登山における遭難死
登山の滑落現場を見たことがあるでしょうか。なんでここで落ちちゃったかな。なんでここで死んじゃうかな? という場所で実際に人は遭難死しています。
おそらく疲労してフラフラしていて崖側に足を滑らせてしまったのでしょうが「なんでこの程度のところを?」と足がヘタっていない元気な人にはそう見えます。
登山における遭難においてSOSを求めるのは「道迷い」がもっとも多いということでしたが、死に限定すると滑落が多いだろうと思います。
滑落は、すぐ身近にあります。
交通事故死現場
交通事故も同じです。車中泊の旅をしていると、ときどき「死亡事故現場」という赤い看板を見ることがあります。
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本ブログの筆者はYouTubeで動画を配信しています。
【車泊でGO!! Vehicle Night】
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でも「ああ、いかにもここは死にそうだな」という場所ではないところに「死亡事故現場」の立て看板があったりします。
なんでここで死んじゃったかな?
そういう場所です。交差点でも何でもない農道の直線コースの途中とか。
事故に遭わない人「どうやったらここで事故死できるの?」そう思います。
批判は自由。as you like どうぞご自由に解釈ください。
わたしがYouTubeにアップした道迷い遭難の動画を大袈裟だ、とか、演技だ、とかいう人がいました。
大袈裟だ、というのは結果論です。結果として生還しているので、焦っていた状況を大袈裟だと感じるわけです。結果論です。
生死は紙一重だと感じています。生きて帰れば大袈裟、死ねばやっぱりねということになる。
批判は自由です。as you like どうぞご自由に解釈ください。
よろずのことはあなたの解釈次第です。
戦っていない人が、外野から結果論で、評論家になって批判する
サッカーのワールドカップが終了しました。日本代表はリーグ戦を勝ち抜きましたが、決勝トーナメントでは一勝もできずに敗退しました。
監督の采配や、選手のプレイに、日本中が一喜一憂したわけですが、負けると大批判が湧きおこりました。
「あのプレイはひどい。あいつが戦犯だ」とか「あの選手を使う監督の手腕が信じられない」とか。
サッカーワールドカップ。ドイツ代表DFの「性格が悪い」「バカにした」走り方はウサイン・ボルトと同じ走り方
すべて結果論だと思います。結果、勝っていれば、同じことをしていても非難されず賞賛される。結果、負けたから批判されけなされる。
戦っていない人が、外野から結果論で、評論家になって批判しています。
結果を見てから評論するのは簡単です。どこでミスしたか、誰にだってわかります。失点のシーンでミスしたんでしょ? 見ていなくたってわかります。
そういうことがワールドカップサッカーの日本代表の試合でありました。
それを見ていてわたしは自分が道迷い遭難したときの批判の数々を思い出したのでした。