ドラクエ的な人生

誰でも考えつく焼肉が、なぜ韓国料理と呼ばれているのか?

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かき氷は何料理、どこ料理? どの国の発祥か?

イロハ

焼肉食べたい。韓国料理!

ハルト

ちょっと待て! 焼肉が韓国料理って何かおかしくないか?

その昔、シェイブアイス(かき氷)に興味をもったとき、かき氷は「どこ料理」(どの国発祥)かと調べたことがありました。

「氷を砕いて食べる」ような単純な誰でも考えつく料理は、世界中に自然発生するので、どの国発祥とはいえない、ということでした。

誰かのマネをしたり、影響を受けたりすることもなく、世界各地で自然発生的に生まれる単純料理は何国料理とはいえない、ということなのです。

ところで「焼肉」です。獲物の肉を焼いて食べるなんて、誰でも思いつく単純料理ですよね?

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動物の肉を焼いて食べる、なんていう単純な料理は、誰にでも思いつくだろうに

動物の肉を焼いて食べる、なんていう単純な料理は、はっきりいって誰でも思いつきます。どこかの国の誰かに教えてもらわなくても、考えつきます。

「焼肉はもともと日本料理だったけど、韓国にとられた」なんていう人がいますが、日本料理ですらないでしょう。ながらく仏教国だった日本では獣肉はおもてむき禁止されていました。肉食の歴史は長くはありません。

焼肉は大阪の在日韓国人がはじめたから、韓国料理のようでもあり、日本料理のようでもある、といった折衷案をもってくる人もいます。この人たちの頭には世界は三国(中華と天竺と本朝)しかないのでしょうか?

そもそもシシケバブや、サテや、ステーキだって立派な焼肉です。スライスの形が違うのと、タレにつけこむかという違いはありますが、肉を焼いて食うことには変わりありません。

肉を焼いて食うような単純な料理は、世界各地で自然発生的に生まれるので、焼肉は何国料理とはいえないというのが歴史的な事実でしょう。

それを、どうしてみんな「焼肉は韓国料理」だと思いこんでいるのでしょう。

またなぜ韓国人が「焼肉は韓国料理だ」と臆面もなく言うことを「その通りだ」と日本人は認めてしまっているのでしょうか?

とてもおかしなことだと思います。

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茶道とお茶、飲茶は違う。焼肉と肉のローストは違う

そもそも「肉を焼いて食べる」なんて単純な料理は、どの時代のナニ人でも思いつきます。きわめてシンプルなものです。

アラスカ人だってフライパンでムースやカリブーの肉を焼いて食べていますよ。

『氷点下で生きるということ』(LIFE BELOW ZERO°)の魅力、内容、評価、感想、ツッコミとやらせ疑惑

つまりこれはこういうことでしょう。

お茶を飲むことと、茶道は違います。それと同じように、肉を焼いて食うことと、韓国料理「焼肉」は違うのです。一種の茶道のようなものです。

赤いトウガラシの調味料、独特な味付け、キムチやサンチュなどの副菜、そういった総体としての韓国食文化を「焼肉」と称しているだけです。焼肉は焼肉でも定義が違います。指しているものがちがうのです。

単なる肉を焼く料理ではなく、それ以上の何か。その韓国の食文化を「焼肉」と称しているだけです。

だから焼肉は韓国料理なのです。

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韓国ほど牛肉を食べるのが上手な国はないから

私はソウル日本人学校の出身。韓国関係の書物も著しているいる者です。

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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。

【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え

韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。

「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。

帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。

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この話を同じソウル日本人学校出身のとりわけ賢い男に話したところ、こんな答えが返ってきました。

「昔から牛は労働力で、食用じゃなかった。たとえば中国では豚が上肉だった。その証拠に古くからの中華料理で牛肉をつかっているものは青椒肉絲ぐらいしかない。牛は農機具や牛車を牽く道具だった。その牛が老いて労働力でなくなった後にそれを食べたのが韓国。貧しいから老いた牛を食べた。だから牛の食べ方に関しては韓国ほど上手な国はない

本当かどうかは別として、なるほど一理あるな、と納得しました。

本当かどうかは別とするのは、ググってもChatGPTに聞いてもそんな答えは返ってこないからです。いわば彼のオリジナルの解答なのですが、ありえない話ではないと思います。世界的に見ても、たいてい新しい食材に手を出すのは、貧しくて他に食べるものがなかったりするのが原因です。たとえば熊本で馬を食べるのは初代藩主の加藤清正が韓国で食べ物に困ってしかたなく軍馬を食べたのがきっかけだそうです。

このように無理やり考えれば、牛肉を焼く食べ方を韓国料理と呼称するのには一定の理屈はあるようです。しかしやっぱり≪「かき氷」が何国料理でもないように「焼肉」なんて何国料理でもない≫とするのが、真実じゃないかなあ、というのが調査した私の正直な感想です。

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