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クリスマス・キャロル。映画『天使のくれた時間』も『素晴らしき哉、人生!』も、要するにスクルージさん

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『天使のくれた時間』も『素晴らしき哉、人生!』も、要するにスクルージさん。クリスマス・キャロル

日本人女性と結婚しているというニコラス・ケイジ主演の映画『天使のくれた時間』を見ていたら、チャールズ・ディッケンズを思い出しました。要するにこれはクリスマスキャロルなんだなあと途中で気づきました。この男はスクルージさんなんだな、と思ったのである。

『天使のくれた時間』は、白黒映画の『素晴らしき哉、人生!』にインスパイアされたことになっているそうです。しかし『素晴らしき哉、人生!』だって要するにクリスマスキャロルなのです。スクルージさんなのです。

偉大なり、ディッケンズ!

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チャールズ・ディッケンズ『クリスマス・キャロル』のあらすじ、内容、魅力、書評

ひらたくいうと、守銭奴のスクルージさんが、幽霊と出会い、過去の自分を思い出し、未来の自分の末路におののき、心を改めるという話しです。ね? 『天使のくれた時間』も『素晴らしき哉、人生!』も、要するに同じ話でしょう?

(過去の幽霊)

スクルージは昔から守銭奴ではありませんでした。昔は純粋な心を持っていました。しかし挫折し、心に傷を負うことで変わっていったのです。そのことを過去の幽霊から見せつけられます。過去の自分を幻視するのです。

成し遂げるには人生はあまりにも短いのだ。どんなに後悔しても、人がいったん失った機会は二度と取り戻せないのだ。

いつものスクルージとは似ても似つかぬ気の変わり方を見せて、急に昔の自分をあわれみだし「かわいそうな子だ」といって泣いた。

→他人に同情しないスクルージでも、過去の自分には同情できるのでした。自分大事な人間だからこそ、過去の自分には心の底から同情できたのです。

あの人は私たちを幸福にも不幸にもする力を持っているんです。私たちの仕事を軽くも重くも、楽しくも苦しくもすることのできる力を持っていたんです。あの人がわたしたちを幸せにしようとしてくださった労力は、ひと財産投げ出してくださったのと同じなんですよ。

→過去の上司がそうであったように、現在のスクルージも部下に対して同じ力をもっていました。しかし自分は部下に冷たくしています。かつては上司にやさしくしてもらえることを心から望んでいたというのに。

人が変わってしまったのよ。気持ちが変わり、暮らし方が変わり、生きる目的が変わったのよ。すべて欲得で判断するでしょうし、ほんのちょっとのあいだその主義を捨ててみたとしても、すぐそのあとで後悔したり、残念がるに決まっているわ。

→守銭奴になったスクルージは、恋人に捨てられた過去がありました。そのことがあきらかになります。ここに幻視されるということは、そのことを無意識に後悔していたのでしょう。

(現在の幽霊)

スクルージは自分以外の人々が現在どのような状況にあるのか、現在の幽霊によって見せつけられます。スクルージが悔い改めた時、自分以外の人々が現在どのような状況にあるのか知っていることが、のちのち効いてきます。彼が尽くすことができるのは、現在の人びとだけなのですから。つまりここはオチにきいてくるパートになっています。

人間よ。どこによけいなものがあるのかをはっきりとわきまえるまでは、この悪しき言葉を差し控えるがよい。どんな人間を生かし、どんな人間を死なせるか、おまえに決められるというのか。草の葉の上の虫けらのくせに、同胞たちの数が多すぎるなどと、よくも言えたものだ。

→作品の冒頭でスクルージは貧しい人を救うための寄付を冷たく断っています。そのときに「貧乏人が死んでも構わない。余計な人口が減るだけだ」と、冷たく言い放っていました。そのしっぺ返しをもらったのです。

ああいう性格だから、自然とその罰を受けている。あの人の財産はあの人にとって何の役にも立っちゃいないんだ。何もいいことをするわけでなし、それで自分を楽しませることもない。

→スクルージは後悔し始めます。

自分の手で豊かな人情をつちかって、幸せな生き方ができたに違いない。

(未来の幽霊)

スクルージは未来の幽霊に自分の死後の姿を見せられます。悔い改めるためのこれが決定打になりました。自分大事な人間なので、自分の悲惨な末路を見ることは最も効果がありました。

生きてるときに、誰もかれも怖がらせて寄り付かせなかったのは、死んでからこうして私たちに儲けさせてくれるためだったんだよ。

私もこの不幸な男のようになるかもしれないのですね。今の生き方のままでは同じ道を行くことになりますね。

あんな人間にはもう決して戻りません。変えられるとおっしゃってください。わたしは一年じゅう、クリスマスの気持ちですごすようにいたします。

【FIREムーブメント】エブリデイ・クリスマスは難しくても、エブリデイ・サンデーは簡単に達成できる。

(エピローグ)

悔い改めたスクルージの姿が描かれます。

なにもかもわからんわい。まるで赤ん坊だ。気にすることはない。かまうもんか。いっそ赤ん坊でいい。ヤッホー! ヤッホー!

英語でものを考えるということ。高学歴・高偏差値でもお受験英語では喋れない

おお、なんとすてきだろう。なんとすてきだろう!

スクルージはくすくすわらい。なおも笑っているうちに泣きだしてしまった。

スクルージは誰からも愛されるよき友、よき人となった。わたしたちすべてのものがそうなりますように。神さまの祝福がみんなにありますように。

大切なものが何なのかわかったからスクルージは変わることができました。

変わったきっかけは、自分の悲惨な死後を知ったからでした。いわば「自分可愛さ」で変わったのです。そこがこの物語に説得力を持たせています。

もともとスクルージが守銭奴になったのも「自分可愛さ」からでした。悔い改めたのも「自分可愛さ」からです。

ボランティア活動は他人のためじゃなく自分の(心地よさ)ためにやっている、という人がいます。そう考えると、自分可愛さで人が変わるのもいいものですね。

きっかけが自分可愛さでも、それで人に愛され、大切に思ってもらえて、死後に惜しまれるのならば、自分可愛さも悪くないと思えます。

先日、恋愛に功徳のある神社に行きました。恋愛の神様は、恋を成就させる力も、別れさせる力も持っているそうです。二人を結ばせることも、別れさせることもできるのです。同じ力をプラスに働かせるか、マイナスに働かせるか、ただそれだけの違いなのでしょう。

自分可愛さも、そのパワーがどのように噴出するかが問題なのですね。守銭奴になったのも自分可愛さ、愛される人になったのも、自分可愛さからでした。

同じパワーが違うベクトルに働いたのです。

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