやらそれは無理だったみたいです。

わたしもはじめから「集団のはじっこでポツンとひとりで人と違うことを考えている」人になりたかったわけではありません。みんなの中心で輝く人になりたいと努力したこともありました。しかし……結局、ほとんど変わらなかったな。

しかし無念さ、後悔はあまりありません。みんなが遊民主義者や、トウガラシ実存主義を信奉していたら、きっと私はまた別の主義を主張していただろうと思うからです。

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「リタイア」「隠居」の本質は、人間関係を望まない、ということ

これが若い頃ならば、「おれだって!!」と、まだまだガッツをもって自己変革し、人間関係のセンターを目指していたでしょう。センターにはそれだけの魅力がありました。

しかし私も「いい年齢」です。自己変革にも限界があります。というよりももう勝負はついた、といった方がいいでしょう。そうです。もう勝負はつきました。「センターになる」という勝負にわたしは負けたのです。

人生の真実。すべての人間は負けて終わる

それを認めて、いまさら人間関係の中心にのこのこ出ていくよりも、生涯変わることのなかった「集団のはじっこでひとりで人と違うことを考えている」という場所のまま、今後はつらぬいていきたいと思っています。

それをわたしは「隠居」だと考えます。よく仕事を辞めることを「リタイア」「ご隠居」といいますが、ご隠居の本質は、人間関係を諦める、ということだと思います。

今以上の人間関係を諦めることを、隠居というのではないでしょうか。出世を諦めるのも隠居。世間を諦めるのも隠居。名声を諦めるのも隠居です。会社を引退しお金儲けを諦めても地元の自治会長をつとめるなど、人間関係を諦めないかぎり隠居ではありません。

わたしはそういう意味では、もう今さら自分を変革して集団の中心で輝く人になろうという欲望をもっていません。そういう欲は、捨てた、諦めた、という境地です。その境地から、昔の友だちのライングループを眺めていると……何も変わってねえなあ、と静かな心で思うのです。

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「すみっこタイプ」が、「中心タイプ」の女性を射止めることはできるか?

ところがウチの女房は、集団の中心で輝いているタイプの女性です。センターにいるようなタイプの人なのです。

もし同級生だったら、わたしは彼女を好きになっていたかもしれませんが、妻はわたしなんかまったく相手にしてくれていないだろうと思います。これがセンターと端っこの差です。

そんな「すみっこタイプ」のわたしが、どうして「中心タイプ」の女性を射止めることができたのか?

※私の生き方を綴った書籍です。ぜひお読みください。

まず第一に、年上というだけで、上から目線、マウントをとれたということは確実にあると思います。しかし年上というだけでセンターをゲットできるほど世の中はあまくありません。

けっきょく「すみっこタイプ」でもそれをつらぬいたことがよかったのではないでしょうか。

ハンパに「中心タイプ」になろうとして失敗したら、センターにはなれず、自分らしさも失ってしまいます。そういう人は世の中に多いのではないでしょうか。学生時代には夢をもっていたのに、いつしか猛烈サラリーマンになって自分らしさを失ってしまうような人はこのタイプです。

しかしわたしはこのハンパなやつにはなりませんでした。学生時代のままに「すみっこタイプ」を今もつらぬいています。「人と同じことをするのが嫌い」「人と同じことを考えるのも嫌い」そのスタンスをつらぬいたゆえに、市民ランナーの三冠王になることができました。

※私の生き方を綴った書籍です。ぜひお読みください。

世界を放浪し、日本一周もして、他の人よりもたくさんのすばらしいものを見ています。そして今では遊民として世界文学を研究しています。こういう人はあまりいません。わたしの身の回りでわたしのような人はわたしだけです。

本当の意味でセンターにいる人にはかないませんが、中途半端に集団に寄り添って集団の端っこの方で生きるよりは、いっそのこと集団の意志に左右されず、人と違う景色を見て、ひとの考えないようなことを考えている方が、魅力的です。集団の端っこにしがみついている人よりも、自分を主張することができます。唯一無二の叫び声を上げることができます。

【ランニングマン宣言】すべての国ぐにのランナーよ、団結せよ!

そういう他人と被らないスタンスだったからこそ、集団のセンターの女性をゲットできたのだろうと思っています。

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隠居の本質は仕事を辞めることではなく、人間関係の位置を占めることを諦めるということ

人間関係の中心で輝く人(センター)に憧れていたわたしでした。しかし、もってうまれた性格、性質はほとんど変えることはできず、その場所に立つことはできませんでした。

小学校時代の昔の友だちと話していて、つくづくそれを感じました。

そして今ではそれを挽回しようと思っていません。その競争から降りたからです。これを「隠居」といいます。隠居の本質は仕事を辞めることではなく、人間関係の位置を占めることを望まないということです。

たとえば恋愛は人生で最も輝くイベントですが、それをもう望まない。それが隠居ということです。それをのぞむ限りはご隠居とはいえません。

人の中心、センターは魅力的です。だからといってハンパに迎合して集団に身をすり寄せて自分を失うよりも、たとえ「すみっこタイプ」でもそれをつらぬけば、集団のハンパ者よりも、人とは違った楽しい人生を送れる場合があります。

センターはアイドルです。その場所は永遠の憧れのままに、人の中心にすりよっていくのではなく、自分をつらぬくことが、本当はいちばん大切なことです。

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サハラ砂漠で大ジャンプする著者
【この記事を書いている人】

アリクラハルト。物書き。新狩猟採集民族、遊民主義の提唱者。心の放浪者。市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。山と渓谷社ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。ソウル日本人学校出身の帰国子女。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。放浪の旅人。大西洋上をのぞき世界一周しています。千葉県在住。

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このブログ著者の書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
書籍『通勤自転車から始めるロードバイク生活』
この本は勤務先の転勤命令によってロードバイク通勤をすることになった筆者が、趣味のロードバイク乗りとなり、やがてホビーレーサーとして仲間たちとスピードを競うようになるところまでを描いたエッセイ集です。 その過程で、ママチャリのすばらしさを再認識したり、どうすれば速く効率的に走れるようになるのかに知恵をしぼったり、ロードレースは団体競技だと思い知ったり、自転車の歴史と出会ったりしました。 ●自転車通勤における四重苦とは何か? ●ロードバイクは屋外で保管できるのか? ●ロードバイクに名前をつける。 ●通勤レースのすすめ。 ●軽いギアをクルクル回すという理論のウソ。 ●ロードバイク・クラブの入り方。嫌われない作法。 などロードバイクの初心者から上級者まで対応する本となっています。
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このブログ著者の小説『ツバサ』
小説『ツバサ』
主人公ツバサは劇団の役者です。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」
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主人公ツバサは劇団の役者です。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」
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