キャンパー=登山家=バックパッカー理論
ある日、墨田川を散歩した。スカイツリーや国技館や北斎記念館の近くである。
週末ともなるとたくさんのランナーが走っている場所である。私はここでウルトラマラソンの有名な選手が練習しているのを見たことがある。

桜のシーズンにはたくさんの観光客が訪れる場所であるが、シーズンオフだったため、それほどの人はいなかった。

首都高速の下にブルーシートハウスが数軒並んでいた。おそらくホームレスの方の仮の住まいであろう。
ほとんどの人が目をそむけて通り過ぎるであろうスポットに、私の目は興味津々である。
写真の一番手前なんて完全に登山用のテントである。
なんともいえない同類のにおいがする。ホームレスともいえるが、キャンパーといってもいい。
私の提唱するキャンパー=登山家=バックパッカー理論から言えば、ホームレスもイコールで結んでいいかもしれない。
ちょっとばかりキャンプ生活が長引いているだけだ、と物事を見る視点を変えればいい。
フライシートを貼った登山用テントなのでそれ自体雨水対策がされてあるが、首都高の下なのでよほど横殴りの雨でない限りは雨の心配はいらない。
むしろ心配は風の方であろう。背面を守ってくれる壁のためにむしろ風は強く吹くかもしれない。
しかしそれでもあえてこの場所を選んでいるのは「蚊」だろうと思う。

河川敷の橋の下のホームレスハウス(?)は藪の中にあることが多い。あれでは蚊と同居するようなものだ。

草木が無くて風通しがよければ蚊はすくない。蚊に苦しめられなくても済む。

ホームレス生活。寝るだけなら何の問題もない
家の中でずっと過ごすのは好きではない。アウトドア派である。外敵の恐怖のようなものがないと脳に刺激が足りないと思ってしまう。ずっとぬるま湯につかって生きているようなものだ。

そんなアウトドアマン目線からするとホームレスの生活を「ショートなら面白そう」「一度ぐらいは体験してみたい」と思ってしまうのであった。
ホームレスの辛さはおそらく「やめたくてもやめられない」というところにあるのではないだろうか。一晩の宿はそれほど辛くないだろうと思う。
それをキャンパーとして、登山家として、想像することができる。
ベトナム・ハノイの安宿に泊まったときには、夜中にバイクが轟音でホテル前を飛ばしまくって、まるで暴走族の集会の中で眠っているようであった。ハノイの安宿にくらべたら、まだ墨田川のテントの方がずっと寝心地はいいはずだ。
いやになったらいつでも止められる。その条件なら「体験してみてもいい」とさえ思ってしまったのである。いや、マジで(汗)。
本当のホームレスの人たちは、お金を稼がなければならないため、そっちのほうが問題なのであろう。この日本では「住所」がないと就職は難しいため、労働のわりに、たいして稼げないという仕事にしかありつけないかも。
もちろんそれは辛いことであろう。
しかし寝るだけなら何の問題もないと思った。
遊民とは働かないでぶらぶらしたり寝転がったりしている人
この感受性がおれの問題点なんだろうな。
バックパッカーとしていろいろなものを見すぎてしまった。どうもまともな生活には戻れそうにない。
放浪の旅人で東南アジア諸国を回っていると、何もしないで寝転がっている人「遊民」を少なからず見かける。
暖かいため、汚れたTシャツに短パン、そしてもちろんサンダルである。

年中暖かいため、こういうライフスタイルが取れるのである。
日本の冬は寒すぎて、外で寝転がっていては凍死してしまう。そこで家の中に戻ることになり、思考がリセットされてしまうのだ。「ずっと寝転がってばかりいちゃいけない」と考え直してしまうのである。
日本人は、遊びきれないのだ。それは春夏秋冬のせいだと思う。南房総をハワイにできないのは冬があるせいなのだ。
熱帯雨林の東南アジアでは、だらけきった思考がリセットされず、遊びきれるのだ。遊民になれるのである。
東南アジアでは、スーツ姿で仕事をしている人が貧しく見えた。働かざるをえないから働いている。逆に公園で寝転がっている人が豊かに見えたものだ。別に働かなくてもいいから働かない。
決まりきった時間に決まりきった場所に行って決まりきったことをするのは、一番貧しい生活である。
遊民の豊かさとは金銭的なものでは決してない。
遊民の豊かさを知った者として、そういう豊かさを知らない日本人たちに、遊民の哲学を伝道することも、このブログの使命のひとつである。
さすがに冬のある国でホームレスを「豊か」だなあ、とまでは思わない。
しかし遊民の豊かさを知るものとしては、どうにかしてこの文化を日本に輸入できないものかと思う。


おれにとって映画『タイタニック』は「お金持ちよりも、貧乏の方が人生楽しい」という映画なのである。
こんなことをほざいていて、果たして放浪のバックパッカーは本当に社会復帰することができるのであろうか?
おれが遊民哲学の伝道をしようとしまいと、日本に冬は来る。
冬は強力で、人間の思考を変えてしまう。暖房のためなら、人間は奴隷にだってなるだろう。
そういうことがわかるのもおれがアウトドア派だからなのである。
ホームレスの人たちも、それをわかっているであろう。そしてどうにもできずにいるであろう。
人間は季節の奴隷だから。