日本の成田空港から、韓国の仁川空港でトランジットして、マレーシアのコタキナバルに旅をしてきた。
ジョボイ成田空港から、AIロボットが動き回っているソウル仁川空港に飛んで、私は日韓の経済力はもう逆転しているのではないか、との思いに駆られた。
元徴用工問題に端を発した日韓の感情的対立で、圧倒的な日本の経済力で韓国がネをあげるまでギュウギュウ締め上げてしまえという論者がいるが、私は不可能ではないかと思う。
経済学者ではないので具体的な数字で論証できるわけではないが、旅人の感覚として無理だと思う。
日本はそんなに経済大国だろうか? 韓国とくらべてそれほど裕福だろうか?
そうだ、と思う人はコタキナバルに行ってみてほしい。コタキナバルに行ったら、中国と韓国が同じぐらい豊かで、日本はすこし貧しいと感じるだろう。
むしろ日本の方が劣った国なんだと思った方がいいんじゃないか。
日本はスマホをつくれ。スマホでサムソンに負けている限り、韓国を軽視するな。
コタキナバルでは、お金持ちで我が物顔に振舞っているのは韓国人、肩身が狭いのが日本人です。
単純に観光客の数が多い。
ちょっとまて韓国。なんでそんなに幅きかせちゃってるのよ。
その理由を探りたい。
どうしてこんなにコタキナバルには韓国人が多いのか、不思議なぐらいだった。
人口でいえば日本は韓国の倍以上なのに、コタキナバル観光客の数では4:1ぐらいで韓国人の方が日本人よりも多い。
すると街中の文字もハングル文字で溢れかえることになる。
コタキナバルでは、漢字、ハングルはたくさん見たが、日本の文字はあまり見なかった。
流れてくるポップスも、飲食店も、売店の系列も韓国系が多いし、韓国文化が日本文化を圧倒している。
コタキナバルは、元々、イギリス領だったのを日本軍が追い出した街だ。日本が4年ほど実効支配していた時代もある。そんな場所でどうして日本文化よりも韓国文化がひろまっているのか?
商売のための看板だから、観光客の数が看板の文字を日本語から韓国語に変える。
ではどうしてコタキナバルには韓国人がやたらと多いのか?
観光客が多い理由は、直行便が多いから
ハワイといえばJTBのように、韓国の大手旅行会社がコタキナバルを推しているという理由があるのだろうか。
「そうだ京都に行こう」的な旅行イメージ戦略があるのだろうか。いがいと寒い済州島を「韓国のハワイ」と言っているぐらいだから。
ワイキキほどの楽園感はコタキナバルにはないのだが。アスファルトに踏みつぶされたゴキブリの死骸だらけの町である。
もっともアイランドホッピングをして離島に行けば、リゾート感は出てくるが、いかんせんショップが弱すぎる。日本の女子にはうけないだろう。
どうやらコタキナバルに韓国人観光客がやたらと多いのはフライト直行便がやたらと多いからのようだ。
日本からの直行便にくらべて、複数の航空会社が数倍のキャパで韓国人を日々コタキナバルへと運んでいる。
それがコタキナバルでの韓国文化の氾濫につながっているのか。
直行便の威力は凄い。
もっとも「客の需要があるから複数便がある」というのが正解だろうから、何かしら韓国人を引き付けるものがコタキナバルにはあるのだろう。
ちなみにキナバル山4095mには韓国人はあまりいなかった。日本人の方が多かった。ハルラ山1947mしかない韓国人が高い山に飢えているわけではなさそうだった。
韓国人にとってのコタキナバルの魅力はなんだろうか。それが私にはよくわからなかった。
あるいは「熱帯雨林」という暑さ、気候かもしれないなあ、とは思う。韓国は日本人が想像する以上に寒い国なのだ。
逆に「便があるからお客が来る」っていうことなのかもしれない。
日本も行ったことだし、じゃあコタキナバルでも。。。飛行機、空いているし、ってことなのだろうか。
ちなみに韓国人の渡航都市ランキングは1位大阪、2位東京、3位バンコク、4位福岡、5位ダナンらしい。
コタキナバルは入っていない。町が小さくて、日本人が少ないから目立っているだけなのだ。
ショップに入ると韓国人だらけで、POPもハングルで、店員も日本語は無理だけど韓国語は喋れるというコタキナバルでは、日本人はちょっと凹んでしまう。
負けた、と感じるからだ。
しかしそんなに悪いことではない。
どうです、みなさん、外国で日本語の看板、そんなに見たいですか?
私はそんなに見たくない。すくなくとも日本語で表記してあるお店で買い物はしたくない。
日本人価格でぼったくられているような気がするからだ。
現地の言葉で表記されているお店で、現地人と同じ価格で買い物したい。
かつてグアム島は第二のハワイをめざして現地の観光局が日本語の看板を出しまくって日本人を誘致しまくったそうだ。
しかし便宜を図った結果、観光客が減ってしまったらしい。
そりゃそうだ。外国で日本語の看板なんて見たくない。
非日常がいいのだ。同胞の顔なんか別に見たくない。
グアムと同じ道を、コタキナバルの韓国人が歩まなければいいが。
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旅人が気に入った場所を「第二の故郷のような気がする」と言ったりしますが、私にとってそれは韓国ソウルです。帰国子女として人格形成期をソウルで過ごした私は、自分を運命づけた数々の出来事と韓国ソウルを切り離して考えることができません。無関係になれないのならば、いっそ真正面から取り組んでやれ、と思ったのが本書を出版する動機です。私の第二の故郷、韓国ソウルに対する感情は単純に好きというだけではありません。だからといって嫌いというわけでもなく……たとえて言えば「無視したいけど、無視できない気になる女」みたいな感情を韓国にはもっています。
【本書の内容】
●ソウル日本人学校の学力レベルと卒業生の進路。韓国語習得
●関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件
●僕は在日韓国人です。ナヌン・キョッポニダ。生涯忘れられない言葉
●日本人にとって韓国語はどれほど習得しやすい言語か
●『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』南北統一・新韓国は核ミサイルを手放すだろうか?
●韓国人が日本を邪魔だと思うのは地政学上、ある程度やむをえないと理解してあげる
●日本海も東海もダメ。あたりさわりのない海の名前を提案すればいいじゃないか
●天皇制にこそ、ウリジナルを主張すればいいのに
●もしも韓国に妹がいるならオッパと呼んでほしい
●「失われた時を求めて」プルースト効果を感じる地上唯一の場所
●「トウガラシ実存主義」国籍にとらわれず、人間の歌を歌え
韓国がえりの帰国子女だからこそ書けた「ほかの人には書けないこと」が本書にはたくさん書いてあります。私の韓国に対する思いは、たとえていえば「面倒見のよすぎる親を煙たく思う子供の心境」に近いものがあります。感謝はしているんだけどあまり近づきたくない。愛情はあるけど好きじゃないというような、複雑な思いを描くのです。
「近くて遠い国」ではなく「近くて近い国」韓国ソウルを、ソウル日本人学校出身の帰国子女が語り尽くします。
帰国子女は、第二の故郷に対してどのような心の決着をつけたのでしょうか。最後にどんな人生観にたどり着いたのでしょうか。
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日本人同士で都市間競争のようなものにうつつを抜かさずに、韓国や中国に国レベルで張り合えるようにしたい。
都市間競争はゼロサムゲームといってプラスマイナスゼロのゲームなのだ。
A市で人口が増えても、その分B市で人口が減っている。トータルするとプラスマイナスゼロなのだ。
意味ね~~。
世界に打って出た韓国をお手本に、日本全体として再びマネーゲームをしようではないか。
そしてゲームに勝とう。
そんなことをコタキナバルのコリアンパワーを見て感じたのである。
一人当たりGDPで日本人は確実に韓国人に追い抜かれたんだなあ、というのを如実に感じた街でした。