ドラクエ的な人生

コロナ禍の青春〈人生は、もっとも大切なものから先にやれ〉

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人生は、もっとも大切なものから先にやれ。

多い時には年間六回(年末年始旅行二回含む)も海外旅行に出かけていたのに、コロナ禍でこの二年ほど飛行機に乗っていません。あまりにも飛行機が恋しくなったので、成田空港までドライブしてテイクオフを見てきました。

そのときの映像がこちらです。

いつか石油エネルギーが尽きて、飛べなくなる日が来るのではないかと思っていましたが、まさか世界的な感染症で飛べなくなる日が来るとは想像もしていませんでした。

※感染症の時代は、過去だいたい四年ぐらいで収まっているので、2023年末ごろには終息すると予想しています。

感染症の時代の生き方を歴史に学ぶ。カミュ『ペスト』

いつ死ぬかわからないので、いちばんおいしいものから食べて、いちばん行きたい場所から行くことを人生のモットーに生きてきました。もっとも大切なものから先にやれ、ってことです。

メメント・モリ。死を忘れるな

その甲斐あって、死ぬまでに言っておきたい場所の大半にはもう行ってしまいました。そういう意味では後悔は他の人にくらべたら少ない方だと思っています。

でも、このコロナ禍の時代に、大切な青春時代を過ごした子どもたちは可哀想だよなあ、とつくづく思うことがあります。

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高校の修学旅行が「後楽園ゆうえんちで僕と握手!」

知り合いの子どもが高校生なのですが、コロナ前の予定では修学旅行の渡航先は「台湾」でした。

台湾をはじめとする放浪先で、私の人生はすくなからず変わりました。

青春時代に台湾の夜市などを経験することはとても有意義だと思うのですが……コロナ禍で飛行機が飛ばず、外国なんてとんでもないという時代です。

それでもなんとか修学旅行だけは行かせてやろうと旅先はハウステンボス、大阪USJ、と二転三転し、最終的には東京ドームシティになったそうです。

東京ドームシティって……旧・後楽園遊園地ですよ。「後楽園ゆうえんちで僕と握手」のアソコです。いやどうも。

かわいそうすぎて、不謹慎ながら笑ってしまいました。台湾、行きたかっただろうな。でも2週間の自主隔離なんかしてたらホテルにしか行けないもんね。

いや、ホントにかわいそうだな。おれだったら「後楽園ゆうえんちで僕と握手」よりも飛行機に乗って台湾のホテルで缶詰めになる方を選ぶな。

だって……東京ドームシティなんていつでも行けるじゃん!

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大学生の場合。留学、卒業旅行、就職がすべてパアに

その子の姉が大学生だそうです。某外国語大学で英語を一生懸命勉強しているそうです。ところが、アメリカに短期留学の話しがあったのですが、コロナ禍で中止に。友だちとヨーロッパに卒業旅行する話しもしていたのですが、それも中止に。旅行業界に就職したい夢があったのですが、コロナ不況で採用もなし。

踏んだり蹴ったりです。このコロナ禍の時代に大学時代を過ごすとこんなことになっているそうです。

いや、本当にかわいそうだなあ。

やっぱりいつ何が起こるかわからんから、人生は、最も大切なものから先にやれ、というのが正解だと思うなあ。

老後にやるとか、定年退職後にやるとか、そういうのは「やらないための言い訳」なんだろうと思います。いつやるか? 今でしょう。というのが、後悔しない生き方の基本だと思います。

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コロナ禍の青春にガッカリするな。希望はある

でもコロナ禍に青春をおくることになった時代の子どもも、ガッカリなことばかりではないと知ってほしいと思います。

これから先、君たちの未来にはとんでもない変革が待ち構えています。「外れ籤」とは限りません。

もしかしたら君たちは宇宙旅行に行けるかもしれません。将来的にはウェアラブルデバイスや自動運転車など、想像もできないすごい未来を生きることになるでしょう。気休めではなく本当にそのような未来を、今の子供たちは体験できるでしょう。

生まれてきた時代が当たりか外れか、それは死ぬまでわかりません。ひと世代前に比べて、コロナ禍の直撃でダメージを受けたかもしれないけれど、ひと世代前の人たちが体験することができなかったおもしろい世界を体験できるかもしれません。

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我を忘れるほど熱中する歓びは、その対象が何であれ、違いはない

むしろそれをひと世代前の私たちは羨ましいとさえ感じます。5GやAIが描く未来予想図を見るたび聞くたびに長生きしたくなります。長生きして、その未来を体験してみたいのです。

昔の人は親と同じような人生を送って死にました。だけど君たちは親とは違う人生を送ることが確実にできます。

それを喜んでください。

それに「今」を一生懸命に生きていたら、その生きる喜びは「何をしていても」たいして変わらないのではないかと私は思っています。

我を忘れるほど熱中する歓びは、その対象が何であれ、違いはないと思いませんか?

ご健闘をお祈りいたします。

※この記事を最後までお読みいただきありがとうございます。この記事の続きにあたる「これからの子どもたちは当たり籤を引いている」についてはこちらの記事をお読みください。

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