ドラクエ的な人生

ウォールデン・森の生活

どこにあるんだ、おれの本?

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アウトドア生活(キャンプ)中に読むのに最適な本

アウトドアでアウトドアについて書いた本を読むのも一興である。

だからアウトドア読書に向いている本を紹介したいと思ったのだが、実はそんなものはない。

読み手(あなた)の気分はその日によって違うだろう。あなたの気分に合った本を読むべきだ。

だから「アウトドアに向いている本」なんてものは、本当はないのだ。あなたの気分次第だ。

しかし教養としてのアウトドア必読書ならば紹介することができる。

アウトドアマンの必読書のひとつに『ウォールデン・森の生活。ヘンリ・デビット・ソロー著』がある。

単行本だと上下巻になる結構な長編である。しかし最初から読み始めて途中で力尽きても『森の生活』の場合は問題ない。

もっとも読むべき部分が冒頭にあるからである。

いかにして著者ソローがウォールデン湖畔で文明社会と距離を置いて森の中で生活するようになったか。

そう。この作品はハーバード大学卒業のインテリが、アメリカ近代消費社会に疑問を抱き、大量生産・大量消費。ローンを組んで住宅購入をしたり、華美なパーティードレスで着飾ったりしなければ、人間は奴隷生活から脱出して神の傑作、万物の霊長たる人生がおくれる、ということを自ら実践した記録本なのである。

ハーバード大のあるボストンから車で30分ほどのところにあるウォールデン湖の湖畔でソローは自分で小屋を建てて住み始めるのだが、どうしてそんな生活を実践するのか、そのステートメントの部分こそが「森の生活」の核心である。

実は筆者ソローは「森の生活」の中でアウトドア生活を薦めているわけではない。アウトドアの素晴らしさを喧伝しているのでもない。

そうではなく、たかが住宅を手に入れるために人生の半分も費やし、人生をおのれの墓場を掘るためにつかうぐらいならば、そういう時間の浪費とは一線を画せ、と言っているのである。

高級住宅に住まなくても、インディアンの簡易テント(ウィグワム)で暮らしたらいいじゃないか、昔から何千年も人間はそうやって生きてきたのだか、とソローは言う。

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時間の哲学。時間はお金で買うものではない

時間はお金で買うものではない。

老後の贅沢のために、若い黄金の時代を稼ぐために使うのはやめよう。

時間を生み出すためには、なにも時間をお金で買う必要はない。

時間を生み出すには、労働のために使っている膨大な時間をすこし削るだけでいいのである。

誰にでもできる簡単なことだ。

そのために、最低限の生活必需品だけで生きる。

金に頼らない生き方をする。

金を稼いでから老後に時間を金を買う生き方をするから多くの人が不幸なのだ。

今、若い時の時間こそ貴重であり、その時間を無為にするな、という今を生きる思想である。

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神の傑作、万物の霊長にふさわしい生き方をする

ソローの場合は、キリスト教の影響か、人間を「肉体と、心と、神性からなる神の傑作」として捉えている。その神の傑作が、一身上の、利益のあがる仕事にのみ肉体と精神を使役し疲弊させ、おのれの墓穴を掘るだけの人生で終えることが許せなかった。

ソローの場合は、キャンプのような暮らしの果てに、詩的生活を送りたかったようだ。人間が神の愛にこたえる道はそれしかないと確信していた。

周囲の評価にあわせて豊かな家に住むために奴隷状態で生きるよりも、歴史や詩や神話、文学に生きよう、と。

もちろんこれはソローの場合であって、神や英雄や文学を追求する人だけが森の生活をする資格があるというわけではない。

森の生活のエッセンスは他の生き方にも通じるサラリーマン社会の批判の書である。

必要悪なことはさっさと終わらせて、本当に大切なことに時間を使おうという哲学である。

生き方はいくらでもある。自分の好きなことをすればいい。

その壮大な実験がウォールデン湖畔の森の生活であった。

生きるための最低限の荷物の検証は、キャンパーやバックパッカーが旅の荷物をチョイスするときに非常に似てくるのである。

だからソローの「森の生活」はキャンパーだけでなく、バックパッカーにも愛読されている。

質素でお金のかからない生活をしようといっているだけでアウトドアを積極的に推奨しているわけではないのだが、結果として、アウトドア指南書、無銭の思想書のようになってしまっている。

実験の結果、年間6週間も働けば十分の稼ぎを得られて生きていけることがわかった。

もちろんこれはソローの時代のアメリカの経済状況での話しである。

そしてソローは思う存分、好きなことをして生きていくことができるようになったのだ。

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「命は熱」生活必需品は「熱を生むもの」と「熱を保持するもの」

最低限の生活必需品とは何か。たいていの人はあまり深く考えずに「衣食住」と答えるだろう。

でもどうして衣食住なのか? ソローの答えは明快である。

人間はストーブのようなものだ。命は熱である。食料は体熱の燃料でありもっとも大切なものだ。

人間のからだにとって一番大切なことは暖をとること。体内に命の熱を保つことである。

そしてその熱が冷えないように保持するために衣服がある。

夜の衣服ともいうべき寝具がある。

そしていちばん外側の衣服である家屋がある。

命の熱を雨や風に冷やされないようにすることは生活の必要最低限だ、というのだ。

登山家やキャンパーも何となくこの原則を守って行動しているが「命は熱だ」という考え方の視点はもっておいていいだろう。

キャンパーの場合、テントは最も外側の衣服ということになる。

寝袋は夜の体温保持の衣装。

アウトドアジャケットは体温保持のためのもの。

焚き火やバーベキューは体熱を保持する役に立っているという「命は熱」という目線は独特のものがある。

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暖をとれればいい。お金をかけないで暮らして、時間を生みだす

だったらそれを手に入れるにはどうしたらいいのか。

生活のための必需品はあるが、生活必需品を手に入れるためだけに一生を費やすような生き方を神は望んではいない。

銀行にローンを払い続け、自ら自分という名の奴隷の奴隷監督になることはない。

だから生活にお金をかけないことをソローは提唱する。

食物は自分で畑で育てる。

衣服はおしゃれをしない。体をあたため、裸を隠す数着あればそれ以上は必要ないはずだ。

寝具も暖をとれればいい。

そしていちばん外側の衣服たる家屋は、自分で木を削ってログキャビン風のものをつくってしまった。

ログハウス(ハードシェル)じゃなくてテント(ソフトシェル)だっていいのだ、とソローは言う。雨風をしのぐにはごくわずかなものがあれば足りる、と。

ツーバイフォー住宅なんかなくたって生きていける。昔から人間はそんなものなしで何千年も生きてきたのだから。

それよりもむしろ大きくて贅沢な箱(家)の対価のために死ぬ思いをして労働することこそ問題だ、とソローは言っている。いちばん外側の衣服(家)のためにインディアンのテント(ウィグワム)をひと部落も買えるほどのお金を払い、ローンを組んで自由を鎖に繋がれて、一生涯貧乏ぐらしをする社会こそ問題だ、と。

十年から十五年もかけて、やっと一番外側の服が買えるだけなんて、それが賢者の生き方か?

それを諦めてテントで暮らせば、十五年の労働は不必要になるではないか、というのがソローの思想である。

生涯の大半を生活必需品と慰安物を得るためにのみ費やすのだとしたら、人間が万物の霊長というのは嘘に違いない。こうした状態から自己を解放しようとする人間の戦いこそ芸術である。

ちなみに私(サンダルマン・ハルト)はやがて日本の住宅価格は暴落すると思っている。人口は減っていくのに住宅メーカーはじゃんじゃん家をつくり続けている。そうしないと住宅メーカーは倒産してしまうからだ。やがて供給過剰になるに決まっている。住む場所さえ選ばなければ、将来この国で、家の問題で困ることはないだろう。

ソローの言う通り、この日本でもローンを組んで家を買うなんてバカげたことなのかもしれない。

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たっぷりある時間で、人生の冒険に乗り出す

そしてお金をかけず、つまらない労働から解放されて、たっぷりある時間で人生の冒険に乗り出そうとソローは言う。

家具もいらない。持ち物を持つとは、そのモノに繋がれることである。家具を持つのはありったけの罠をベルトにくくりつけるようなものだ。

ほらね。「森の生活」のミニマリストの思想が、労働解放思想が、キャンパーや登山家に通じるのだ。放浪の旅人も同意するに違いない。

どうしてソローは原始的な森の生活を送ってみようという気になったのか。

それは時代が進歩してもも、人間生活の根本法則は何も変わらないという信念である。それは5Gインターネット時代でも同じことだ。

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ソローはミニマリストであり、自然に帰れの実践者であった。

最後にソローは(アウトドア)読書について、このような見解を述べている。

読むなら軽い小さな読み物ではなく古典を、英雄の物語を読むべきだ、と。ホメロスやウェルギリウスのような。

古典は今も残る神託であり、読むことは作中の英雄たちと競い合っているようなものだ、と。

古典作家の功績と肩を並べて、知性は高く舞い上がる、と。

自分でものを書くならば、自分を理解してくれるあらゆる時代のあらゆる人々に向かって語り掛けるのだ、と。

さあ。アウトドアで『森の生活』を読んでみよう。生み出したたっぷりの時間で、焚き火で暖をとりながら。

※アウトドアをやってみよう
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