書物として、文章が超一流。クリストファー・マクドゥーガルに脱帽
このページでは『BORN TO RUN』の書評をしています。本ブログの中にはたびたび登場している本書ですが、まとまった書評はこれまでしていませんでした。
わたしが本書に感銘を受けるのは、一に作者クリストファー・マクドゥーガル氏の物書きとしての実力の高さ、二に翻訳者の翻訳力の高さ、です。
この手の外国の書物は、翻訳者の訳し方しだいで良くも悪くもなります。ところどころスペイン語を残した名訳が、メキシコの現場の雰囲気を残した意味でも秀逸で、翻訳した近藤隆文氏に拍手を送りたいと思います。
このページでは赤字が本書『BORN TO RUN』からの抜き書き、青字がわたしの感想、そしてわたしの考え方を書いたページをリンクを貼って飛ぶようにしてあります。
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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『BORN TO RUN』書評、感想、内容
「最良の走者は跡を残さず」はとらえがたい公案ではなく、現実の、具体的な、トレーニング上のアドバイスだったのだ。
われわれは怖くなると走り、有頂天になると走り、自分の抱える問題から走って逃げ、楽しい時間を求めて走り回る。
ストレスの緩和や官能的な喜びという点で、ランニングはセックスよりも先に人生で経験するものだ。装置と欲求は工場出荷時にインストールされている。
スポーツ選手は脳筋バカか? マラソンは受験、セックスに似ている
「アフリカで毎朝、一頭のガゼルが目を覚ます。そのガゼルはいちばん速いライオンに走り勝たなければ、殺されることを知っている。アフリカで毎朝、一頭のライオンが目を覚ます。そのライオンはいちばん遅いガゼルよりも速く走らなければ、飢え死にすることを知っている。ライオンであるかガゼルであるかは関係ない。日が昇ったら、走ったほうが身のためだ」
彼等の本当の名前は“ララムリ”走る民族だ。グダグダと議論するのを嫌って走り去った。もっとも健康な人々がもっとも粗末な食事をし、無学な民族が誰よりも賢く、もっとも勤勉な男たちが一番楽しんでいる。
クルミも割れそうなほど固くこわばっていた私の身体
世界の終わりをつける大爆発が凍りついて石と化したような光景。失われた惑星の裏側。深さはおおよそ……限りない。自ら独房にこもる日々。追う側にとって地獄となるものが、追われる側にとって天国であるはずがない。
天国と地獄。日本のダンテ『神曲』と言えば源信の『往生要集』。日本人の地獄観を決めた作品
イエズス会の宣教師たちはインフルエンザを肺に抱えて現れ、永遠の命を約束する一方で人々をつぎつぎと即死に追いやった。
人間には二種類しかない。トラブルを起こすものと、トラブルを逃れて走るもの。
おまえたちが生きているのは、お父さんが走って鹿を捕まえられる身体、おじいさんがアパッチ族の軍馬よりも速く走れたからだ。
いまはもうイエルバブエナにランナーはいない。
書籍『市民ランナーという走り方(グランドスラム養成講座)』まえがき
ララジパリこそタラウマラ文化の核心だ。いつ終わるかわからない。コントロールすることはできない。適応するしかないのだよ。
ララムリ族のララヒッパリ(タラウマラ族のララジパリ)。たいくつな林道散歩には日本人にもおススメのクリケット(クリヒッパリ)
無人島にひとつだけ食料をもっていくとしたら……自家製のレッドブル。チアを食べ続ければ、数か月後には泳いで家に帰れるだろう。
『ロビンソン・クルーソー』人生を「買う」という行為だけで終わらせないために
ターミネーターを酸の大釜で溶かせばカバーヨ・ブランコができあがる。
ウサギの匂いを嗅ぎつけたオオカミのごとく、いつでも走りだせる状態でいること。
老人ホームで死んだ方がいいという者はいなかった。人は自分の期待に沿って生きるんだ。
ミケランジェロ『ロンダニーニのピエタ』。天才も老い、すべては未完成に終わる
アーネスト・ヘミングウェイも、酒場にフィッシャーがはいってきたら黙って床にひれ伏しただろう。フィッシャーは計画を練りつづけた。大失態への道を着々と進んでいるとも知らずに。
大きすぎる欠点はレッドヴィルのレースが開催される場所があいにくレッドヴィルだということにあった。別の惑星も同然だった。
【四万十川ウルトラマラソン】超長距離の走り方と心の持ち方(グランドスラム達成)
誰だって指を突きつけようなどとは思わないだろう。死ぬほど酔っているか、死ぬほど真剣でもなければ。
ほぼ全住民の給与がその道連れとなっていた。
残された市民はマイナーリーグの外野席さえ埋めることができなくなっていた。
彼がどんなものを思いついたかは、口に靴下をつめたままボストンマラソンをつづけて二回走り、さらにパイクス・ピークに登頂してみるといい。
この教団は乱交パーティーとエクストリーム・トレイルランニング、手ごろな料金の清掃業を通じて涅槃を追い求めている。
エイハブ船長にも似たフィッシャーの性格
これほど異様なまでに……普通の顔をしている者は。けろっとしている。
リラックスランニング。脱力とピーキングが謎のベストタイムの理由
彼等は地面と一緒に移動しているように見えた。まるで雲、いや山間を移動する霧のように。
人混みの中で彼女を見つけられるという人がいたら、それは彼女の夫か嘘つきのどちらかだ。誰かが号砲を放つまでは。おとなしい新聞記者クラーク・ケントが眼鏡をはずして深紅のケープを身にまとうのを見るのに近い。
日々の牢獄から抜けだす楽しさが病みつきになった。
堀江貴文『刑務所なう。』最も自由な奴は、最も不自由な場所にいる!
あなたはクラック中毒じゃなくて、エンドルフィン中毒だ。
自分の身体に対して感覚を研ぎ澄ますこと以上に官能的なことなんてある? 官能的というのはロマンチックということでしょう。
蒸し暑さの中でふらつき、焼きたてのマフィンに挟まれたような気分を味わっていた。摂氏四二度を超える日に水のボトルを携帯するのは名案かもしれないとは考えなかった。
トウモロコシを栽培せねばならず、もう一度遊びで走るような暇はなかった。
野菜嫌いだった。食べ物の好き嫌いがなおらない子は、人間の好き嫌いもなおらない
ひとつマーカー(道標)を見落としただけで、コースに戻るまで何マイルも暗闇をさまようことになりかねない。
ナイキの資金を後ろ盾にした刺客だった。
厚さは速さだ。厚底ランニング・シューズ「ヴェイパーフライ」のメリット・デメリット
夜は酷寒、昼は焦熱のため。
レースは仲を引き裂くというよりも、むしろ団結させる。タラウマラ族はレースを友情の祭りとみなしていたのに、フィッシャーは戦場とみなしていたのだ。
彼の頭はランニングの伝承を集めた議会図書館だった。その知識の多くはこの地上から消え、彼の記憶にのみ残っている。
例年、女性の九〇パーセントが完走の証しであるバックルを持ち帰るのに対し、男性の五〇ハーセントは言い訳を考える羽目になる。なぜレースが長くなると、男女のチャンピオンの差が縮まるのか。
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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きわめて重大な決断を下そうとしていた。彼の人生と、願わくは数百万人の人生を一変させる決断を。
運命に導かれる生き方をしよう。失意の場所で、今まで以上の幸せを探すことが運命を生きること
マジシャンが煙の奥から現れるように。
これは破滅にいたるスピードだ。
必要もないのに追う立場を放棄してはならない。
ライオンは負けてもまた別の日に狩りをすればいい。でもレイヨウは一度しくじったら終わりだ。
森の中の変人たち。ウルトラランナーには騙す理由がなかった。得るものなど何ひとつないからだ。優勝しても、もらえるのは最下位の完走者と同じベルトバックルのみ。
ウルトラマラソンは旅。才能とか体質とかではなく「慣れ」で完走できる
タラウマラ族を理解できれば、あらゆる人に何ができるかを知ることになるのだ。
身にまとったケープのように、軽やかに舞っている。
陽気なイエティの部族のように宴を楽しむ。
ペーサー役はたいへんなだけで報われないため、普通は家族かお人よしか大の親友でもなければ誘いに乗らない。
あのブルハ(魔女)をベナード(鹿)みたいに追い詰める。少しづつ。
誰もがだ。誰も笑っちゃいられない。
あんなふうに楽しめるとは。まるで死へと向かうランニングこそが生きている実感を強くするかのように。
つま先を上ではなく下に向けている。背筋を伸ばして腹で走れ。
誰かに本気でこんな走りをしたいと思わせるにはどうしたらいいのか? われわれを生まれながらのランナーへと還す内なるスイッチはどうやって入れるのか。
走ることは人類最初の芸術。稲妻が走り、光が交錯する——そう、走る人類(ランニングマン)だ。
人は食べるために走り、食べられないように走った。
走ることを愛さないわけにはいかず、さもなければ、生きてほかの何かを愛することもなかっただろう。
走ることは太古の祖先から遺伝子に組み込まれてきた宿命なのだ。われわれは走るために生まれた。走るからこそ生まれた。誰もが走る民族なのであり、それをタラウマラ族は一度も忘れたことがない。
走って、食べて、寝るだけだった。のけ者にされた孤高の部族だった。われわれは一緒に走るのが好きだった。楽しかった。つらくなんかなかったよ。
おまえの心にはふたりの女神がいる。知恵の女神に心をささげ、愛し、気持ちを向ければ、富の女神が嫉妬して、おまえを追いかけてくる。
失うもののないザトペックは、どんなことにも挑戦する自由があった。
誰でも知っている。誰でも、つまり、エミール・ザトペック以外は。
彼にとってレースはパブめぐりのようなものだった。ザトペックはへき地出身の、頭髪の薄い、自己流で走る三〇歳のアパート暮らしだった。
質問するほどの間抜けなら、どんな答えを返されても真に受けるだろう。
トラックに殺到した世界各国の選手たちからも歓声が飛んでいた。チームメートはひと足遅く、すでにジャマイカの短距離走者たちが彼を肩に担ぎフィールド内をパレードしていた。ザトペックは勝ったときにほかのチームにも喜ばれるような走り方を見つけたわけだ。いくら報酬を支払っても、このように喜びが伝染する走り方をさせることはできない。
書籍『市民ランナーという走り方(グランドスラム養成講座)』あとがき
情熱、友情、人生への愛がその一挙手一投足から輝きだしていた。今も昔も、エミール・ザトペックほど偉大な人物はいない。
ザトペックは偉大な人物で、たまたま足が速かっただけなのか、それとも走ったからこそ偉大な人物となったのか? 愛する能力と走ることを愛する能力にはなんらかの関係がある。セックスとスピード
ふと不滅の感覚で胸がいっぱいになった。単なる走り方ではない。生き方、我々人類の本質、われわれの定めだ。
アウトドアのメリット。人間は、自然とひとつになってはじめて永遠であり、真理である
あらゆるトラブル——暴力、肥満、病気、憂鬱、欲深さといった克服できないものすべて——は、走る民族として生きることをやめたときにはじまったのだろう。
で、きみは何者なんだい? どうやって稼いでるかって? 金持ちがやりたがらないことをかわりにやるのさ。
友マルティマノが見つかる可能性はシャクルトンの南極大陸からの帰還といい勝負だった。
大型連休の大渋滞に巻き込まれない方法。車中泊大遠征・東北地方桜旅
金こそもっていないが、貧しいものはひとりもいない。
時間をかけるつもりはなかった。とにかく飛び込み、あとはうまくいくよう祈るのみだ。
ランニングシューズを捨て、サンダルだけを履くようになった。
背中は脊椎のきしむ音が聞こえそうなくらいまっすぐに。
走りの技術。ヤジロベエ走法。腰椎の一点で上半身のバランスをとる走法
一歩でいくか二歩でいくか迷ったら、三歩でいけ。
楽に、軽く、スムーズに、速く、と考えるんだ。
『楽に、軽く』が究極の正解。なにも本番レースで筋トレすることはない。筋肉でなく骨格を意識する
Eメールアカウントを手に入れ、外の世界にメッセージを発信し始めた。
夢以外のすべてに背を向け、走るのに絶好の場所へ帰っていくのだ。たったひとりで。
貧乏人になったつもりで食べることだ。質素な暮らしをして身体とともに魂を鍛える。
はじめての車中泊。初心者向けのイントロダクション・ガイダンス。必需品と注意点(実際の例)
その人物は偽名を使い、いちばん親しい友人は洞窟に暮らしてネズミを食う人たちで、その友人たちからもあやしい男と思われているのだから。
ひどくあやうい生活を送っていた。いったん走りに出たら、それが最後となる可能性はつねにある。発見されることはないだろう——ついでにいえば、惜しまれることもない。
走ることは彼の人生で唯一の快楽であり、それをトレーニングというよりグルメ料理のように味わっていた。
手紙を入れた瓶が岸に流れ着くのを待つのに似ている。メンテナンスはよくいってきまぐれだった。
ここで望めるのはせいぜい自分の靴に嘔吐するのを避けることぐらいだ。
疲労から逃れようとするのではなく、しっかりだきしめることだ。疲労を手放してはならない。相手をよく知れば、怖くはなくなる。
ディープ・ティシュー・マッサージ(深部組織マッサージ)について
何かを真に征服する唯一の方法は愛することなのだ。
まるでジェットエンジンの爆風に向かって走っているようだ。
フライト時間の変更で飛行機に乗れなくなった場合は全額返金されるのか?
過去の英雄たちには触れることができない。彼等は要塞のごとき時の扉によって永遠に護られている。
まるで期待されていない。だからこそなんでも試すことができる。六〇年代のロックミュージシャンと同じだ。貧しく、誰にも相手にされず、周囲の期待からもタブーからも自由な存在。
彼女はひたすら走っている。走り、そして笑っている。彼等はボディーアーティストであり、人間の耐久力というパレットと戯れている。
長い距離を走っていると人生で大切なのは最後まで走り切ることだけって気がしてくる。あるのは純粋な流れだけになる。
ジェンはビート詩人をひどく崇拝し、大学ではクリエイティブライティングを学ぶつもりだった。
ママの考えだとあなたは連続殺人鬼でわたしたちを砂漠で殺すつもりなんだって。それくらいのリスクはあって当然。で、どこで落ち合えばいい?
大きな可能性から浪費された才能への橋を渡ったかと思われたそのとき、素晴らしいことが起こる——腰を痛めたのだ。
ミケランジェロ『ロンダニーニのピエタ』。天才も老い、すべては未完成に終わる
おそらくクレジットカードを使えば直せるだろう。
シューズが遮るのは痛みであって衝撃ではない。裸足はまちがいなく一八九〇年代のスポーツウェアとして認められる。
まるで熱帯雨林で樹木の葉をかき分けた先にアマゾンの秘密の部族を発見したかのような成果があった。
これは自己補正装置なんだ。(厚いソールは)煙探知機の電源を切るようなものだ。
マルセリーノ。彼は死んだ。何者かに撲殺された。山道で殺されたんだ。首と脇を刺され、頭が陥没していた。
クッション材や運動制御機能のかわりに足の力を頼りにするという発想。
ベアフット・テッドの小さな一歩が、人類に多大な利益をもたらす可能性があるのだ。
人間を健康にする特効薬があるとすれば、それは走ることに他なりません。
全員同じものを好んでいたからだ——何も履かないことを。
われわれは足を自然な状態から遠ざけてきたんだ。人は何千年もシューズなしで過ごしていた。裸足になって足を鍛えれば、足底筋膜などに問題が生じるリスクは減るだろう。
この場合リスクというのは適切な表現ではなく、むしろ絶対の確実性といった方が近い。
足はこき使われるのが好き。
ヘルメスの靴。足についた宙に浮くためのバネ(足底アーチとアキレス腱)
どうしてけがをしない脚になるのだろうか? ある魔法の成分、つまり恐怖のためだ。彼らは本能的に安定性を求めていた。着地面が柔らかいと感じると、バランスを確保するために強く足を叩きつけるわけだ。クッションつきのシューズで走れば、足は硬い安定した踏み台を求めて靴底を突き抜けようとするはずだ。
『バトル・ロワイアル』クラスメイトの殺し合いは何かの比喩。人生の縮図
買えとすすめる者とそれを売る者が同じ。
【マーケティング】時代のうねり。トレンド。流行。ミーハーが世界を回している
クレイジー・フット実験。意図された通りの履き方をしなくても平気だとしたら、結局その設計はそれほどたいしたものではないのではないか。そもそもランニングシューズはなぜ必要なのか。
足の中心となるのは土踏まずのアーチだ。押し下げれば下げられるほどアーチの各部分はぴったりと噛み合うのだ。有能な石工ならアーチの下に支えをつけるような真似はしない。下から押し上げれば構造全体を弱めることになるからだ。シューズを履くのは足にギプスをはめるようなものだ。徹底的に使い込めば虹のように見事な弧を描く。支えをすればその部分は弱くなる。たくさん使えば、そのぶん強くなるのだ。
背筋を伸ばし、膝を曲げ、腰の真下では足が地面を後ろに掻くようにして走っていた。他に選択肢はなかった。
多くの場合、シューズの構造が足の自然な動きを一変させてしまう。
「メイク・マネー」ナイキは大量のゴミをばらまいている。
裸足をもとに金を稼ぐ方法を見つけること——きみの足はきみの土台だ。ナイキフリー。裸足で走れ。
技術ドーピング問題。スラップスケート。レーザーレーサー。ロードバイクのフレーム。厚底ランニングシューズ
土埃と汗の塩で部族の化粧を施されていた。
マラソン酒宴——警察もない社会では欲望を満たし恨みを晴らす場がなくてはならない。
自分のことさえたいして心配しない男の手に命をゆだねるのは、どうかしているのではないか。
地面スレスレに足をはこぶ。
頂上が見えなければ、歩け。歩くことによるロスは下り坂で飛ばせば挽回可能だ。坂を駆けあがっても下りで息が切れたら報われることはない。
【走力の差ではなく装備の差】ウルトラマラソンは距離でなく気候に負けることがある
稲妻のようなつづら折り、荒れた地面は人間が発明したものじゃないよ。
エンデュランスアスリートについて調べれば調べるほどつぎつぎに菜食主義者たちが見つかったのだ。日本のマラソン修行僧は七年にわたってウルトラマラソンを走り、その間、味噌汁、豆腐、野菜しか口にしないらしい。
クリフ・ヤングも豆とビール、オートミールだけを食べてその偉業を達成した。穀物とジャガイモに切り替えるとぐっすり眠れるようになり、おまけに走るのが得意になったという。
ウサギとカメ走法【ヤング・シャフル走法】『ゴビ』僕と125キロを走った、奇跡の犬
原因はよくわからなかったがまずは結果を信じ、科学的な解明は後回しにしようと考えた。
どんな秘訣があるんだ? どうやってこの男を鍛えなおした?
スピードは肌をくすぐる風の強さで判断。
人は走るのをやめるから歳をとるのだ。
長距離走は世界ナンバーワンの参加型スポーツ。
人に聞くとたいがい「走り方は人それぞれ」って答える。おかしな話だ。泳ぎ方は人それぞれかい?
スピード練習しなければ、スピードにふさわしいフォームは身につかない。動的バランス走法
誰もが走るようにできている。
ヨガをやっている知り合いのランナーはみんな故障持ちだ。
足はつねに身体の真下にあって、腰は真っすぐ前方に向かい、踵の出る幕はなくなる。
足は身体の真下に着地し、そして押し返す。
きみはおのずと完璧なフォームになる。前足部でさっと接地して尻に向かって蹴り返すはずだ。
古代のアートを再発見したのだと確信し、自身のスタイルを“進化走法”と命名した。
ハリケーンに向かっていくかのように前傾姿勢になっていた。
小石に覆われたトレイルをつま先のあいたサンダル履きで爆走しようとしても、スロットルを全開にしたい気持ちはすぐに失せるだろう。無謀な速さでいい加減に走り出した瞬間、痛みがむこうずねを駆けあがってペースを落とすことになる。
スピードがあるというのは、足で立つ時間が少ないということだ。
脇腹の一四キロ近いスペアタイヤがどれだけ私に影響を及ぼすかは想像にかたくない。少なく食べることだ。貧乏人のように食べれば、かかりつけの医者と会うのはゴルフ場だけになる。
快楽のランニング・ダイエット。アドレナリンが血糖値を上げ、食欲を抑える
運動によって乳がん再発のリスクは最大五〇パーセント減少することが明らかになっている。原材料が植物なら食べるし、動物なら食べない。
最初の難題は崖の縁で生き伸びることであり、あの球戯は不確実性の訓練にほかならない。
坂道トレーニングは偽装したスピードワークだ。
有酸素運動が強力な抗うつ剤であることはわかっていたが、これほど気分を安定させ、瞑想にふけらせる力があるとは知らなかった。
若き科学者はみずからの運命が見つめ返しているのに気付いた。あれは火を起すふいごのように空気を出し入れして、ウサギの肺をターボチャージするレバーに違いない。ウサギの死骸を調べて生命の歴史に見つめ返された日に考えたとおり、進化の中心には空気があるように思われた。
全集中の呼吸「トランポリン呼吸法」腹圧をかけるマラソンの呼吸術
腹筋はなにか強固なものに錨を下ろす必要があるため、船の帆が桁につながれるように腰椎に結びつく。……腰椎が頑丈で動かないからではなく、伸びやすくて動くから。収縮するからなのだ。
ボディーブローで呼吸はとまる。着地衝撃から横隔膜を守るマラソン呼吸法
いちかばちか安全な場所へ飛び込まなければキャットフードにされるのだ。少なくともしばらくのあいだ、さらに敏速になる必要がある。スピードをもたらす要素はたくさんあり、ジャックウサギはそのほとんどを追っ手となる猛獣と共有している。
問題はどれだけ速く走れるかではなく、どれだけ速く走り続けることができるかなのだ。
『速く走るコツ』マラソンフォームは100m走に学べ。走っている時の入力ワードを変えるだけで、速く走れるようになる
空気がなくなれば、スピードもなくなる。ガス交換がうまくいけばいくほど、トップスピードを長く維持できる。空気だ。われわれの身体で大事なのは空気を取り込むことだ。
人間は走ることが得意どころか、大の苦手だ。
あまりにひ弱で戦うことはできず、あまりに遅くて逃げることはできず、あまりに貧弱で子供をつくるためのパートナーを惹きつけることもできない。
勉強ができるよりも、異性にモテる方が、よっぽど人生を幸せにする
生死を分かつ優位性……それは強さではない、武器でもない、知性でもない。
われはれはスピードと強さを同時に手放したりするのか? ……ただし、かわりに驚くべき何かを手にしたのなら話しは別。
人間は走る動物として進化した。
アキレス腱、土踏まず、項靭帯、これらは人間にあってチンパンジーにはない。尻の役目は上半身の動きにつられて顔面から転倒するのを防ぐことにある。
偉大なランナーにはふたつの種類がある。スプリンターとマラソン走者だ。
ランニングとは、じつは一方の足からもう一方の足への跳躍にほかならない。
走りとは何か? ジャンプしない走りなんて、走りじゃない。足はしかたなく着いているだけ
(チーターやウサギなどは)前足が接地するたび、胃腸が前方の肺に食い込み、空気を吐き出させる。つぎのストライドのために身体を伸ばすと、内臓は後方にスライドし、空気を吸いだすのだ。ただし肺活量を増大させるこの動きには代償がともなう。チーターは一度のストライドで一呼吸しかできない。すべての走る哺乳類が一歩進み一歩呼吸するという同じサイクルにしばられていたのだ。例外は全世界にひとつだけだった。あなただ。
毛皮に覆われた動物はもっぱら呼吸によって涼をとり、体温調節システム全体が肺に託されている。体内に蓄積された熱を口から吐きだしきれなくなった場合、動きを止めなけば死ぬしかない。
汗腺が数百万もある人間は、進化の市場に現れた史上最高の空冷エンジンだ。
二〇マイル走れたところで、最初の二〇秒で鹿を見失ったり、一〇秒で虎につかまったりするなら、何の価値もない。スピード本位の戦場で持久力が何の役に立つのか?
首のすぐ上という特異な位置にある人間の頭部が、超高層ビルの風揺れを防止する屋上の重りに似た働きをしているという自説を検証するためだった。走るのがうまくなったのは、頭が膨張して安定が増したからなのだと。
走りの技術。ヤジロベエ走法。腰椎の一点で上半身のバランスをとる走法
短距離なら鹿の方がずっと速いが、ジョグでは我々の方が速い。バンビが酸素負債に陥りつつあるとき、我々はまだかすかに息を弾ませている程度なのだ。あなたが夏の日に一〇キロ走ることができるなら、おめでとう、あなたは動物界における必殺兵器だ。われわれは走りながら熱を発散できるが、動物は疾走しながら激しくあえぐことはできない。
マラソンの極意。複数のフォームを使い回す。フォームは決めつけない。臨機応変に変える
中年の教授でも暑い日には犬に走り勝てるなら、やる気に満ちた狩猟採取民がオーバーヒートしたレイヨウを相手に何ができるか、考えてみるといい。
筋肉に覆われたネアンデルタール人はマストドンを追って死にかけた森へ、忘却の淵に分け入っていった。
持久狩猟の現物を示さなければならない。見たことがあるという人さえ見つからなかったんです。失われた技芸の魅力がスコットの心をつかんで放さなくなったのだ。
動物追跡の技術こそ、科学の起源だったのかもしれない。
まったく知らなかった。でもそれがどうした? ルイスは肩をすくめ、仕事に取りかかった。いったん腰を落ち着けると、無職の親戚のように振る舞い、つづく四年間、ブッシュマンのもとに居座ったのだ。
時間との競争に敗れつつあることに気づいた。
かたくなに自由と独立にこだわり、
サバイバルに勝る教師はいない。
【究極の走り方】あなたが一番速く走れる方法はあなたの肉体が一番知っている。
目下の問題と想像上の状況のあいだで絶えずタップダンスをしていた。
走りながら回復を図る。走ることは歩くことと変わらなくなっていた。一日を通して軽い食事でがまんし、満腹になるのは控え、つねに喉を潤しておき、毎日をレースの最中のつもりですごすようになった。
リラックスランニング。脱力とピーキングが謎のベストタイムの理由
走ることはわれわれの種としての想像力に根ざしていて、想像力は走ることに根ざしている。言語、芸術、科学。スペースシャトル、ゴッホの『星月夜』、血管内手術。いずれも走る能力にルーツがある。走ることこそ、我々を人間にしたスーパーパワー——つまりすべての人間が持っているスーパーパワーなのだ。
平成ナンバーワンの名作ゲーム『クロノトリガー』評価。省略の芸術。クリエーターの旬の時期
あるのは一心不乱に走り、協力し合うことだけだ。人間は最も共同生活に向いていて、協調性がある。唯一の防御策は団結することだ。走ることは人間にしただけではない、よりよい人間にしたのだ。
身体は動かすためにつくられているが、脳はつねに効率を求める。警察もタクシーもドミノピザもない世界に住んでいた。生きのびるためにはタンクに燃料を残しておくしかない。身体を楽にするようけしかける古来の生存本能。
医学もなかったが、ひとつだけ特効薬があった——あるいは博士が立てた指の数から判断すると、ふたつ。ピースサインをつくり、それをゆっくりと回転させて下向きにし、宙で指を交互に動かす。ランニングマンだ。脚を動かせばいい。
二度と我々を名前で呼ばなかった。スピリットアニマル。スコットは「エル・ベナード」。
トレイルランの王者スコット・ジュレクの『EAT&RUN』書評
奇妙な感じがするのだ。二〇〇〇年に及ぶ文化の隔たりがあるこの二人は、同じランニングスタイルを身に着けている。彼らは歴史の両端からその芸術様式に接近し、真ん中で出会ったのだ。
逆説のランニング。ストライド走法の極意「ハサミは両方に開かれる走法」
ランニングの全貌——それはそろいのフォームというより、そろいの笑顔だった。
人が競争をするのは相手を打ちのめすためというわけではない。一緒に過ごすためだ。ランニングで得られる喜びとは、仲間に加勢する喜びにほかならなかった。他人のことを考えれば、自分という枠を簡単に脱却できる。
民族のために競争するのでないとしたら、何の意味があるだろう。
だが、ベアフット・モンキーの見立てはちがったらしい。新品の“エア・ルナ”を履いて試走することにこぎつけた。このときからテッドとマヌエル・ルナは切っても切れない仲になる。彼がワラチつくりの手伝いをマヌエル・ルナに頼んだのは偶然ではないのだ、と私は気づいた。
ハイ・シエラズの孤独な放浪者はついに荒野から姿を現し、友人たちに囲まれていた。
さあ、一日中踊りまくるぞ!
頑張っているなと思ったら、頑張りすぎているということだ。
互角に渡り合うには、いちかばちか勝負するしか望みがないとわかっていた。当たって砕けるなら、しかたがない。
追走集団チェイス・パック
集団の前に出ないレース戦略『マラソン・プロトン戦法』について
スコットはアルヌルフォに歩み寄り、一礼した。
夜が明けたら、みんな散りぢりに帰っていく。ここで共有したものを忘れてほしくない。
ほんの数か月前まで山頂で瞑想するホームレスのヒッピーだったのが、いまや頭で建築用ブロックを割ってみせる武道家との対戦にかつぎだされようとしている。
その会話が終わるずっとまえ——浮気のことや、彼を捨ててほかの男のもとに走り、シアトルに戻るプランを彼女が話し終えるずっとまえ——に、マイカの頭の中で疑問が飛び交っていた。彼女ではなく、自分への疑問が。全米に放映されるテレビで男の顔をめちゃめちゃにした。それはなぜだ?
もう引退することに決めたんだ。
シヴォレーのピックアップトラックが我が家になった。夜は寝袋にくるまって寝台で寝た。昼は引っ越し業者の仕事をした。合間の時間にはひたすら走った。
生きているのは幸運ですよ。それはひとつの見方にすぎなかった。貧しさと自由は自分で選んだ生き方だったが、死ぬときもそうありたいだろうか?
この星から跡形もなく消えることを恐れない。
年を取って働けなくなったら、ジェロニモが解放されたらやったはずのことをやる。渓谷の奥へと立ち去り、静かな場所を見つけて横になるのさ。
自分の選んだ人生ではいつか、最後の失踪が必要になる。
だからみんなとまた会えるかもしれないし、会えないかもしれない。
持久狩猟は肉食。菜食主義の文脈とは矛盾する。
『BORN TO RUN 走るため生まれた』という本には「菜食にすると長距離走に強くなる」という理論が登場します。「はだし感覚シューズ」「人類は走ることで進化した」と並んで、この本の核心理論のひとつです。
たとえば、「エンデュランスアスリートについて調べれば調べるほどつぎつぎに菜食主義者たちが見つかったのだ。日本のマラソン修行僧は七年にわたってウルトラマラソンを走り、その間、味噌汁、豆腐、野菜しか口にしないらしい。」
と千日回峰行者について語っていますし、
「クリフ・ヤングも豆とビール、オートミールだけを食べてその偉業を達成した。穀物とジャガイモに切り替えるとぐっすり眠れるようになり、おまけに走るのが得意になったという。」
わざわざヤングシャフル走法まで持ってきて理論武装しています。スコット・ジュレクもアルヌルフォも菜食主義者でした。クリフ・ヤングや、エミール・ザトペックなど肉をやめて長距離走に強くなった人たちがたくさん紹介されています。
『BORN TO RUN』は、走るため生まれた、という副題があるとおり、人間を人間たらしめたのは走ることではないか、という壮大なテーマが展開されます。たとえば、
「首のすぐ上という特異な位置にある人間の頭部が、超高層ビルの風揺れを防止する屋上の重りに似た働きをしているという自説を検証するためだった。走るのがうまくなったのは、頭が膨張して安定が増したからなのだと。」
走りの技術。ヤジロベエ走法。腰椎の一点で上半身のバランスをとる走法
人類は短距離奪取をしたら猫にも負けるが、長距離走を走ったらライオンよりも強い。長距離走こそが人類の武器だったのではないか。とされているのです。そして持久狩猟という方法が提起されています。持久狩猟とは獲物を追って追って追いかけて獲物がばてるまで追いかけて狩猟するという方法です。長距離ランナーにしかできない狩猟法です。
でも……なにか矛盾を感じませんか?
持久狩猟で追いかけるのは動物の肉をとるためです。要するに持久狩猟の先にあるのは肉食なんですよ。菜食ではありません。
『BORN TO RUN』では、人間は走ることで進化したという根拠として持久狩猟(肉食)を挙げています。と同時に、その持久狩猟に必要な長距離走の強さは「菜食」でこそ手に入ると主張しているのです。
この矛盾、読み込んでいる者しか気づかないと思います。他の誰も指摘していないので、わたくしアリクラハルトがいちおう指摘しておきます。
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※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。
「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」「かかと落としを効果的に決める走法」
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
●腹圧をかける走法。呼吸の限界がスピードの限界。背の低い、太った人のように走る。
●マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
●究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。
星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。
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