鴨長明『方丈記』出家隠者の呟き文学
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
この冒頭で有名な方丈記は、1212年に書き上げられたといいます。世を捨てて出家した人の書き残した隠者文学です。
× × × × × ×
このブログの著者が執筆した純文学小説です。
「かけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。むしろ、こういうべきだった。その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と」
「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
本作は小説『ツバサ』の後半部分にあたるものです。アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
× × × × × ×
平清盛と同時代を生きた鴨長明の著書。平清盛が工事を急がせるあまり太陽を扇で招き返した伝説の福原遷都が作中に登場します。
鴨長明が存命中に現実に起こった大火事や突風、遷都、地震によって京都の家屋は燃えたり、倒壊したり、放置されたりしました。盤石に思われた家屋ももろいものでした。まるでよどみに浮かぶうたかたのように。
どんな場所に、どんな家に住めばいいのか?
出家した鴨長明は考えます。そして悟りました。
粗末な四畳半ほどあれば、十分ではないか、と。これが方丈の庵です。そこで書いた記録だから方丈記というんですね。
出世をのぞみましたが叶わず失意の出家でした。鴨長明は方丈庵で仏教を追求しながら静かに生きていこうとします。人里から離れているので、花鳥風月だけが刺激です。平安をのぞみ、うれいがないことを楽しみました。それほど大火事や嵐、遷都、地震や出世の失敗が痛手だったのでしょう。人生のいちばんの楽しみはうたたねをすることでした。いちばんの満足は四季折々の美しい景色を眺めることでした。
人を恨まず、恐れず、すべてを天に任せて思いわずらわない。聖書の一節にそっくりです。仏教も同じような境地を理想としました。宗教って似ているところがありますね。
出家したのに、俗世間のことから心が離れず悟りきれないままに、方丈の庵の暮らしを愛して、つつましく暮らした出家隠者の呟き文学でした。
吉田兼好『徒然草』。宮勤めを定年までこなし、退職後に雑記ブログをはじめた人
つれづれなるままに日くらし、硯にむかひて心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
この冒頭で有名な徒然草は、1349年に書き上げられたといいます。こちらも世を捨てて出家した人の書き残した隠者文学です。
著者は吉田兼好。方丈記の鴨長明のように失意の隠遁ではないようです。今でいうと宮勤めを定年までこなし、退職後に雑記ブログをはじめた人……という感じでしょうか。
方丈記がほとんどひとつのこと(人生は無常。家など方丈の庵でじゅうぶん)しか述べていないのに対して、徒然草は随筆らしく様々なことについて論評されています。どうすればうまく人生を生きられるかを書いた教訓本でもあります。心静かな暇を楽しみたいとしつつも、親しい友だちが訪ねてきたらいいな、とか、けっこう忙しくいろんなことを考えています。さすが雑記ブロガー!
石清水八幡宮を見ないで帰ってきちゃった男
石清水八幡宮に参拝しに行ったら、ふもとのお寺に満足して、山の上にある肝心の石清水八幡宮を見てこなかった僧侶のエピソードが収録されています。
実は私もはじめて伊勢神宮に行った時、外宮だけ見に行って、内宮を見忘れた経験があります。
日本武道館にはよくコンサートに行っていたのですが、靖国神社が武道館の目の前にあるとは長く知りませんでした。
私が放浪の旅で地図を見ながら歩くのは、この「石清水八幡宮」を恐れるからです。大通りの一歩裏道に超メジャーな観光地があったりします。地図を見ないで歩くと「トレビの泉」や「真実の口」を見逃して歩くことになるのです。気の向くままに歩くのはオススメしません。地図を見ながら歩く方が得るものがありますよ。
沢木耕太郎のように地図も見ないで気の向くままにふらつくといった割り切りはできません。もったいないから。
いちばん行きたいところから行く。いちばんおいしいものから食べる
大事なことをなしとげようと思ったら、雑事はすべて捨ててしまえ、というのも徒然草の主張です。今やっていることを片付けてから……と人は結局、最重要事項に手が回らないのです。先に寿命が来てしまうから。人生のコツは「いちばん行きたいところから行く。いちばんおいしいものから食べる」だということです。
「いちばん行きたいところは最後に行く。いちばんおいしいものは最後に食べる」こういうタイプの人がよくいますが、吉田兼好は「違うだろ!」とツッコんでいます。
人の命は雨が止むのを待ってくれるわけではない。火事の時、しばらく待とうとはいわない。ひとつのことをやりとげようとしたならば、ほかのことがだめになるのを嘆いてはいけない。思いたったらすぐにやることだ、というのが兼好法師の主張です。
世の中は不確かで何ごとも決まらないものだ。だからといって徒手傍観するのではなく、スピード命で動きなさいよ、ということです。
令和の隠者の生活。スポーツに面白さで負けてしまう現実
ドラクエというゲームがあります。フィールドを旅に出て、さまざまな人や困難(モンスターとの戦闘)と出会い、大きな目標をクリアするというゲームです。私はこのゲームに人生をなぞらえていました。だからこのブログのタイトルを『ドラクエ的な人生』と名づけました。
人生というのは、リアルな世に出て、困難に出会い、どうにかこうにかそれをクリアして、成長していく物語だと今でも思っています。
アトリビュートとは絵画上のお約束・象徴。ドラゴン退治のミカエル。ゲオルギウス。トリスタン。ジークフリート
毎日、アウトドアに出てランニングしています。私は厳密にはオタクではないのでしょう。本当はランニング先で何か事件に出会えばドラクエ的なのですが……。実際には、いくら外に出かけても、大きな事件に出会うことはほとんどなく、単調な日常が続きます。ビジネスとか企画・計画のようなものがない限り、人間同士がスクラムを組むことってありませんよね。だから現実はスポーツに面白さで負けてしまうのです。
現在の私はコロナ禍の中で隠者のような生活を送っています。大好きな海外旅行にもコロナ禍で出かけられません。だから隠遁者がどんなことを書き残したのか『方丈記』『徒然草』を読んでみました。
読むほどに隠者へのあこがれが募ります。日本三大随筆のうち二つは隠者の書いたものです。最後のひとつは『枕草子』。宮廷女流文学ですね。
なんで隠者文学が歴史に残るかというと、やっぱり現役の仕事がある人はそっちの方が主たる関心になってしまうからでしょう。宮廷内の権力闘争とか。気に入らないアイツとか。誰も知らない当時の権力者の具体名を出されても……そういうのは歴史に耐えられません。今の人は当時のそんなこと誰も関心がありません。
隠者の考える生き方だけが、普遍性をもつのです。孤独とどう向き合うかを描いているから、コロナ禍の現代の人にも関心を惹起することができます。
テクノロジーは変わりましたが、人の生き方はそんなに変わらないから。
× × × × × ×
このブログの著者が執筆した「なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?」を追求した純文学小説です。
「きみが望むならあげるよ。海の底の珊瑚の白い花束を。ぼくのからだの一部だけど、きみが欲しいならあげる。」
「金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。」
※本作は小説『ツバサ』の前編部分に相当するものです。
アマゾン、楽天で無料公開しています。ぜひお読みください。
× × × × × ×