見たことがあれば真似するのは簡単。
自転車と自動車、どちらの歴史が古いか、知っていますか?
単純な仕組みの自転車の方が歴史が古く、もはやエンジンの中はブラックボックスの自動車の歴史の方が新しいと思うかもしれないが逆です。自転車の歴史の方が浅く、自動車の方が古くからあるのです。
発想の問題です。見たことがあればマネするのは簡単です。
自動車は馬車が変化したものです。動力を馬からエンジンに代えただけであって、乗り物としての発想はそれほど突飛なものではありません。「どこかで見たことのあるもの」でした。
それに比べると、自転車は「今まで見たこともないもの」でした。二輪車が倒れずに前に進むなんてこの目で見るまでは信じられません。誰かがそういう発想をしなければ、この世に出現しなかったシロモノなのです。
このように「見たことがあれば」真似することは簡単です。オートバイは自転車よりも後の時代に製品化されたものです。しかし自転車を見たことがある人にとってはそれほどビックリするような発明ではなかったでしょう。脚力をエンジンで代用しただけのシロモノです。革新的イノベーションだったのは自転車なのです。
和服が滅んだのは「高価で」「面倒」で、世界風俗に負けたから
日本の文化が独特だったのは島国だったから外国の情報が入ってこなかったからです。江戸時代の鎖国によってもわが国固有の文化が発展しました。着物、和服などもそのひとつです。
しかし情報が入ってくると「安くて」「楽な」風俗が世界を席巻します。日本人が和服を着なくなった本質的な理由は明治政府の「散髪脱刀令」にあるのではなく、Tシャツ・チノパンに比べて和服が「高価で」「着るのも面倒」「動きづらい」など世界風俗に負けたせいでしょう。
訪日外国人にとっては日本人がみんな和服を着てチョンマゲ姿の方が面白いに決まっています。サムライや、飛脚や、虚無僧がうろうろしている国であった方が、旅先として楽しいに決まっています。
何もつまらなくなったのはマレーシアだけではありません。日本にしても同じことです。他の地域と違っていた方が旅していて楽しいに決まっています。しかしチョンマゲや和服が滅び去ったのは、もっと楽チンなスタイルがあるぞ、という「情報」が入ってきたからでしょう。面倒くさいものは楽チンなものに駆逐されるものなのです。大衆によって新しいスタイルが時代の風俗になります。Tシャツにジーパンという楽なスタイルの方が、一人で着付けもできない着物よりも普及するに決まっているじゃありませんか。
ネクタイはそのうち滅び去るだろう。「高価」で「面倒」なものは、いつか滅び去る
そういった意味で、わたしは「ネクタイ」というのはいつか滅び去るだろうと思っています。今は社会が「ネクタイを着用するのがマナー」という風潮だからビジネスマンはみんな首に巻いているが、ネクタイの欠点は「高価」で「面倒」なことです。滅び去る要素満点です。
しかも冬はともかく、夏なんかデメリットしかありません。暑いのになんであんなもの首に巻いてるのよ?
「ネクタイなんか意味なし。不必要」とビジネス社会が認めれば、ネクタイなんてあっという間に滅び去るでしょう。そして未来人は、どうして先祖はこんな意味のない布切れを首に巻いていたのだろう? と疑問に思うことでしょう。
楽チンな情報が入ってくれば、面倒くさいものは滅び去るのです。そして簡潔なスタイルが世界を席巻します。