ドラクエ的な人生

世界幸福度ランキング2019。日本の順位は58位

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世界幸福度ランキングとは?

世界幸福度ランキングというものがある。以前は世界各国のランキングというのはGDPを中心に語られることが多かったが、こういうランキングには人間中心主義ルネッサンスな香りがしていい。軍事力や経済力だけじゃ、為政者の成果は測れないってことだ。

コンピューターゲーム『信長の野望』では戦国武将の武力、政治力などがスペックとして数字化されている。そういう数字があるとあいまいなものがわかりやすくなる。なるほど武力100の上杉謙信は武力96の武田信玄よりも戦は強いのか、と。でも政治力は武田信玄の方が上だよね、とか。はっきりしたい人が多いんだろうな。そして戦国武将の「魅力」というスペックがある。世界幸福度ランキングはこの「魅力」部門のようなものだ。

世界幸福度ランキングは、各国民に「どれくらい幸せですか?」と聞いたアンケートに、経済力、社会的支援、健康寿命、人生選択の自由度、寛容さ、性の平等性、社会の腐敗具合などを加味してランキング付けされるようだ。

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日本人は下見て暮らすな上見て暮らせ

さて気になる日本の順位だが、2019年は58位だった。笑っちゃうぐらい低い順位なのではあるまいか。世界を旅したことのない人は、もしかして日本を世界一幸福な国だと思い込んではいなかっただろうか。

そういう人にはこの結果はショックだろうな。日本はそんなに幸福な国ではないとおれも思う。

159か国中58位(2019年)であるから下位ではないが、下位の国はもう戦争で死ぬか病原菌で死ぬか餓死か奴隷か選びなさいぐらいの悲惨な国々が独占しているので、比較以前の問題である。

上位は白人の国が独占している。フランスが24位というのは日本の58位にくらべたら順位がよすぎるのではないかと思うがいかがだろうか。フランス人ってそんなに幸せなのかな? すくなくとも食べ物は日本のほうがフランスよりずっと旨いぞ。

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五人組・隣組の感覚の「目線」が不幸の現況。目線が自由を阻む

まあ他国のことはいい。この国のことだ。日本が不幸せなのは、やっぱりサラリーマンでないと生きられないという社会体制。旧時代の五人組・隣組のような一か所に人間を地縛霊のように縛り付ける生き方を半強制する社会にあると思うなあ。

五人組・隣組の目線は今でも生きている。それは親もそうだし、会社の上司もそうだし、地域社会もそうだ。もしかしたら配偶者もそうかもしれない。

その目線が、自由を阻む。幸せを阻むのだ。

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日本人は夜遊びしない。日本には夜遊びする場所がない

日本では自分の代から新規で百姓やって食っていくのは難しいし、新しい何かをはじめるにも「許可はとったのか?」とがんじがらめだ。やくざのショバ代みたいなものを国が取っているからどうしようもない。「国の許可があった方が利用者は安心だ」と民もそれを許している。

結局、ほとんどの人はサラリーマンをやって生きていくしかない。ところがそのサラリーマン生活が五人組・隣組そのもので、みんなで一緒に不幸になれば怖くない、と言わんばかりである。

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幸福なサラリーマンがいたとすると、たいていは足を引っ張る。自分が同じように幸福になろうとするのではなく、自分と同じような不幸な線まで幸福なサラリーマンを引きずり降ろして並ばせようとするのが隣組社会である。そうやって戦争という不幸をみんなで共有した名残が今も残っているのである。

たとえばタイランドのカオサンやパタヤと比較して、日本の幸福度を検証してみよう。一面だけであるが、何かが見えてくるのではないだろうか。

カオサンやパタヤといえば昼間よりも深夜のほうがずっと人通りが多い。夜中に活動して、朝~昼に眠っている町である。

路上に寝台を並べてマッサージ屋が軒を連ねている。オープンバーからは大音響のダンスミュージックが流れ、誰かが踊っているのを通りから眺められる。屋台のショッピングは何も買わなくても眺めているだけで楽しいし、食べ物は安い。通りを歩いているだけでも楽しい。一人旅でも少しも寂しくないのだ。

これと同じことを日本で出来ないだろうかといつも思うが、すぐに面倒くさくなってやめる。マッサージは国家資格がないとお金を取ることができないし、屋台だって複数の許可が必要になる。

第一、日本にはこのように夜遊びできる場所がない。たいてい店は夜には閉まってしまう。夜は真っ暗で人っ子ひとりいない。

日本人は夜中に何をやっているのだろうか。

日本人が夜遊びしないのは、親の代からの習慣と、やはり隣組の目線が原因ではないだろうか。

夜は家にいるものと隣組から思い込まされているためだ。寂しくても、人恋しくても、家でテレビを見るか、ゲームでもして過ごすしかない。

夜のパタヤのビーチには、孤独を慰めるおねえさん達がたくさん立っている。椰子の木、おねえさん、椰子の木、おねえさんという具合に等間隔で立っている。京都鴨川の川辺でデートする男女が等間隔で並んでいるみたいに、お互いの商売を邪魔しないように立っている。

私は女性連れなので眺めるだけだが、眺めるだけでも気分は高揚してくる。すくなくとも孤独を胸に抱いている境地ではない。

遊び好きなやつらが酒飲んで遊んでいる。それを眺めているだけでも参加しているようなものだ。パタヤの夜に孤独を感じるなんて無理じゃなかろうか。

おすすめはマッサージである。夜風に吹かれながら、通りを歩く世界中の人たちを眺めつつ、足裏をゴリゴリしてもらっているだけで、あなたの孤独は消えてなくなっているだろう。人間、人と触れあう、肌と肌がふれあうことが大事だ。マッサージは最強である。

そういう夜の街が日本にはない。日本の夜は真っ暗だ。

夜は家で家族と過ごすもの。それが隣組の道徳だ。

なんで夜遊びせんのだろう。なんでそういう場所がないのだろう。

世界を旅してきた者が、日本で隣組の道徳観の中で暮らすのが難しくなるのは、解き放たれたこういう場所を知ってしまっているからだ。

みんなが解き放たれるから、自分も解き放たれることができるのだ。自分一人でカオサンやパタヤを再現しようとしても無理なのである。

楽園には、楽園にふさわしい人が必要なのだ。

日本にはそれが決定的に不足している。だからあんまり幸福じゃないんだとおれは思う。

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