言語学習の動機は、日本語にもう飽きたから。

ブログ『ドラクエ的な人生』主筆のアリクラハルトと申します。このページで初めてわたしにふれた人もいると思います。はじめまして。
時々見てくださっている人はわかっているでしょうが、これまでにかなりの数のコラムを書いてきました。過去の作品数を見ていただければわかります。この時点で1804編のコラムを書いています。もちろんすべて日本語です。
また私は数冊の著作を出版しています。その中には『読書家が選ぶ死ぬまでに読むべきおすすめの名作文学 私的世界の十大文学』という本もあります。
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『ギルガメッシュ叙事詩』にも描かれなかった、人類最古の問いに対する本当の答え
(本文より)「エンキドゥが死ぬなら、自分もいずれ死ぬのだ」
ギルガメッシュは「死を超えた永遠の命」を探し求めて旅立ちますが、結局、それを見つけることはできませんでした。
「人間は死ぬように作られている」
そんなあたりまえのことを悟って、ギルガメッシュは帰ってくるのです。
しかし私の読書の旅で見つけた答えは、ギルガメッシュとはすこし違うものでした。
なぜ人は死ななければならないのか?
その答えは、個よりも種を優先させるように遺伝子にプログラムされている、というものでした。
子供のために犠牲になる母親の愛のようなものが、なぜ人(私)は死ななければならないのかの答えでした。
エウレーカ! とうとう見つけた。そんな気がしました。わたしはずっと答えが知りたかったのです。
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こういう本を書く以上、その十倍以上の本を読んでいるのですが、原書なんて読めるはずもなく、翻訳されたものを読んでいます。要するにぜんぶ日本語で読んでいるわけです。
書いて読む、つまり日本語に次ぐ日本語です。こういう生活をしていると……もう日本語に飽きました。
日本語を読んでいても、頭に刺激がビビッと来ないのです。その言葉に慣れ切ってしまいましたからね。
実戦ゲリラ英語学習法。英語がわかれば、YouTubeの視聴可能なコンテンツが数倍にふくれあがります
もう一度世界に生まれ変わったような新鮮な感覚があじわえる

ところが外国語(私の場合は英語です)だと、ぜんぜん話しが違います。日本語で聞いたらくだらない、つまらないと思えるようなことも、外国語だとすべてが新鮮に聞こえます。
日本語だと黙っていたほうがマシなぐらいの意味のないことでも、外国語で聞くとそれが「新鮮な体験」になるのです。はじめて子供が言葉を喋った瞬間と言ったら大げさでしょうが、それに違い感触が得られます。もう一度世界に生まれ変わったような新鮮な感覚があじわえるのです。レベルの低い会話でも、外国語なら楽しめます。Hallo,How are you doing?
それが私が英語学習を趣味にしている理由です。もうすでに一度読んでいるから、日本語でもう一度ハリーポッターを読むのに何の苦労も刺激もありませんが、英語で読んだらそれは大苦労することでしょう。わからないことの連続です。大冒険、大勉強になることでしょう。外国語学習というのは、そういう趣味なんだと思います。
英語教師に多大な影響を受けたから、恩返しに、日本語教師をやろうかな

ところで、YouTubeなどで英語学習をしていると「英語の先生」「イングリッシュティーチャー」という人のチャンネルにつきあたります。英語教師のチャンネルががもっとも勉強になります。
アメリカで語学留学生相手の英語の先生をしていたり、諸外国でAETアシスタントイングリッシュティーチャーを経験した人が、YouTubeで語学学習チャンネルをやっているわけですね。
そういう人の英語は、ゆっくりクリアに発音してくれるので、とてもよく聞き取れます。まずはそこからはじめましょう。
この手の英語の先生に、あまり恩恵ばかり受けているので、自分も恩返しができないかと考えてしまいます。

「英語教師に多大な影響を受けたから、恩返しに、日本語教師をってやろうかな?
日本語に飽きてしまうほど日本語にどっぷりとつかってきた私ならば、日本語の先生として、外国人相手に余裕をもってやっていけると思います。
日本語教師になるには? 日本語の先生になる資格とは?

どうすれば日本語の先生になれるのでしょうか?
たとえば台湾に日本語教室があったとして、そこの経営者に雇ってもらえれさえすれば、特に資格は何もいりません。会社に採用されればサラリーマンになれます。それと同じことです。雇ってもらえれば、プロの日本語教師になることができます。
でも採用されるとは限りませんよね? 私には数冊の日本語の書籍を出版している実績がありますが、あなたに何か実績があるでしょうか?
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(本文より)
カプチーノを淹れよう。きみが待っているから。
カプチーノを淹れよう。明るい陽差しの中、きみが微笑むから。
ぼくの人生のスケッチは、まだ未完成だけど。
裏の畑の麦の穂は、まだまだ蒼いままだけど。
大地に立っているこの存在を、実感していたいんだ。
カプチーノを淹れよう。きみとぼくのために。
カプチーノを淹れよう。きみの巻き毛の黒髪が四月の風に揺れるから。
「条件は変えられるけど、人は変えられない。また再び誰かを好きになるかも知れないけれど、同じ人ではないわけだよね。
前の人の短所を次の人の長所で埋めたって、前の人の長所を次の人はきっと持ちあわせてはいない。結局は違う場所に歪みがでてきて食い違う。だから人はかけがえがないんだ」
金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。
夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。
夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。
あの北の寒い漁港で、彼はいつも思っていた。この不幸な家族に立脚して人生を切り開いてゆくのではなくて、自分という素材としてのベストな幸福を掴もう、と――だけど、そういうものから切り離された自分なんてものはありえないのだ。そのことが痛いほどよくわかった。
あの人がいたからおれがいたのだ。それを否定することはできない。
人はそんなに違っているわけじゃない。誰もが似たりよったりだ。それなのに人はかけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。
むしろ、こういうべきだった。
その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と。
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いちおうハクをつけたいならば、日本語教育能力検定試験というのがあるそうです。これはいったいどういう試験なのでしょうか? 調べてみてびっくりしました。
過去問題を見てみたのですが、これが難しい……っていうか、くだらない。無声歯摩擦音? 有声両唇破裂音ってなんだ(笑)? まあ、だいたい想像つくけどさ。
なんだろう……まったくおもしろくないので、すこしも勉強してみたいという気持ちになりませんでした。お受験時代を思い出しましたよ。いったい何を教えようとしているんでしょうかねえ?
わたしは自分自身を、日本語が得意だと認識しています。そんなわたしがさっぱり意味がわからない試験にどんな意味があるんでしょうか? こんなことを日本語初心者の外人に教えてどうなるというのでしょうか? すくなくとも彼らのニーズをまったく満たしていませんね。一生を、プロの日本語教師として、傭兵のように世界を渡り歩くというのなら別ですが、日本語教師というのはこんなことを理解していないとつとまらないような仕事ではないと思います。どっちかというとコミュニケーション力のほうが重要なんじゃないでしょうか?

