史上最高の恋愛小説『マノン・レスコー』恋愛至上主義

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史上最高の恋愛小説『マノン・レスコー』

古今東西、恋愛小説はたくさん書かれてきました。

歴史上最高の恋愛小説といったらば、あなたは何を推しますか?

私だったら『マノン・レスコー』を一択で推薦します。

史上最高の恋愛小説といえば、これ以外にありません。

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ロマン派でいこう。メルヘンっぽいのがロマン主義、実話っぽいのが写実主義

1731年の作品です。18世紀から19世紀半ばまで続いたロマン主義文学の黎明を告げる作品とされています。恋愛浪漫ですね。

私は個人的にロマン主義が大好きです。ロマン派に対抗するように現れた文学上のムーブメントが写実主義自然主義です。逆に写実主義は好きではありません。

メルヘンっぽいのがロマン主義、実話っぽいのが写実主義ですね。

正岡子規の句が好きだったらあなたは写実派。与謝野晶子の句が好きだったらあなたはロマン派です。

私はロマン派です。写実小説なんか読む気になれます?

「あなたの苦悩」は「他者の苦悩」よりもあなたにとっては大きいのです。現実の生活で十分に苦労しているのに、どうして本まで現実的な、面白くもない苦しいものを読まなければならないのでしょうか。

写実主義の本なんて読む意味あるのかしら? 日本の私小説が面白くないのはそのせいじゃないの?

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マノン・レスコーとは? 実は男の転落っぷりが見もの

文学史に名を残した悪女マノンの性格ですが、まあ一筋縄ではいかない娼婦型です。

生活レベルが一定のレベル以上の時は恋人グリューを心から愛するが、貯金が一定水準を下回ると、とたんに肉体を餌に金持ち男からお金を貢がせようとする毒婦ですね。プロの娼婦ではありませんが、誰とでも寝ちゃうタイプの女には違いありません。

しかし金銭にがめついというわけではなく、ただ無邪気に「遊びたいだけ」の女です。お金のためのお金ではなく、気持ちよく遊ぶのには金がいるからお金が無くなると自分の唯一の商品(肉体)を店頭に並べてしまうという娼婦タイプの人間です。

じゃあ、どうしてこんな女が「文学史に残るいい女」に思えるのか? というと、ただただ恋人側のグリューがボロボロに破滅していくからです。

男の転落するさまがすさまじく、「男がそこまで打ち込むのなら。それほどの女か」と、マノンを永遠のヒロインにしているというわけです。

↑大塚美術館の「この男」と話しが似ています。女にこれほどの幸せそうな顔をさせるほどの男なら「いい男」に違いあるまい、というわけですね。

日本一おもしろい美術館『大塚美術館』。全部ニセモノ、けれど感動は本物

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男を狂わすのは「いい女」の証明書・保証書のようなもの

男を狂わすというのはいい女の証明書のようなものです。

トロイのヘレナや、殷の妲己楊貴妃など歴史の上では、そのような傾国の美女は以前から存在していました。

しかし創作小説の上で、娼婦型の人物が登場したのはアヴェ・プレヴォオのマノン・レスコーがはじめてだとされています。文学ではこのタイプの女性を、ファム・ファタールと呼ぶこともあります。毒婦型とでもいいましょうか。

「椿姫」とか「カルメン」など、女に翻弄される男の物語はたくさんありますが、すべてはマノン・レスコーの後発組です。椿姫などはマノン・レスコーの焼き直しじゃないか、という気さえします。

それでいて後発の「椿姫」や「カルメン」などを寄せ付けない破滅っぷりを騎士グリューが見せてくれるものですから、原典にして最高峰の恋愛小説だと言えるのです。

それにしても現実ってすごいよね。マノンが娼婦型では小説最初でも、史実の中にはいくらでも娼婦型がいるんだから。

しかしロマン文学には、写実文学をきっぱりと超えてもらわなければなりません。今こそ『マノン・レスコー』の出番です。

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翻訳文学。翻訳者によって違う日本語のリズム感

私はこの史上最高の恋愛小説を三人の翻訳家の訳で読んでいるのですが、青柳瑞穂さんの訳がもっともよかったです。

同じ内容でも表現が違ったり、言葉のリズム感が違ったりしますので、訳者は選んでください。その際、参考になるのは出版年齢です。さすがに明治時代に和訳されたものは日本語が古くて読みにくいと思います。

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作者アベ・プレヴォとは?

『マノンレスコー』は、男が女にひたすら恋をして、世の掟や宗教的な戒律をひたすら破って恋のために没落していくという物語です。

女が好き勝手に恋愛をしたりお金を使ったりすることで、男が振り回されるという話しですね。女の自由奔放な生き方を束縛しようとするのが普通の男ですが、騎士グリューはマノンのすべてを認めて受け入れてともに転落していきます。この転落っぷりが見ものです。

作者アベ・プレヴォというのは僧プレヴォという意味だそうです。作者はカトリックの聖職者なのです。しかし「マノン・レスコー」は破戒僧なら別ですがまともな聖職者が書く小説じゃありません。行為しなかったとしても、書いたということはそういう感情を作者はもっていた、ということに他なりません。「心に行った姦淫は、実際に行ったのと同じである」とイエスも言っていなかったっけ?

あんかい作者の体験を小説に反映させているそうです。どんな聖職者だ。戒律はどうなった。

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恋愛の狂気『マノン・レスコー』のあらすじ

物語のあらすじを紹介することについて

あまりにマノンを愛しすぎているために、いちばん不幸な人間になった男……『マノン・レスコー』の主人公は実はマノンではありません。世界の果てまで行こうとも、マノンの後を追っていこうとする騎士グリューこそが真の主人公です。見るべきなのは、マノンの魅力ではなく、恋の魔力にボロボロになっていくグリューの姿です。

グリューはマノン・レスコーと出会い彼女の魅力のとりこになってしまいます。グリューはりっぱな階級の出身でマノンは家格のつりあわない下層階級の出の女でした。しかしグリューはそんなこと気にもとめません。マノンとグリューは恋愛関係になり、パリで結婚する約束をしましたが、親の承認が得られず、結婚できませんでした。パリでの同居生活は順調に見えましたが、やがてお金が尽きてしまいます。

するとマノンはパリでの豪華な遊びのために、Bという金持ちを家に連れ込んでしまいます。そのことにグリューは衝撃を受けます。愛し合っていたと思っていたのに……。

マノンを独り占めしたいBの策略で、グリューは実家に連れ戻されてしまいます。父親は若気のいたりの恋愛をあざ笑います。しかし売春婦もどきの浮気な女との恋愛をあざわらう周囲の人たちの嘲笑に負けず、グリューは自分の恋愛をつらぬきます。

「かえしてもらいたいのは彼女なんです」

「あいつはマノンの心を獲得なんかしません。マノンがぼくを裏切るなんてことがあるでしょうか。ぼくを愛さなくなるなんてことがあるでしょうか」

「ぼくはBの家に火をつけるんです。そして不貞のマノンもろとも黒焦げに焼いてやります」

いいところのボンボンだったグリューは恋愛の狂気を知ってしまいました。他はいたって真面目なのに、ことマノンがらみの行動だけは正気ではなくなっていきます。

マノンはBに囲われています。Bは、マノンの愛情に比してしかるべき金を払うといいます。囲い込みの愛人になったということですね。それに対してグリューは僧門に入ろうとします。僧門といっても仏教じゃありません。キリスト教です。世をすてて隠遁し、家柄にふさわしい宗教者への道を歩もうとします。

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聖職者? いいかげんにしろこの性職者!

グリューは聖職者として一年ほど宗教修行を積みますが、マノンと再会と同時に、修行してきたことはもろくも崩れ去ります。

「みなすべて愚かしい空想だった。宗門の幸福など、おまえの視線にあったら、ぼくの心の中に一分だって居座っていることなどできない」

「マノンのために、キリスト教界のどんな司教の位だって棒にふるつもりだった」

あれあれ。いいかげんにしろこの性職者め(笑)。

「マノンのうそつきめ。ああ、うそつきめ。うそつきめ!」

マノンは遊び事には熱狂的な女でした。贅沢と快楽のためにはグリュワの愛を平気で犠牲にします。

なるほどBに囲われて豪勢な生活はしていたが、彼と一緒で楽しい思いなどただのいっぺんもなかったというマノンの言葉をグリューは信じます。

「もし金を払わずに遊び楽しむことができるのならば、マノンは一文だってほしがらなかったろう。中ぐらいの財産さえあれば、おそらく彼女は世界中の誰よりも私を選んだであろう」

「ぼくのこころを取ってくれ。きみに捧げることのできるただひとつのものだ」

マノンのために身を持ち崩して転落していくことを、グリューはすこしも怖がっていません。むしろそのことに喜びを感じています。

このように娼婦型の女にのめり込んで身を持ち崩していく男の話しなのですが、ここまでやるとだんだんグリューがかっこよく見えてきます。あくまでも恋に身を捧げ、愛を貫き通そうとする男のようにも見えるからです。

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貴族の雇用。おんなの浪費が経済をまわしている。

「恋愛は穢れのない情熱であるはずなのに、どうして罪づくりで不幸とふしだらの原因になってしまったのだろう」

マノンのためにグリュワは節約生活を送ります。自分のためのお金はつかわず、すべてをマノンの浪費のために使おうとするのです。二人の生活を少しでも長引かせるためでした。

「腹が減るのが何よりの心配なのだ。なんという下劣な根性でしょう。ぼくは空腹なんてこわくなかった。だからこそ、みずから飢えに身をさらしたのだ」

そこまでして二人の生活費を節約したグリューでしたが、なんと使用人に財産を持ち逃げされてしまうのです。

いや使用人を雇うのやめて人件費をカットしろよ、というのが現代的な考え方ですが、この時代の貴族階級は使用人を使うのが習い性、義務のようなものだったのでしょう。ノブレス・オブリージュと考えなければ、理解できません。他の作品でもどんなに貧乏設定でも貴族には使用人がいるものなのです。

そして生活費がなくなると、たちまちマノンは金持ちの男のところに走ってしまうのでした。

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美人局の恋愛至上主義者。

マノンは身体を売ることを何とも思っていませんが、グリューはそうではありません。マノンの貞操が大事でした。しかしグリューもお金は欲しいのです。マノンをつなぎとめておくためにもどうしても。

すると折衷案は、結果として美人局(つつもたせ)のようなことになってしまいます。肉体を餌にお金を出させて、最後の一線を超える前にずらかるわけです。こうしてグリューとマノンは美人局という犯罪に手を染めていきます。

金持ちを騙して金を持ち逃げしようとしたところ、逮捕されてマノンはオピタル(売春婦矯正施設)に送られてしまいまた。マノンへの仕打ちを聞いてグリューは怒り狂って暴力を振るいます。そして牢獄に閉じ込められてしまいます。

金をだまし取ろうとしたお金持ちは権力者でした。

「われわれの至福は快楽の中にある。あらゆる快楽の中で最も楽しいものは恋の快楽である。恋のよろこびはわれわれをもっとも幸福にしてくれる」

「ぼくにそのよろこびを味あわせてくれるのは、たったひとつしかない(マノンだ)」

恋愛を諦めれば助けてやるという父親に対して、グリューは「恋愛こそすべてだ」と堂々と意見します。みごとなまでの恋愛至上主義ですね。

僕の過失を引き起こしたのはみんな恋のしわざです。宿命的な情熱のしわざです。僕の罪悪というのは、これなんです。

「ぼくは善良な心をもっているから、不良になってしまった」

そして親身になってくれた院長にピストルをつきつけてマノンを助け出すために脱獄するのでした。

そして親身になってくれる金持ちの前に身を投げ出し、涙を流して足元にすがりつくようにして、恥も外聞もなくマノンを助け出そうと哀訴嘆願します。

「人間は自由のためにはどんなことでもする」

心を動かされた有力者の協力を得て、マノンをオピタルから出すのにグリューは成功します。その代償に門衛を殺し、逃避行がはじまるのです。

「どこまで行くのですか?」「世界のはずれまでだ。マノンと永久に離れないですむところまでだ」

なさけないグリューがときどきカッコよく見えるのが『マノン・レスコー』なのです。

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貯蓄残高ではなく残りの人生時間こそが大切(お金よりも時間)

「富というものは自分の欲望の満たし方によって計算する必要がある」

グリューはいいます。グリューは常にお金に悩まされますが、彼にとって大切なのはマノンで、お金ではありませんでした。

最近はホリエモンなどが「貯蓄の残高ではなく残りの人生の時間こそが大切(お金よりも時間)」とか言ったりしていますが、グリューも同じです。グリューにとって富とはマノンと一緒に過ごす時間のことでした。

時間こそが命。命とは時間のこと。ミヒャエル・エンデ『モモ』と映画『TIME』の共通点

しかしグリューがそれほどまでに思っても、お金が尽きるとマノンはまた言い寄ってくる他のお金持ちと寝ることも辞さない態度を見せます。別の女を自分の代わりにグリューによこすということまでするのです。

グリューは自分の恋愛がバカにされたかのように感じて怒ります。

「おれときたらご提供できるのは愛ばかり、誠実ばかり。女どもはおれの貧乏を軽蔑し、おれの一本気をなぶりものにする」

そしてあてがわれた女には見向きもせず、密会中のマノンに会いに行くのでした。

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傷ついた男の心は、逆に女の心を傷つけようとさえする

「きみはぼくを死ぬほど苦しめておいて、今になって涙を流したってもうおそすぎるよ。人間って自分が裏切った不幸な男のためなんかに、そんなにやさしい涙は流さぬものだ」

純情な恋愛を踏みにじられて傷ついたグリューの心は、逆にマノンの心を傷つけようとさえします。

「恩知らず、不貞な女。浮気で、残酷な恋人。おまえのそのあさましい根性がわかったからには、おさらばだ。卑怯者め」

しかし瞬発的な怒りも長続きしません。最後は常に愛情が勝ってしまうのです。みじめにマノンにすがりつきます。

「きみのやったことには何だってぼくは賛成なんだ。きみはぼくにとって全能だ。きみはぼくの恋がたきと一夜を明かすことによって、永久にぼくを亡き者にするつもりなのかどうか言ってくれ」

彼女のあらゆる欠点に目をふさぐためには、彼女に惚れているというだけでじゅうぶんだった。

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恋の賊。恋に狂って恋賊になった男

マノンは美人局の容疑で、また牢獄に入れられます。グリューがマノンの貞操を守ったままお金だけ奪おうとするから、どうしても美人局にならざるをえないのです。

「きみを牢獄からひきだすことができなかったとしたら、ぼくの命なんか犬にくれてやる」

マノンを自由にし、救いだし、その仇を奉ずるには私の命が必要だった。

グリューは味方してくれそうなものを総動員して、手に手に武器をかざしながらオピタルめがけて打ち寄せる計画を立てます。もはや「賊」です。恋の賊。恋賊ですね。

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家族か、恋愛か。どちらをとるか?

家族か、マノンか、選択を迫られて、グリューは躊躇なくマノンを選びます。

「あんなに優しい、あんなに愛すべき女はけっしてあるものじゃありません。マノンがどうしてもアメリカへやられるなら、ぼくは一刻も生きているわけにはいかないからです」

グリューは愛情ある父親に切々と訴えます。

「愛情がどんなものか、苦しみがどんなものか、一度だって経験したものなら……やがて僕が死んだのをお聞きになったら、たぶんあなたはまた僕の父親らしい感情をもつようになるでしょう」

もはや恋愛のためにグリューは死を覚悟しているのでした。

マノンが更生するための懲罰の地、アメリカへの移送中に護送車を襲って奪還しようととしますが、仲間に裏切られ、襲撃を断念します。そしてみじめにも護送人夫に賄賂を払ってマノンに会わせてもらいストーカーのようにマノンについていくのでした。

あまりにみじめっぷりに「自分と一緒に転落するのはやめてくれ」というマノンにグリューはいいます。

「ちがう。ちがう。きみと一緒にいてふしあわせなのは、ぼくにとってねがったりかなったりの運命なんだ」

ここまでいえる男が、どれほどいるでしょうか。

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恋愛狂気。

護送されたアメリカで、そまつな小屋で二人は一緒に暮らします。

アメリカで、贅沢と快楽のない貧しさの中で、マノンはグリュウを静かに受け入れています。贅沢しようにも、まだアメリカは未開の地でした。マノンは禁固や流刑でからだが弱っていましたが、グリューとのあいだにしばしの幸福がおとずれます。

おお、神さま。僕はもうこれ以上あなたに何もお願いしません。もうぼくはマノンの心をしっかり握っています。これさえできたら他に何もいらないと……

村の共同体にも二人は受け入れられる。そこであらためて正式に結婚しようすると、マノンが人妻でないことを知った司政官は、マノンに恋する甥っこにマノンをあたえようとするのでした。未開当時のアメリカでは司政官は全権を握っていたのです。

グリュウはマノンに指一本でもさわらせないと怒鳴り散らします。これまで恋愛沙汰で起こった、いちばん血みどろな、いちばんものすごい場面をアメリカで演じてやろうと肚を決めます。

またグリューの恋愛狂気がはじまりました。マノンのためにはケンカも辞さないどころか、殺人も辞さないところまで恋愛狂気はいってしまっています。

マノンに惚れている司政官の甥と決闘し、その甥を殺してしまうのです。

もはやアメリカの共同体にはいられません。全能の司政官の甥です。グリュワの死刑は確実でした。この恐怖は切実なものであるとはいえ、グリュウの不安のもっとも大きな原因ではりませんでした。

マノンが、マノンのことが、マノンの危急が、マノンを失わねばならないことが、私を混乱させて、私の眼前を真っ暗にし、ために私はどこにいるのかわからないくらいだった。

マノンという語感がママン(ママ)に似ているせいもあるのかな。言葉が切々と響いてきます。

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死ねば恋愛ってもんじゃない。死で終わらない恋愛小説

マノン、ぼくらはどうしよう。

逃げるのよ、いっしょに。

しかし未開のアメリカで街を離れてどうやって生きていけるでしょうか。

グリューは自殺も考えました。しかし踏みとどまります。

マノンを救うために、どんなにひどい苦しみもぎりぎりまで我慢するとしよう。我慢したのが無駄だったとわかるまで死ぬのを延ばそう。

町を逃げて荒野を行く過酷な逃避行の中で、マノンは死んでしまいます。これまでの禁固や流刑や逃亡で体が弱りきっていたのです。

絶望したグリューは彼女の死体を埋めて、呆けたようにそこで死を待ちました。

ところがなんと死んだと思い込んでいた司政官の甥は生きていて、横恋慕からグリューと決闘したてん末を正直に話し、男らしく自分の罪を認め、グリュウは許されたのでした。

緩慢な死を願いますが死ねずにグリューの健康は回復するのです。グリュウはフランスに帰ることにしました。迷惑をかけた父は死んでいました。

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曾根崎心中。心中ものだけが恋愛じゃない。

こうしてグリュウは生き残ります。

世の中では「心中」こそ「身分違いの恋」の究極のかたちだと思われているのに、どうして後追い自殺をしない『マノン・レスコー』が史上最高の恋愛小説だと言えるのでしょうか。

それはグリューの転落ぶり、みじめさが、一緒に死ぬよりも恋に生きたと感じるからです。一緒に死ぬなんてきれいごとでむしろ簡単じゃないかと思ってしまうほど、騎士グリューはみじめなほど転落してこの恋愛と心中します。

「心中もの」たとえば本邦で有名な『曽根崎心中』も、売春婦お初と、徳兵衛の恋で男女の設定が似ていますが、マノンレスコーの方が凄い恋愛小説だと思うのは、徳兵衛が彼女のためにまったく何も戦わないから、です。徳兵衛はお初のために命をはったり何かを犠牲にしたりしません。

いくら二人が来世で結ばれると信じて心中しても、徳兵衛はグリューほど恋愛に生きていません。この恋愛の成就のために世の中とたたかうのは無理だとはじめから諦めてしまっています。

また徳兵衛の死の動機ですが、友人に裏切られて金をだまし取られ商人にとって一番大切な信用を失ったことで、自分のプライドのために死ぬようなところがあります。お初は愛のために死んだふうにも見えますが、それも女郎屋からぬけだせない運命をはかなんでというところもあります。恋愛のためだけに死んだとは思えないところがあるのです。

むすばれない恋は、死ねばいいってものではありません。ただ来世にむすばれることを信じて心中すれば最高の恋というわけではないのです。

マノンのために戦い、マノンために命をすて、マノンのためどんな屈辱にもたえるグリュウの姿が、わたしたちを感動させるのです。

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『パルムの僧院』既婚者の自由恋愛のハチャメチャさ

『マノン・レスコー』は1731年刊行のフランス文学ですが、その100年後の1839年刊行のフランス文学『パルムの僧院』とくらべても、『マノン・レスコー』の凄さ、普遍性がわかるでしょう。

『限りなく透明に近いブルー』ラリった人物が読んでいる『パルムの僧院』の意味

こちらのコラムでも批判していますが、『パルムの僧院』では、何かが決定的に欠けています。夫は何のために存在しているのだろう。結婚っていったい何だろう? そんなことを考えさせられます。

貴族社会では、既婚者どうしが恋愛するのはあたりまえ。結婚相手ではない人との不義の子もあたりまえという風に『パルムの僧院』では描かれています。読んでると「あんたたちにとっていったい結婚って何なのよ。結婚する意味あるの?」と言いたくなるんですね。

いっそ子供は社会全体で育てることにして、結婚なんて制度は意味ないからやめてしまったらどうよ? と言いたくなります。

『パルムの僧院』での既婚者の自由恋愛の乱脈ぶり。結婚って意味あるの? 結婚なんかやめちまえ。という世界観にくらべると、『マノン・レスコー』のグリューはより現代的で、普遍的だといえるのではないでしょうか。『パルムの僧院』は、100年前に書かれたマノンレスコーにくらべて、現代にも通じる何かが決定的に欠けています。

※結婚に関する私の著作です。ぜひお読みください。

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夏目漱石『こころ』弱すぎる。バッカじゃないの!

文学というのは、世相を反映した文化的なものです。

たとえば人前での全裸や排泄が恥ずかしいと感じるのは、文化的なものだと思います。

そういう文化の中で生まれ育っているからそう感じるだけで、周囲のみんなが人前で全裸で排泄する文化だったらすこしも恥ずかしいと感じることはないだろうと思います。野生動物は全裸や排泄を恥ずかしがったりしないのがその証拠です。

文学もたぶんに文化的で、かつて多くの文明で「既婚者どうしの恋愛はあたりまえ」でした。『源氏物語』なんかも男性サイドから見れば人妻と自由恋愛をしています。『パルムの僧院』では女性サイドからも人妻でありながら自由恋愛しています。

既婚者の自由恋愛どころか、奴隷とかレイプなんてあたりまえという時代は、人類史でそうとう長く続きました。そういう時代の文学を見ると、奴隷や乱暴があたりまえのように描かれています。悪いことのようには描かれていません。しかし現在私たちはこういうものに共感することはできません。文化が違っているからです。

夏目漱石の『こころ』のように、女を友達に奪われちゃったから自殺する、とか、それを気にやんで自殺するという明治の設定に、もはや私たちは共感できません。「人間として弱すぎる。バッカじゃないの!」 としか思いません。真実の友情とか恋愛とは、それじゃないだろうとさえ思います。

これはもう違う文化に生きているから、としか言いようがありません。

しかし違う文化に生きているはずなのに、グリューのマノンによせる思いには、300年近くたった今でも圧倒的に共感できるところがあるのです。

人間として普遍的なものを描いている、と言えるのではないでしょうか。

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騎士グリューの態度には近代人が共感できるものがある

このように作品は古びるものなのですが、グリューの態度は、現代の私たちを共感させる何かを持っています。

マノンが男をとっかえひっかえしようとするのを、グリューは全力で止めるのです。マノンの貞操をまもりつつ、自分はあてがわれた女に見向きもせず、世のルールを恋愛のために破って、世間とたたかい、ねがったりかなったりの運命だといわんばかりに没落していく男の姿が、現代人の目から見ても、ひじょうに共感できるのです。

心中せずに生き残った主人公グリュー。恋に狂ったことも含めて、マノンの死もふくめて、すべては神の御業、と考えれば、聖職者の男が書いた小説だということも納得できることでした。すべてのことに神がやどる、と考えるのならば。何もかもが神が何かを教え諭そうとしていると考えるのならば。

『マノン・レスコー』。騎士デ・グリューの恋愛のためにすべてをなげうつ転落ぶりが、史上最高の恋愛小説と呼べるだけのものがあります。

普通は後発作品に追い抜かれ、先発作品は古びて消えてしまうものなのです。しかし『カルメン』や『椿姫』など、ファム・ファタールの後発作品にも、追い抜かれることなく魅力がうせることがないのも、マノンが魅力的というよりは、騎士グリュウの恋狂いっぷりの見事さと、その恋情の普遍的な魅力にあるのだと思います。

物語は、演出法は、進化する。思想は深まっているし、作劇術は進化している

サハラ砂漠で大ジャンプする著者
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このブログ著者の小説『結婚』
小説『結婚』
愛とは何か? 結婚とは何か? を追求した純文学小説です。 主人公ツバサは劇団の役者です。恋人のアスカはツバサのもとを去っていきます。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。  離れたくない。その叫びだけが残った。  全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。 引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。 そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。 それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。 アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。 死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。 生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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小説『結婚』
愛とは何か? 結婚とは何か? を追求した純文学小説です。 主人公ツバサは劇団の役者です。恋人のアスカはツバサのもとを去っていきます。 「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。  離れたくない。その叫びだけが残った。  全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ」 劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。 「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も」 ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。 「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」 ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。 「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」 「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」 尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。 引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。 そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。 それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。 「妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ」 そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。 アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。 死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。 生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。 そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。 「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って」
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このブログの著者の小説『片翼の翼』
小説『片翼の翼』
なぜ生きるのか? 何のために生きるのか? を追求した純文学小説です。 主人公ツバサは劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。 かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。 同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。 アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。 自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。 人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。 ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 ※※本作は小説『結婚』の前編、バックストーリーに相当するものです。両方お読みいただけますとさらに物語が深まる構成になっています。※※
片翼の翼: なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?
Amazon.co.jp: 片翼の翼: なぜ生きるのか? 何のために生きるのか? eBook : アリクラハルト: 本
小説『片翼の翼』
なぜ生きるのか? 何のために生きるのか? を追求した純文学小説です。 主人公ツバサは劇団の役者です。 「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」 恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。 「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな」 アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。 かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。 「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」 ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。 同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。 「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」 惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。 アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。 自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。 人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。 ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。 「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」 そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。 「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」 ※※本作は小説『結婚』の前編、バックストーリーに相当するものです。両方お読みいただけますとさらに物語が深まる構成になっています。※※
片翼の翼: なぜ生きるのか? 何のために生きるのか?
Amazon.co.jp: 片翼の翼: なぜ生きるのか? 何のために生きるのか? eBook : アリクラハルト: 本
【この記事を書いている人】

アリクラハルトと申します。【トウガラシ実存主義】【遊民ユーミン主義】の提唱者。ランニング系・登山系の雑誌に記事を書いてきたプロのライターでもあります。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。その筆力は…本コラムを最後までお読みいただければわかります。あなたの心をどれだけ揺さぶることができたか。それがわたしの実力です。
市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。ちばアクアラインマラソン招待選手。ボストンマラソン正式選手。地方大会での入賞多数。海外マラソンも完走多数(ボストン、ニューヨークシティ、バンクーバー、ユングフラウ、ロトルアニュージーランド、ニューカレドニアヌメア、ホノルル)。地元走友会のリーダー。月間走行距離MAX600km。『市民ランナーという生き方(グランドスラム養成講座)』を展開しています。言葉の力で、あなたの走り方を劇的に変えてみせます。
また、現在、バーチャルランニング『地球一周走り旅』を展開中。ご近所を走りながら、走行距離だけは地球を一周しようという仮想ランニング企画です。
そしてロードバイク乗り。朝飯前でウサイン・ボルトよりも速く走れます。山ヤとしての実績は以下のとおり。スイス・ブライトホルン登頂。マレーシア・キナバル山登頂。台湾・玉山(ニイタカヤマ)登頂。南アルプス全山縦走。後立山連峰全山縦走。槍・穂・西穂縦走。富士登山競争完走。日本山岳耐久レース(ハセツネ)完走。などなど。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。
その後、山ヤのスタイルのまま海外バックパック放浪に旅立ちました。訪問国はモロッコ。エジプト。ヨルダン。トルコ。イギリス。フランス。スペイン。ポルトガル。イタリア。バチカン。ギリシア。スイス。アメリカ。メキシコ。カナダ。タイ。ベトナム。カンボジア。マレーシア。シンガポール。インドネシア。ニュージーランド。ネパール。インド。中国。台湾。韓国。そして日本の28ケ国。パリとニューカレドニア、ホノルルとラスベガスを別に数えていいなら訪問都市は100都市をこえています。(大西洋上をのぞいて)世界一周しています。国内では青春18きっぷ・車中泊で日本一周しています。
登山も、海外バックパック旅行も、車中泊も、すべてに共通するのは必要最低限の装備で生き抜こうという心構えだと思っています。バックパックひとつ。その放浪の魂を伝えていきます。千葉県在住。

【この記事を書いている人】
瞑想ランニング(地球二周目)をしながら心に浮かんできたコラムをブログに書き綴っているランナー・ブロガーのアリクラハルトと申します。【トウガラシ実存主義】【遊民ユーミン主義】の提唱者。ランニング系・登山系の雑誌に記事を書いてきたプロのライターでもあります。早稲田大学卒業。日本脚本家連盟修了生。その筆力は…本コラムを最後までお読みいただければわかります。あなたの心をどれだけ揺さぶることができたか。それがわたしの実力です。 市民ランナーのグランドスラムの達成者(マラソン・サブスリー。100kmサブ10。富士登山競争登頂)。ちばアクアラインマラソン招待選手。ボストンマラソン正式選手。地方大会での入賞多数。海外マラソンも完走多数(ボストン、ニューヨークシティ、バンクーバー、ユングフラウ、ロトルアニュージーランド、ニューカレドニアヌメア、ホノルル)。地元走友会のリーダー。月間走行距離MAX600km。『市民ランナーという生き方(グランドスラム養成講座)』を展開しています。言葉の力で、あなたの走り方を劇的に変えてみせます。 また、現在、バーチャルランニング『地球一周走り旅』を展開中。ご近所を走りながら、走行距離だけは地球を一周しようという仮想ランニング企画です。 そしてロードバイク乗り。朝飯前でウサイン・ボルトよりも速く走れます。山ヤとしての実績は以下のとおり。スイス・ブライトホルン登頂。マレーシア・キナバル山登頂。台湾・玉山(ニイタカヤマ)登頂。南アルプス全山縦走。後立山連峰全山縦走。槍・穂・西穂縦走。富士登山競争完走。日本山岳耐久レース(ハセツネ)完走。などなど。『山と渓谷』ピープル・オブ・ザ・イヤー選出歴あり。 その後、山ヤのスタイルのまま海外バックパック放浪に旅立ちました。訪問国はモロッコ。エジプト。ヨルダン。トルコ。イギリス。フランス。スペイン。ポルトガル。イタリア。バチカン。ギリシア。スイス。アメリカ。メキシコ。カナダ。タイ。ベトナム。カンボジア。マレーシア。シンガポール。インドネシア。ニュージーランド。ネパール。インド。中国。台湾。韓国。そして日本の28ケ国。パリとニューカレドニア、ホノルルとラスベガスを別に数えていいなら訪問都市は100都市をこえています。(大西洋上をのぞいて)世界一周しています。国内では青春18きっぷ・車中泊で日本一周しています。 登山も、海外バックパック旅行も、車中泊も、すべてに共通するのは必要最低限の装備で生き抜こうという心構えだと思っています。バックパックひとつ。その放浪の魂を伝えていきます。千葉県在住。
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