小麦アレルギーの人を、ものすごい不幸だと同情していた過去
なんてかわいそうに、と同情したことをおぼえています。小麦が食べられないんじゃ世の中のおいしいもののほとんどを食べられないじゃありませんか。
世の中のうまいものの大半には小麦が使われている
ラーメンもパスタも、ビザも総菜パンも、うまいものにはたいてい小麦が入っています。カレー粉にだって小麦が入っているのです。
子供が小麦アレルギーなばかりに、家族が小麦を食べられない制限を受けるなんて、なんて不幸なんだろうと当時は感じたものでした。うまいものがほとんど食えないなんて。
将来の自分の配偶者が小麦アレルギーだったら結婚をためらうレベルだよな、と正直いってそう思いました。だって食卓に餃子やウドンや焼きそばが上がることはないんですよ。それらは小麦でできています。たまにはケーキやシュークリームやクレープを食べたいじゃないですか。でもそれもダメ。皮やスポンジに小麦が使われているからです。
妻の体に異変が。小麦を食べると下痢するようになった
うちの妻は若い頃、たこ焼き屋でアルバイトをしていました。閉店間際に売れ残ったたこ焼きを持ち帰るのを家族中が楽しみにしていたそうです。もちろん本人も粉ものが大好きで、たこ焼き、お好み焼きは、得意料理のひとつで人一倍食べてきました。
私はランナーなので、マラソン本番レース前にはパスタでカーボローディングをするのが毎年のルーティーンでした。彼女と一緒にカプリチョーザに行って二人前のパスタを二皿頼んでたらふく食べたものです。
ところが最近、妻は原因不明の不調に悩まされていました。いつも下痢気味なのだそうです。その原因をYouTube動画で調べていたところ、ある医者ユーチューバーのサイトと彼女は出会いました。そのドクターが脱小麦のグルテンフリーを勧めていたので、ためしに小麦を抜いてみたところ、みごとに下痢が改善されたのだそうです。
グルテンというのは、小麦由来のたんぱく質のこと。グルテンフリーというのは、ほぼ小麦を抜くことと同意語だと思って間違いありません。
配偶者と一緒にグルテンフリー生活になったのだ
それ以来、彼女はグルテンフリーを積極的に実践するようになりました。食事から小麦を避けるようになったのです。よほど下痢がつらかったのでしょうな。
たとえばパスタは小麦ではなくお米由来、豆由来のものになりました。お好み焼きのようなものは食卓に上がらなくなったのです。
家族なので私も同じものを食べているから、とうぜん私の食卓からも小麦が消えました……おいおい、これってかつて衷心から同情していた、子供が小麦アレルギーのあの家族と同じじゃないか。
そう。いつのまにか私はかつて自分が同情していた側に、同情される側の食生活になってしまっていたのです。とほほだぜ。
グルテンフリーというよりは、セリアック病じゃないか?
そうしたら、てきめん下痢したそうです。
おいおいマジか。一緒のものを食べた私はなんともありません。そんなにてきめん下痢するっていうのは、もうグルテンフリーっていうレベルじゃねえぞ! それはセリアック病というアレルギー疾患じゃないか?
グルテンフリーっていうのは健康やダイエットのために、あえてグルテンを抜く人たちのことです。ベジタリアンとかヴィーガンに近いイメージの人たちです。
でも二八蕎麦で下痢するっていうのは、はっきりいって小麦アレルギーだと言っていいでしょう。セリアック病という立派な病名だってあるのです。ベジタリアンよりは花粉症とかアナフィラキシーショックに近いものなのです。
小麦を食べられない制限を受け入れる。やってみると、それほど悪くない
長距離走には肉を食べない食生活のほうがいい、という理論があります。
『BORN TO RUN 走るために生まれた』の内容、書評、感想そして矛盾点。
かつて私はウルトラマラソンに挑戦していた時、この理論の実践者でした。長距離走のためにあえて肉を食べませんでした。そのころ、妻は私のベジタリアン生活につきあってくれました。だから今度は私が彼女のグルテンフリー生活につきあうときなのかな、と思っています。
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(本文より)
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・ピッチ走法には大問題があります。実は、苦しくなった時、ピッチを維持する最も効果的な方法はストライドを狭めることです。高速ピッチを刻むというのは、時としてストライドを犠牲にして成立しているのです。
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・あなたはもっとも自分がインスピレーションを感じた「イメージを伝える言葉」を自分の胸に抱いて練習すればいいのです。最高の表現は「あなた」自身が見つけることです。あなたの経験に裏打ちされた、あなたの表現ほど、あなたにとってふさわしい言葉は他にありません。
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ブリトーとか、クスクスとか、若い頃とは違って今はもう世の中のおいしいものの大半は食べたという自信があります。今ではグルテンフリーも思っていたよりも同情されるほどひどい食生活ではないと感じています。もっともまだ若く人生これからって時だったらものすごく惜しい気がしたかもしれません。舌があじわうべきすばらしい経験のほとんどを捨てなければならないということですから。
私の目線から言っても、グルテンフリー生活はそれほど悪くありません。おいしいという味の経験とひきかえに、ダイエットにもなるということですから。いくらスナック菓子が食べたくても走るために控えるということは私にとっては普通のことです。小麦もそれと同じだと考えればいいのです。味覚の喜びと軽い体で走る爽快感とはいつもトレードオフなのでした。
もともとそれほど美食家というわけじゃありません。健康にいいのなら、すこしぐらい味なんか落ちてもいいと思っています。そんな私なので妻のグルテンフリー生活(小麦アレルギー)をすんなりと受け入れることができました。若い頃には人生の大不幸だと思っていた(自分の)家族の小麦アレルギーですが、ある程度年齢を経て実際に経験してみると、それほどのことはありませんでした。
この経験が皆さんの参考になれば、と思います。

