どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか?
ギリシアのエーゲ海に浮かぶ島、サントリーニ島。
その島で僕は思った。一番素晴らしいものはすべて無料だなあ、と。
自宅ほど快適なホテルはない
安宿に泊まることを常としているため、自宅よりも快適だった宿泊先に泊まったことがない。
いや、そもそもこの世に自宅よりも快適な宿泊場所なんてあるのだろうか。どんなにリッチなホテルに泊まったとしても、自宅ほど快適なホテルはないのではないか。
部分的にはあるだろう。たとえばラスベガスの高層階に宿泊すれば世界一の夜景が楽しめる。広いお風呂にも入れるかもしれない。
だからホテルは「寝られるだけで十分」と割り切っている。どうせ目を閉じればどこだって同じなのだ。安宿で十分だ。
マイカーほど快適なタクシーはない
観光地を移動するのに、僕はほとんど路線バスを使う。地元の人が使っているバスほど安上がりに移動できるものはない。やむを得ない時だけタクシーを使う。海外旅行ではタクシーほど快適な移動手段はないと言われる。バスにくらべると個室でスペースは確保されているし、目的地まで遠回りしないし、昇降客がない分、早く着く。しかしタクシーだってマイカーほど快適ではない。お気に入りの音楽は流せないし、第一、運転手にある程度気をつかう。停まってほしい場所に気軽に停まれない。旅は寄り道が楽しいのだ。「運ばれる」ということよりも「自分で移動する」ことの方が大事な旅のイニシエーションだったりする。
日本ほどうまいものを食える場所はない
世界中で日本ほど安くてうまいものを食える国はない。イタリアのピザよりピザーラのピザの方がうまい。日本のチーズフォンデュのイメージで本場スイスのチーズフォンデュを食べたらガッカリすること間違いなしだ。人間、先祖が食べてきたものがイチバンうまいのだ。
日本ほど日本人の口に合う食材を揃えた国はない。
諸外国には「馴染みのない熱帯フルーツ」を売っていることがある。これは大発見をしたと思って食べてみるとたいていガッカリする。
たとえば東南アジアの屋台で売っているシャカトウとかスターフルーツ。食べてみるとわかるが「決してうまくない」。輸入業者もバカではない。日本で売れるか吟味した上で輸入フルーツを決定しているのだ。オレンジやバナナやマンゴーやパイナップルの方が「売れる」と思ったから日本に輸入されたのである。国内でもハウスで栽培する人たちがいるのだ。
「売れる」というのは「うまい」ということである。単純に日本でよく見る食べ物は「うまいもの」だし、滅多に見ない食べものは「それほどでもない」と思っておおむね間違いはない。
ニューヨークで高いお金を出して有名店の支店に行けば別だが、アメリカなんかかわいそうなぐらいメシがマズいぞ。気の毒なぐらい庶民はマズいものを食べている。
日本ほど安くてうまいものを食える場所は世界中どこを探したってないのだ。
僕らが旅にでる理由
それじゃあどうして放浪の旅に出かけるのか?
そういう疑問が湧くだろう。そう思っているならずっと自宅にいればいいじゃないか、と。
それは「なぜ山に登るのか」と聞かれるようなものである。僕にとって登山は「生きている実感を体感できる」ものであるが、その意味はふたつある。
ひとつは、山の登っている最中の生きている実感である。滑落したら死ぬような壁に向かっている時、荒く吐く息、筋肉の熱の中に確かに生きている実感をおぼえる。肉体が感じる世界には確かに「生きている実感」がある。
もうひとつは、下界のすばらしさを実感するためである。山の上には何もない。下界にあるすべてがない。パソコンもない。ベッドもない。トイレもない。着替えもない。食べたいものもない。自由もない。
海外放浪旅もそれに似ている。不自由は自由を感じるために必要なものだ。抑圧は生きている実感のために必須の外的要因なのである。
いちばんすばらしいものはすべて無料
太陽、風、海、空、ジョギング、のんびりとした時間……旅の間でもっとも素晴らしいと思ったものはすべて「無料」だった。
人生においてもっとも素晴らしいものは誰もが平等にもっているんだなあ。
放浪の旅人として、つくづくそう感じたのである。