ドラクエ的な人生

岡本太郎とは何者なのか

どうもハルトです。みなさん今日も楽しい旅を続けていますか?

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岡本太郎とは何者なのか

みなさん、岡本太郎を知っていますか? 「芸術は、爆発だ」「何だかわからない」などの名セリフが有名な人物ですが、私の大好きな芸術家の一人であります。

現在、岡本太郎をもっとも身近に感じている人は、大阪吹田市千里の万博記念公園駅にお住まいの方か、渋谷のマークシティ内の連絡通路を通勤・通学で日常的に使っている方でしょう。

いうまでもなく前者は「太陽の塔」。後者は「明日の神話」のことです。

両作品はほぼ同時期に制作されたものだということをご存知でしょうか。どちらも1969年前後の作品です。岡本太郎58歳の頃。太陽の塔は大阪万博のシンボルであり、明日の神話は世界最大の壁画です。

他にも岡本太郎は縄文土器の美を発見した人物として知られています。縄文土器を発掘したのではありません。美を「発見」したのです。

ここでいう「発見」とは「はじめて言葉にして他者に理解させた」ことを意味しています。

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縄文土器の美の発見は、コロンブスの卵だった

コロンブスがアメリカ大陸を発見したとされていますが、ネイティブ・アメリカンがすでにその地に住んでいたのに「発見」というのはおかしくありませんか? しかしネイティブ・アメリカンはそこに大陸があることを言葉として他者に表現しませんでした。しかしコロンブスは白人文明社会に新大陸の存在を「言葉にして伝えた」のです。

岡本太郎の縄文時代の発見者であるというのも同じ意味です。それ以前から縄文土器は知られていたのですが、それを美だと認識して言葉にして表現した人は誰もいなかった。「こいつはすごい芸術作品だ」と最初に言ったのが岡本太郎なのです。それが1952年のことです。約1万5,000年前(紀元前131世紀頃)から約2,300年前(紀元前4世紀頃)まで1万年も続いた狩猟採集時代の美術が発見されたのが1952年のことなのです。すごいことじゃありませんか。

岡本の表現によって縄文時代の凄みを教えられ、新しい目線を手に入れた人たちによって縄文時代は研究され、今ではとても豊かで高度な文化を持っていた、とされています。岡本以前は弥生時代の到来を待ちわびている原始的で惨めな時代だとされていたのです。「たとえ遺跡・遺物として残っていなくても、何もなかったことにはならない」と言ったのも岡本太郎です。メキシコの石の遺跡のように遺跡遺物が残っていなくても、縄文人の息吹を感じることができるじゃないか、と岡本は言ったのです。芸術家の魂でものごとを見ていたから、目に見えないものが見えたのです。教養でなく直感でものを言ったから縄文の美に気づいたのです。パリ大学(ソルボンヌ)で民俗学を学んだインテリだったから、人類学、比較文化論のレベルで縄文時代を他者に語ることができたのです。

その岡本太郎が大好きだった国がメキシコです。世界最大の壁画「明日の神話」はメキシコのホテルのフロントを飾るためにメキシコ人に依頼されて、メキシコで完成させた壁画です。メキシコには壁画芸術という分野、ムーブメントがあります。誰でも見られる場所にメッセージ性のある壁画を描くことで社会に影響を及ぼそうという芸術運動です。

それは岡本太郎の考え方と同じものでした。岡本も金持ちの収蔵品になるよりも、たとえ無償でもパブリックな場に自分の作品が飾られることを好みました。

メキシコに行くたびに、岡本はメキシコが好きになります。

モダンアートは「無垢な子供が書いたような絵」がよしとされる傾向があります。下手に考えるよりも、パッションむき出しに子供のように無作為に塗りたくったものが評価されるのですが、メキシコの遺跡から出てくる出土品はまるで子供が作ったかのような素朴なものばかりです。

岡本がメキシコ人の前で自分の作品をスライド上映していると、メキシコ遺跡の出土品にそっくりな作品ばかりで驚かれたといいます。岡本は「メキシコ人はけしからん。何百年も前に俺の作品を剽窃しやがって」とジョークを飛ばしてメキシコ美術界に受け入れられたそうです。

私もメキシコ博物館でたくさんの遺跡遺物を見ましたが、岡本太郎の作品かと思うようなものをたくさん見ました。岡本も「自分の作品か?」と思ったそうです。月と太陽がならんだ作品は「太陽の塔」の顔にそっくりです。子供心が作る作品は似てくるのです。人間の本能は古今東西同じはずです。だから芸術は普遍的なのだ、というのが岡本の信念でした。その信念で、縄文土器の美を「発見」したのです。

実は今回の旅先にメキシコを選んだことに、岡本太郎は決定的な影響を及ぼしています。

岡本がメキシコ好きでなかったら、私がメキシコに行くこともなかったでしょう。

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