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人生を学びたいなら少年マンガよりも少女マンガを読むべき理由

バトルものは、売れる少年マンガの黄金律。しかしバトル以外に何を描けばいいのかわからなくなってしまう

ずっと小説を書こうと思っていました。この稿の筆者は小説の出版をしています。

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(本文より)

カプチーノを淹れよう。きみが待っているから。
カプチーノを淹れよう。明るい陽差しの中、きみが微笑むから。
ぼくの人生のスケッチは、まだ未完成だけど。
裏の畑の麦の穂は、まだまだ蒼いままだけど。
大地に立っているこの存在を、実感していたいんだ。
カプチーノを淹れよう。きみとぼくのために。
カプチーノを淹れよう。きみの巻き毛の黒髪が四月の風に揺れるから。

「条件は変えられるけど、人は変えられない。また再び誰かを好きになるかも知れないけれど、同じ人ではないわけだよね。
前の人の短所を次の人の長所で埋めたって、前の人の長所を次の人はきっと持ちあわせてはいない。結局は違う場所に歪みがでてきて食い違う。だから人はかけがえがないんだ」

金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。
夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。
夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。

あの北の寒い漁港で、彼はいつも思っていた。この不幸な家族に立脚して人生を切り開いてゆくのではなくて、自分という素材としてのベストな幸福を掴もう、と――だけど、そういうものから切り離された自分なんてものはありえないのだ。そのことが痛いほどよくわかった。

あの人がいたからおれがいたのだ。それを否定することはできない。

人はそんなに違っているわけじゃない。誰もが似たりよったりだ。それなのに人はかけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。

むしろ、こういうべきだった。

その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と。

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子供の頃からずっと小説を書こうと思っていたのですが、あまりにも本ブログのタイトルの由来にもなっているドラクエや少年マンガに影響を受けて、すっかり物語が書けなくなってしまいました。

何故書けなくなったのかというと、敵を殴ったり切り倒したりしないと物語にならないという脳になってしまったからです。少年マンガって敵と格闘ばかりしているんですよね。ドラクエも敵とバトルばかりしています。そういう作品ばかり見ていると、バトルしないとストーリーじゃないというか、バトル以外に何を描けばいいのかわからなくなってしまうのでした。

現実社会は非接触の世界なのに、接触系バトルばかり読んでどうする

バトルものを描け! 売れる少年マンガのセオリーとしては決して間違っていないと思いますが、小説を書こうとすると大問題が発生します。バトルシーンというのは絵で見せるものなので、あまり小説に向いていないのです。小説は心の内面を描くことは得意ですが、迫力のある画面を読者に感じさせることは苦手です。映画や漫画にはかないません。

そもそもこの世界にはバトルしかないのでしょうか。恋愛だってバトル、企業だってバトル、宗教家だって心のバトルをしていると解釈すれば、すべてはバトルものだと言えるかもしれません。「生きていくことはバトルだ」と解釈するならば、すべてはバトルものでしょう。

私の小説『ツバサ』も恋愛系の成長譚ですが、しっかりと心の闘いをしているので「バトルもの」といっていいかもしれません。ただドラクエや少年マンガに影響されたバトルというのは、心の闘いでは終わらないんですよ。物理的に相手をぶっ飛ばしたくなるんですよね(笑)。

実際に『ドラゴンボール』『ワンピース』『北斗の拳』は相手を直接パンチしてますし、『鬼滅の刃』『進撃の巨人』は相手を武器で斬っています。

長い間、こういう接触系バトルにあまりにもどっぷりとつかりすぎました。しかし現実世界はほとんどの場合は非接触(バトル)ですよね。接触系バトルをすれば逮捕・収監されてしまうでしょう。こういった接触バトルものばかりに触れていると、非接触でできている現実社会にどう対応していいのかわからなくなってしまいます。

人生の教科書(もっとも影響を受けた本)には「パンチでぶっとばせ」と書いてあるのに、現実には「やっちゃだめ」となっているからです。

唯一、男女のセッ●スという接触系があります。これこそは福音、希望です。ただしマンガや小説で表現できるかというと……ポルノにならないように注意しましょう。

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小説家志望なら少年マンガよりも少女マンガがおすすめ

そこで少女マンガです。少女マンガは少年マンガのように敵を殴ったり斬ったりしないはずです。それでは少女漫画は何を描いているのでしょうか?

少女マンガを精読し分析すると、少女マンガでは……

気になる人の行為(視覚刺激)にガーンと衝撃を受けています。

周囲のヒソヒソ話や聞えよがしの悪口(聴覚刺激)にガーンと衝撃を受けています。

これが少年マンガのパンチ・技に相当するんですね。なるほどー。

敵側の言葉に打ちのめされたり、自分の心の弱気に打ちのめされます。他人といる場面でも、一人の場面でも、悩みます。苦しみます。

ガーンと殴られ系の衝撃だけでなく、『ちびまる子ちゃん』みたいに顔に斜がサーッとかかる系の衝撃もあります。隠れて泣いてしまうというパターンもあります。少年マンガにはなかなか見られない「泣く」という反応パターンは新鮮でした。ダメージにもいろんな種類があるということですね。

少女まんがでは、心の衝撃、それがバトルの代わりなのですね。。相手の言葉や行為が敵のパンチに相当します。逆に主人公側の応酬パンチは、直接言い返したり、その弱い心を克服しようと心の闘いをして克己するのがそれに相当します。接触系バトルをやらなくても、立派にバトルものとして成立しているのでした。

好ましくない話題、ひそひそ話を聞いてしまう。陰口に傷つく。心を揺さぶられる。感情がへこむ。誰かの声が頭の中で響き渡る。くやしくて泣く。にらむ。目が合う。突っ張りとおせるか。チッと舌打ちや、ジロッと睨みなど無言の攻撃もある。どちらがどう勝ち、どちらがどう負けるか。勝ちざま、負けざまが見せ場。

偶然会う。恋のドキドキ。期待の重圧と、実力のなさに悩む。頑張っていることが評価されない。苦しむ。汗を流す。昨日の自分を超えていく努力をする。

マイナスの影響とプラスの影響がある出来事で物語が進行するのではなく、出来事に絡みつく感情で進行する。

他人の期待に応えようとする。自分一人なら止められるのに止めたくても止められない。それが頑張る動機になる。ライバルの成長の視覚刺激。高い壁に次々とぶつかる葛藤。悩み。挫折して泣いて縋る。負けるものか。

感情の渦巻きで怒涛の展開をしていきます。

少年まんがから「殴る」「斬る」を除いたら? 少女まんがから学ぶバトルしない物語の盛り上げ方

少女マンガを研究してみました。少年マンガとは違った意味で、少女マンガもやっぱりバトルものでした。

パンチというのは触覚的刺激です。少年マンガにはこのパンチ系が多いのですが、少女マンガは聴覚的刺激視覚系刺激とが多いようです。少年マンガは肉体的に打ちのめされるのですが、少女マンガは精神的に打ちのめされるのです。

心に衝撃を受けるのは主人公側だけでなく、脇役も心に衝撃を受けながら、もつれあうようにして物語は展開します。この場合、衝撃を受ける側、傷つく側が話主・語り部となりますね。傷つき方が見せ場であるからです。小説でこれをやる場合はあえて主人公(感じる側)を決めないほうがいいかもしれません。傷つく側が話主です。

生きていくことはたたかいだから、どんな物語でも、すべてはバトル(心の葛藤)ものなのです。

しかし現実は少年マンガよりも少女マンガに近いものです。実社会では心の葛藤、視覚的刺激、聴覚的刺激はありますが、接触刺激(パンチや斬撃)は滅多にありません。格闘技をやるか、大震災・大洪水に巻き込まれるか、性的接触しない限り、実社会に接触刺激はないといっても過言ではないでしょう。小説も同じです。基本的に小説は接触刺激ではなく心の渦巻きで展開されていきます。

人生を学びたいなら少年マンガよりも少女マンガを読むべきでしょう。

接触系バトル漫画やバトルゲームばかりしていると、非接触プレイばかりの現実社会に適応できなくなるぞ。

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