ここでは「放浪のバックパッカー」が、諸国をめぐってたどり着いた境地【ユーミン主義】(【遊民主義】)について書いたページです。
遊民主義・ユーミン主義とは何か?
マレーシアのマラッカでのことです。わたしは公園や路肩に寝転がっている人たちをたくさん見てきました。そしてある日、スーツ姿のサラリーマンを見てギョッとしました。
なんでマラッカくんだりでこの人はスーツを着て仕事をしているんだろう。かわいそうに……。
なんだかスーツ姿のサラリーマンが、憐れむべき貧しい人に見えたのです。実際には公園に寝転がっている人よりも給料はたくさんもらっているんでしょうが、人生の豊かさとは貯金残高で決まるものでしょうか。
わたしは心から思いました。どっちになりたいかと聞かれたら、寝転がっている方だ、と。
この時の強烈な印象が、わたしの遊民主義を形づくっています。サラリーマン生活を貧者の生活と再定義し、遊んで暮らすものを豊かなものと考えるコペルニクス的価値転換を遊民主義・ユーミン主義と呼んで、啓蒙しています。
遊民の豊かさとは金銭的なものでは決してありません。しばりのない豊かな時間こそが遊民の宝ものです。
日本のホームレスは東南アジアの遊民とどうして違うのか?
わたしはバックパッカーを「歩く人たち」と定義しています。ついでにホームレスを「長期間のキャンパー」ととらえて応援しています。
ホームレスというとイメージが悪いですが「ちょっとばかりキャンプ生活が長引いているだけだ」と物事を見る視点を変えれば、ちょっと楽しくなりませんか? 週末ごとにキャンプに行っている知り合いがいますが、彼なんか登山テント生活のホームレスを羨ましがるのではないでしょうか?
そして世界各地を放浪してきたバックパッカーのひとりとして、日本のホームレスが、何もしないで寝転がっている人「遊民」にどうしてなれないのか、検討しています。
放浪のバックパッカー≒登山家≒キャンパー
ここは隅田川の川べり。週末ともなるとたくさんのランナーが走っている場所です。私はここでウルトラマラソンの有名な選手が練習しているのを見たことがあります。

桜のシーズンにはたくさんの観光客が訪れる場所ですが、シーズンオフだったため、それほどの人はいませんでした。

首都高速の下にブルーシートハウスが数軒並んでいました。ホームレスの仮の住まいでしょう。ほとんどの人が目をそむけて通り過ぎるであろうスポットに、わたしの目は釘付けになりました。「なんだかおもしろそうだ」と思ったんですね。
ホームレスの住居スペースだと思いますが、完全に登山用のテントもありました。なんともいえない同類のにおいがするのです。放浪のバックパッカーと同種の人たちという気がします。
ホームレスともいえますが、長期間のキャンパーといってもいいのではないでしょうか。
わたしは放浪のバックパッカーです。放浪のバックパッカーは登山家とほぼ同じです。歩くのが外国の市街地か、大自然の中かという違いはありますが「歩く人たち」であるという本質は同じです。
登山をするとほとんど山の上のキャンプなので、キャンプもやります。ほとんどすべての用具が流用できます。
バックパッカー≒登山家≒キャンパーという図式がなりたつのです。ここにホームレスも加えたらキャンパーの人たちから怒られますかね?
ホームレスというとイメージが悪いですが、ちょっとばかりキャンプ生活が長引いているだけだ、と物事を見る視点を変えれば、ちょっと楽しくなりませんか? 週末ごとにキャンプに行っている知り合いがいますが、彼なんかこの生活を羨ましがるのではないでしょうか?
フライシートを貼った登山用テントです。それ自体雨水対策がされてありますが、更に上には首都高速という大屋根があります。よほど横殴りの雨でない限りは雨の心配はいらないでしょう。むしろ心配は風の方でしょう。背面を守ってくれる壁が風の通り道をつくるから、むしろ風は強く吹くかもしれません。
しかしそれでもあえてこの場所をホームレスが選んでいるのは「蚊」だろうと思います。

河川敷の橋の下のホームレス住宅(?)は藪の中にあることが多いものですが、あれでは蚊と同居するようなものです。叢は蚊の住み家ですから。

草木が無くて風通しがよければ蚊はすくないはずです。叢という隠れ家もありませんので、蚊は風に飛ばされるはずです。アウトドアで蚊ほど不愉快な生き物はありません。かれらはそれを避けているのではないでしょうか。

車中泊≒ホームレス。寝るだけなら何の問題もない
わたしは車中泊もやります。車中泊≒ホームレスという図式も成り立つのではないでしょうか。するとこういう図式が成り立ちます。バックパッカー≒登山家≒キャンパー≒車中泊≒ホームレス。
家の中でずっと過ごすのは好きではありません。「アウトドア派なの?」と言われますが、そんなに単純なものでもありません。
この世界をリアルに感じて、充実した人生を生きたかったら、アウトドアはむしろ必然ではないかと思っています。

自宅はぬるま湯です。ずっと自宅で暮らすのは、ずっとぬるま湯につかって生きているようなものです。
外敵の恐怖のようなものがないと脳に刺激が足りません。アウトドアは先祖が生きてきたのと同じ環境で暮らすことになり人間本来の古い力が覚醒します。

そんなアウトドア目線からするとホームレスの生活を「一度ぐらいは体験してみたい」「ショートなら面白そう」と思ってしまったのでした。
ホームレスの辛さは「やめたくてもやめられない」ところにある
ホームレスの辛さは「やめたくてもやめられない」というところにあるのではないでしょうか。実際ホームレスの暮らしは、短い期間ならばそれほど辛くないだろうと思います。だってキャンプしているのと同じだもの。
そのことをキャンパーとして、登山家として、自分の経験から想像することができるのです。お風呂やトイレなどが自宅内にない不便などをイメージすることができるのです。室内で立ち上がれない窮屈さは車中泊で経験しています。
ベトナム・ハノイの安宿に泊まったときには、夜中にバイクが轟音でホテル前を飛ばしまくって、まるで暴走族の集会の中で眠っているようでした。あのハノイの安宿にくらべたら、まだ墨田川のテントの方がずっと静かなはずです。
ホームレスの問題は「やめたくてもやめられない」ことでしょう。「いやになったらいつでも止められる」という条件なら「体験してみてもいい」とさえ思ってしまいました。いや、マジで(汗)。
本当のホームレスの人たちは、お金を稼がなければならないため、そっちの心配もしなければなりません。お金の心配をしなくてもいいというのは最高の精神安定剤となります。
この日本では「住所」がないと就職は難しいため、労働のわりに、たいして稼げないという仕事にしかありつけないかもしれないですよね?
このようにホームレスには「住む」以外の問題があります。金銭的な不安定は心も不安定にします。もちろんそれは辛いことでしょう。
しかし寝るだけなら何の問題もないと思いました。
最貧国の貧者ですら楽しそうに見える
わたしはバックパッカーとしていろいろなものを見すぎてしまいました。もう日本のサラリーマンの価値観には戻れません。
カンボジアの湖上生活者とか。最貧国の貧者ですが、それでもなんだか楽しそうでした。
短い期間で「やめたければやめられる」ならば、体験したいとさえ思いました。
長年バックパッカーを続けていると、どうもまともな生活には戻れそうにありません。
遊民とは何か? ユーミン主義
放浪の旅人で東南アジア諸国を回っていると、何もしないで寝転がっている人「遊民」を少なからず見かけます。暖かいため、外の風がいい気持ちなのです。汚れたTシャツに短パン、そしてもちろんサンダルです。「サンダルは自由の象徴」なのです。
暖かいため、こういう生き方をしているのですね。自宅はあるのでしょうが、昼間はホームレスしています。仕事は……してるのかな? 夜の仕事をしている可能性はありますが、たぶん仕事もしていないんだと思います。
日本の冬は寒すぎて、外で寝転がっていては凍死してしまいます。だから家の中で暮らすことが常態となってしまいます。こうして「ぬるま湯」が普通になるのです。夏場も湿気が多く、外で過ごすのにいい季節ではありません。気候のせいで日本人は「ぬるま湯」の自宅に戻ってしまうのです。
アリンコ・ジャパニーズ。外国のホームレスには、悲壮感がない
冬のあいだ家に閉じこもると思考がリセットされてしまいます。「ずっと寝転がってばかりいちゃいけない。働かなきゃ」と考え直してしまうのです。アリとキリギリスのアリンコのように。
寒くて貧しいから日本人は、遊びきれないのです。ホームレスになり切れないのです。遊民にはなり切れないのです。
気候が最大の要因だと思います。常春の南房総をハワイにできないのは冬があるせいでしょう。
諸外国には、ホームレスがたくさんいます。でもなんかみんな気楽そうで、日本のホームレスのような悲壮感がありません。熱帯雨林の常夏の国では、だらけきった思考がリセットされず、遊びきれるでしょう。思考がリセットされなければ、一生そのまま生きていけます。遊民になれるのです。
遊民とは働かないでぶらぶらしたり寝転がったりしている人
東南アジアでは、スーツ姿で仕事をしている人が貧しく見えました。働かざるを得ないから働いている、という風に見えたのです。
それはそれは強烈な印象でした。
そして公園で寝転がっている遊民が実に豊かに見えたものでした。もちろん気候がいいからそう見えるのですが、別に働かなくてもいいから働かない、という感じです。どっちが豊かに見えたかは言うまでもありません。決まりきった時間に決まりきった場所に行って決まりきったことをしなければならないのは、一番貧しい生活なのかもしれません。
スーツ姿で仕事している人よりも、遊民の側に行きたいとわたしは熱望しました。
遊民の豊かさとは金銭的なものでは決してありません。しばりのない豊かな時間こそが遊民の宝ものです。
美しいもの、豊かなものは、天地が人にもたらしてくれるのです。
遊民の豊かさを知った者として、そういう豊かさを知らない日本人に、遊民の哲学を伝道することも、このブログの使命のひとつなのかもしれません。
映画『タイタニック』は「お金持ちよりも、貧乏の方が人生楽しい」という映画
ひるがえって日本のホームレスが「遊民」に見えないのは、やはり気候の影響が大きいと感じます。冬のある日本でホームレスを「豊か」だなあ、とまでは思えません。悲惨なかわいそうな人に見えてしまう。
本質的には何も変わっていないというのに。
しかし遊民の豊かさを知るものとしては、どうにかしてこの文化を日本に輸入できないものかと思うのです。
わたしにとって映画『タイタニック』は「お金持ちよりも、貧乏の方が人生楽しい」という映画です。ヒロインのローズはお金持ちの暮らしにうんざりして死のうとしますが、貧乏人のジャックと知り合って、貧者の生活の中に人生の楽しみを知ったのでした。
遊民になりたい。あの人たちがなれたんだ。わたしたちにだってなれるはずだ
わたしは遊民主義(ユーミン主義)を提唱していますが、わたしが遊民哲学を伝えようと伝えまいと、日本に冬は来ます。
寒さは強力で、人間の思考を変えてしまいます。暖房のためなら、人間は奴隷にだってなるでしょう。
そういうことがわかるのもわたしがアウトドアを経験してきたからです。
ホームレスの人たちも、それをわかっていると思います。わかっていても、どうにもできずにいるのでしょう。
人間は季節の奴隷だから。
こんなことをほざいていて、果たして放浪のバックパッカーは本当に社会復帰することができるのでしょうか?
……いや、別に社会復帰しなくてもいいか。それだけが唯一の生き方じゃない。なんなら一生、遊民として生きていくのもいい。
いやむしろ遊民になりたい。あの人たちがなれたんだ。わたしたちにだってなれるはずだ。
そういうことをわたしたち放浪のバックパッカーは見てきたのです。
FIREファイア とユーミン主義は似た概念
※追記です。
最近、「FIRE(ファイア:Financial Independence, Retire Early)」という概念があることを知りました。
わたしが遊民主義を唱えだしたのは、ファイアムーブメントよりも古く、時代がわたしに追いついてきたという印象です。
FIREというのは Financial Independence, Retire Early 経済的に自立した早期リタイアという意味です。親のすねをかじるニートのような寄生獣ではなく、ちゃんと自活した上で、サラリーマン生活はリタイアするというムーブメントですね。投資運用などをして生きていく生き方だそうです。
わたしの遊民主義と、ファイアは、ひじょうに似ています。違うところといえば積極的に貧乏やアウトドアを楽しもうとしているところでしょうか。
FIREには「貧乏に陥らないようにする備え」のニオイがプンプンします。それに対して遊民主義はそんなものはケセラセラなのです。
FIREは「とにかく仕事を辞めたい」という動機の運動です。それに対して遊民主義は「しばりのない豊かな時間を遊んで暮らそう」という動機の行動のことです。
遊民の豊かさとは金銭的なものでは決してありません。しばりのない豊かな時間こそが遊民の宝ものです。
※私が公園で野宿した時の動画です。力いっぱい楽しんでいる様子をごらんください。
人生には『仕事を辞める』という選択肢があります。あなたも遊民になってみませんか?
