どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか?
ネパールの首都カトマンドゥ
写真はネパールの首都カトマンズのメイン交差点です。日本で言えば銀座の和光前の交差点といったところです。ニューヨークで言えばタイムズ・スクエアみたいな場所です。
※念のために言っておきますが、国一番の繁華街の交差点がこの状態だからといって、すべての道が舗装されていないわけではありません。郊外の道は舗装されています。
この場所は世界に車が誕生する以前からある旧市街地のため、そもそも車道という概念以前に街の区画ができあがっているために、今更、車が二台すれ違えるような広さがないのです。車を入れるには市街地再開発をしなければなりません。
日本にもそういう旧市街地・区画がときどきあります。京都の先斗町なんかも車が入れませんが、それは車よりも道の方が歴史が古いからでしょう※
ハルトがこれまで訪れた国の中で、最も貧しい国はこのネパールです。
ネパールは一日のうち何時間か計画的に停電します。標高が高いため寒いのですが、お湯もでません。パートナーのイロハは、暖房もないマッサージ店で揉んでもらっている最中に、風邪を引いて体調を壊してしまいました。
しかし私はバックパッカーの聖地として有名なタメル地区の安宿街に宿泊したので、貧しい国の現実に真正面からぶつかりました。実はタメルでドル札の入った財布約10万円を盗難される被害に遭います。
その手口はこういうものでした。
安宿で盗難被害に遭う
安宿にとまったイロハと私は旅装を解いて、荷物を整理し始めます。
その絶妙のタイミングで部屋をノックされます。
「宿からウエルカムドリンクとしてネパリティー(チャイ)をふるまうから今すぐ屋上に来てくれ」と、安宿の経営者からのご招待です。
「今、着替えて荷物の整理しているところだからちょっと待ってくれ」と言うと、
「チャイは熱いうちが美味しいから、すぐに来てくれないと困る」
ネパールは貧しいので、そう何度もお湯を沸かすのは気の毒です。
チャイというのは煮だした甘いミルクティーのことです。インド圏に来てこれを飲まない道理はありません。この世界でもっともおいしい飲み物のひとつです。
チャイは逃せないと急いで屋上に行くと、果たして本当にチャイをふるまってくれました。
宿の経営者も一緒にチャイを飲みながら、これからのネパールの観光の予定を聞いてきます。
「エベレストを飛行機から見て、ポカラに行ってマチャプチャレを見るつもりだ」
すると経営者は待っていましたとばかりに写真付きのパンフレットを取り出して、熱心にツアーの説明をしてくれます。
安宿は旅行会社にお客を送り込むことでいくらかのマージンを得ています。あるいは安宿が旅行会社も経営していることは珍しいことではありません。安宿が安いツアーを紹介してくるのは、世界中の宿でよくあることで、すこしも珍しいことではありません。
私たちは値段と時間をよく確認して、そこでツアーを申し込むことにしました。
ホテルの屋上からの眺めもよく、甘いチャイをふるまってもらったので、まあいいか、と思ったのです。
ここで断っても、どうせ近くの安宿フロントか旅行会社で、エベレスト&ポカラ行きの飛行機の予約をしなければなりません。この宿までの道すがら、どこで申し込んでも値段は変わらないことはすでに確認済みです。
申し込んだからには、申込用紙に名前を記入したり、代金を現金で支払ったりして、結構な時間がかかりました。
その間に、部屋でお財布を盗まれていたのです。
部屋の鍵を閉めていたから安心していましたが、よく考えればホテル側の人間であれば合鍵があるので簡単に部屋の鍵を開けられます。
メインバックの鍵を閉めていればまだ盗難対策になったはずですが、部屋に入って旅装を解いてすっかり油断していたのと、今すぐ屋上に来てくれとせかされたために、カバンの鍵は開けっ放しでした。
そのためにメインバックの中にしまってあった万一のためにドルで揃えた予備の旅行資金の方を財布ごと盗まれてしまったのでした。
屋上から戻ってすぐ、盗難に気づいたわけではありません。今後の予定も立ったし、安心してダルバール広場の世界遺産を見に行ったりして、しばらくは盗難に気づきませんでした。
盗難事件に気づいたのはしばらくしてからです。財布ごと消えている、と。
要するに宿側の誰かが盗難したという証拠はどこにもないのです。
しかし、そうとしか考えられません。
警察に訴えても、現金は戻ってこない
考えあぐねた末、やはり泣き寝入りすることはやめようと思いました。証拠はありませんが、そもそも盗難事件は証拠なんてない方が普通です。「ホテル側の犯行だと思う」と訴えるために、ネパール警察に出向きます。
ネパール警察では、最初はちゃんと話を聞いてくれましたが、盗まれたのが現金だとわかると「現金はもう取り返せない」と言われました。現金の盗難証明というのはそもそも発行してないものなのです。おそらくネパールだけでなく、世界中どこでも現金というものはなくなったらかえってはこないものなのです。
盗難されたデジタルカメラは保証してくれたJCBでも、さすがに現金の盗難は保証してくれませんでした。
あのとき盗難された現金は、今ではもうネパールという国に寄付したものと思っています。
平均月収2万円弱の国で、給料5カ月分ものドルを持ち歩いた私がバカでした。日本で言えば100万円を持ち歩いていたようなものです。
みんながネパールを観光で訪れてくれますように。
大好きな国の復興をお祈りいたします。