ドラクエ的な人生

『世に棲む日々』司馬遼太郎。高杉晋作単体では大河ドラマをつくりにくい理由

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主人公が吉田松陰から高杉晋作へとバトンタッチされる長州の維新物語

国民作家と呼ばれた司馬遼太郎の『世に棲む日々』。どうなんでしょうか、このタイトルは。ちっとも風雲急や英雄を感じさせません。『竜馬がゆく』のように主人公の飛躍が目に見えるようなタイトルではありません。

竜馬がゆくの現実と虚構(フィクション)

しかし本作の二人の主人公は、吉田松陰と高杉晋作。いわば長州藩の維新回天物語です。過激な教育者の吉田松陰と、革命家の高杉晋作が主人公なので、血沸き肉躍る幕末維新の物語なのですが……なんで『世に棲む日々』なんて随筆書いてる吉田兼好を想起させるようなタイトルにしちゃったのよ、国民作家さん!

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『世に棲む日々』の魅力、あらすじ、感想、書評

→まず最初の主人公は、吉田松陰。長州藩(毛利氏。山口県)の幕末維新の志士たちの師匠として有名ですが……若い! 老師という感じではありません。安政の大獄で死罪になるのですが、死んだのは29歳だそうです。弟子たちとあんまり年かわらないじゃないですか。実際に最高弟子の久坂玄瑞は弟子というよりも弟のような存在だったそうです。じっさいに妹と結婚したので、本当に義弟だったのです。

社会は秩序に適合するようにたがいを馴致しあってきた。もっともよく馴致された人間を好人物とする。

→体制派の人物は馴致して出世します。そうでなかった松陰や晋作は革命家となりました。ふたりとも藩内きっての秀才だったのですが、心の中まで馴致されなかったのです。

日本は今、外圧のためにこわれようとしている。

攘夷という狂気で国民的元気を盛り上げ、沸騰させ、それをもって大名を連合させ、その勢いで幕府を倒すしかない。

外に敵をつくると内がまとまる、という政治手法があります。外国の植民地化の脅威にさらされることで、仲の悪かった長州藩と薩摩藩は手を握ることができたのでした。その頃、攘夷というのは、ただのスローガンとなっていたのです。

外国を怒らせ、戦争にもちこむ、侵入軍とたたかい、山は燃え、野は焦土になり、流民があちこち発生し、既存の秩序はまったく壊れ、幕府もなにもあったものでなくなるとき、攘夷戦争をやってゆく民族的元気の中から統一が生まれ、新国家が誕生する。

負ければ侵入国の植民地になってしまう。

負けやせん。外国軍は二万人。日本人は四百万人。」

→吉田松陰は「狂」という字がすきで、狂の行動によって刑死しました。しかし本人はとっくに死ぬことを覚悟していて、刑死も無念の死ではなかったようです。

高杉晋作もまた、師匠の教えのように、最後は死ねばいいというのがどこかにありました。その胆力で、外国の連合艦隊とわたりあい、藩にクーデターを起こし、幕府に勝つのでした。

当時の大砲は1kmも飛ばなかったようですから、蒸気船の大砲が焼き払えるのは湾岸部だけでした。内陸部に引き込めばサムライが勝てる目算が立ったのです。B29や原子爆弾があったら、こうはいかなかったでしょう。

ヤクニンとは、自己の保身から物事を思考し、大事を決めるときには必ず会議をし、すべての責任は会議がとる。責任を問われれば、自分個人はそうは思っていないが、会議でそう決まったことだから、という理屈を使って責任の所在を蒸発させてしまう世界。

ヤクニンは日本人と置き換えてもいいんじゃないでしょうか。戦争犯罪を追及されたB,C級戦犯は上のような言い訳をしていました。

「狂」に生きようとした松陰。その弟子で行動こそ、という晋作。時代が追い越して、脱藩、追われる日々。

→高杉晋作は藩内一の秀才なので、周囲は期待しているのですが、平気で脱藩します。そして罪人になり、蟄居を命じられるのですが、藩が困ると呼び出され高官として召し出されます。しかし何度も暗殺されそうになり、そのたびに放逐しています。

負けて、目覚めよ。

→長州藩が四国連合艦隊と戦った下関戦争において、高杉晋作はこのようにつぶやいています。じつは太平洋戦争末期のインテリ学徒動員兵も同じようなことを言っています。この戦争はアメリカに負けるが、負けて日本よ目覚めよ、と。

同じことを言っているのに驚かされます。負けて目覚めよ、という同じスタンスで下関戦争から太平洋戦争まで行ってしまったのか、と。結果はぜんぜん違いますが、魂は同じだったんですねえ。

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高杉晋作単体では大河ドラマをつくりにくい理由

「坂本に会いますか?」「会う必要はあるまい」と、にべもなくいった。

→高杉晋作は、西郷隆盛にも会いません。坂本龍馬のピストルは高杉晋作からもらったものだというから、二人の会話でもあるかと期待したのですが、ありませんでした。

こういうところが高杉晋作単体で大河ドラマをつくりにくいところなんでしょうね。『奇兵隊』とか『世に棲む日々』とかになってしまう。いちおう主人公ではあるが『高杉晋作』というタイトルにならない。その理由は、綺羅星のごとくいる英雄たちとほとんど交際しなかったことが原因だと思います。作家としては、高杉だけじゃなくて、西郷や坂本も描きたいじゃないですか。それがすんでのところで絡まない……となると、視点を変えようと思ってしまうでしょう。

「伊藤(博文)、説いてまわっているうちに斬られるぜ」

→高杉晋作が絡む維新の大物は、桂小五郎、伊藤博文、井上聞多、山縣有朋、そして吉田松陰ぐらいです。みんな山口の人ばかり。

晋作にとっても攘夷は思想であったが、すぐ手段に過ぎないと思うようになった。幕府をゆさぶる手段であり、士気を大高揚させるための。

家族団欒するという生活から反逆することによって高杉晋作という名の特異な人生を成立させた。そのために晋作の青春の血涙があったといっていい。

→藩内一の美女と結婚しますが、なぜか晋作は家庭にはよりつかず、芸者の愛人を連れ歩きます。芸者遊びも大好きだったようです。

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もしも高杉晋作が長生きしたら……それほど変わらなかっただろう

労咳・結核になる。

→長州藩が幕府に勝ったあたりで、高杉晋作は結核になって、あっけなく死にます。幕府軍に勝つという奇跡の勝利の立役者はもちろん高杉晋作でした。

高杉は女遊びもよくしていました。この時代、女と言えば遊女のことでした。いわゆる風俗です。連れ歩いた芸者もはじめは金で買った女でした。いやね、その結核は風俗通いのせいでうつったんじゃないの? あんまり同情できないんだけど。

高杉はけっこう放逐とか脱藩とか投獄とかしているけれど、まともに戦争するとほとんど全勝でした。すごい人でした。高杉が生きていたら……と思う人もいるでしょう。でも時代はおおむね高杉が生きていたらこうなっただろう……というふうに動いたから、織田信長がもっと生きていたら……ほどには変わらなかったんじゃないかな。高杉が長生きしても。逆にいえばそれほど「やるべきことをほとんど切って死んだ」ともいえるでしょう。お見事!

結核は人から人と感染するのだから。性病みたいなものでしょう。風俗通いで死んだとすれば、短命だったのも運命だったんじゃないかな。もちろんもっと風俗通いだった伊藤博文が長生きしているので、それに比べたらかわいそうですが。

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辞世の句

おもしろき こともなき世を おもしろく

すみなすものは こころなりけり」

という、高杉晋作の辞世の句が知られています。

しかし実際には、高杉がよんだのは前半部分

おもしろき こともなき世を おもしろく……」

だけで、後半部分、

すみなすものは こころなりけり」

は、高杉がお世話になった尼さんがよんだものでした。

司馬遼太郎も書いていますが、この句は前半部分だけのほうがいいね。ミロのビーナスに腕がないほうがいいように。サモトラケのニケに顔がない方がいいように。

後半部分があると、どうも説教くさくていけません。仏教関係者の説法みたいです。尼さんのつけたしだから当然ですが。ぜんぶそろうと革命児の最後の句っぽくはありません。むしろ前半部分だけのままだったほうが、希代の革命児らしくてよかったと感じます。

高杉晋作を、

動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。

と評したのは、彼の子分同然だった伊藤博文でした。

わずか二十八年の人生だったそうです。

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司馬遼太郎の文章は、ひらがながおおい

読んでいて感じたのですが、司馬遼太郎の文章は、とても平仮名がおおいですね。

吉川英治のように漢字が多い印象だったので、めんくらいました。

「と、おもうのである。」

「がすきであった。」

「といったが、たれの目にもわかった。」

みたいに、ひらがなで描写してきます。

私だったら

「と思うのである。」

「が好きであった。」

「と言ったが、誰の目にもわかった。」

と書きますけどね。司馬さんはひらがなです。

司馬遼太郎さんが国民的作家と呼ばれた秘密のひとつに、この「ひらがな描写」があるのではないかと感じます。

内容は日本人の魂を描いて硬派なんですが、文章はひらがなでやわらかく読みやすい。

それが司馬文学の魅力のひとつなんじゃないでしょうか。

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