ドラクエ的な人生

ブランド品を身にまとっている女は、男にフラれるために身を飾っているようなもの

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結婚実験リアリティ「マッチングの神さま」(MARRIGE AT FIRST SIGHT)

アマゾンプライムビデオで「マッチングの神さま」(MARRIGE AT FIRST SIGHT)というコンテンツを見ていました。初対面の二人がいきなり結婚してうまくいくかどうか試すという内容のオーストラリアの番組です。

最初の結婚で、出会って二週間で結婚した私はほぼMARRIGE AT FIRST SIGHTを実践した者といってもいいのではないでしょうか。

それゆえにおもしろく視聴しています。ちなみに多くのオーストラリアの出演者と同様に私の場合も失敗しましたが。

このような恋愛リアリティーショーを見る場合「この二人がうまくいくか、失敗するか」予想するのが楽しいですよね。わたしは先日「このカップルはうまくいかないだろうな」と予想してみごとに的中させました。

なんで正解できたかって? その女がブランド好きでお高い女だったから。

外国人の名前は男か女かわからない。男女どちらでも使える中性的な名前なのか?

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ブランド品大好き女が、男とうまくいったのを見たことがない

今までに「ルイヴィトンのバッグが大好き」みたいな全身ブランド品でかためた「お高い女」が女が男に愛されて幸せになりましたっていうストーリーを見たことがありません。だから結末を予想して予想通りに的中させました。

女性サイドとしては、どうしてあんな風にブランド品で身を固めて男の前に登場するのでしょうか? 「どう? わたしっていい女でしょう? だから男たちよ、わたしを選びなさい」っていう感じなのかしら? わかってないねえ。結末はたいていフラれるってのが、見えてないんだろうな。

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なんでわざわざフラれるファッションして登場するのか?

男と女は違う生き物なので、そもそも女がいいと思う女のファッションと、男がいいと思う女のファッションは違うのだ、ということを理解する必要があります。

「結婚は人生の墓場だ」は男女の脳差の断絶に絶望した者が言った言葉

ブランドで身を固めた女のファッションというのは「女がいいと思う女のファッション」なのでしょう。整形して見目ぱっちりとか、寝起きまでつけまつげ化粧バッチリとか、それらはきっと「女がいいと思う女のファッション」。「男がいいと思う女のファッション」ではありません。

男女では興味の対象が大きく違う

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「女がいいと思う女のファッション」と「男がいいと思う女のファッション」は違う

「女がいいと思う女のファッション」と「男がいいと思う女のファッション」は違うということを理解していないから、わざわざ男がドン引きするようなファッションを身にまとって登場してしまうのでしょう。

「どう? 私はお金のかかる女よ。それでもいいと思うなら選んで」というように自分で自分のハードルを上げてしまっているのです。

当然、男性からそのようなブランド品を買ってもらうことを期待しているのが見え見えです。それは男性側から見ると、マイナスでしかありません。「美人は三日で飽きる、ブスは三日で慣れる」といいます。ブランド品で着飾ってきれいに見えたとしても、しょせんは三日で飽きる命です。むしろその後の金銭的な負担の重荷はずっと続くわけですから、まともな男ならそんな女を選ぶわけがありません。

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ブランド大好き女は、たいていフラれる

このように、ブランド大好き女は、たいていフラれます。それには合理的な理由があります。

もちろん「カネのかかる女」というだけで敬遠されるという理由もあります。あとは、やっぱり「人としてどうなのか」ということがありますね。自分の好みや嗜好を自分の頭で判断していないというか、費用対効果がまるでわかっていないというか(笑)。

こう考えると、ブランド品を身にまとっている女は、男にフラれるためにそうやっているのかな、とさえ思えます。男を遠ざけたかったら、強烈な臭いの香水を振りまいて、ブランド品で身を固めるとよいでしょう。そうすれば完璧です。きっといつかフラれますよ。

そういうことが見えていないというだけで、すこし頭が弱いのかな、と思ってしまいます。

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「このままの今の自分を認めて」願望は、フラれる温床

今日まで異性に選ばれなかったからこそ、結婚実験リアリティー番組に出演しているというのに、今までの自分を改善しないでこのままの今の自分のままで選ばれようなんて考えがあまいと思います。これまで選ばれなかったように、これからも選ばれないのがオチでしょう。

いつまでも誰からも選ばれず独りでいる人は「このままの今の自分を認めてくれないのなら、独りでいた方がまし」というプライドが高いタイプの人が多いと感じます。

やっぱり人間、折り合いって大事なんですよ。相手に合わせてすこしづつ自分を変えていかなければ。

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主人公ツバサは小劇団の役者です。

「演技のメソッドとして、自分の過去の類似感情を呼び覚まして芝居に再現させるという方法がある。たとえば飼い犬が死んだときのことを思い出しながら、祖母が死んだときの芝居をしたりするのだ。自分が実生活で泣いたり怒ったりしたことを思いだして演技をする、そうすると迫真の演技となり観客の共感を得ることができる。ところが呼び覚ましたリアルな感情が濃密であればあるほど、心が当時の錯乱した思いに掻き乱されてしまう。その当時の感覚に今の現実がかき乱されてしまうことがあるのだ」

恋人のアスカと結婚式を挙げたのは、結婚式場のモデルのアルバイトとしてでした。しかし母の祐希とは違った結婚生活が自分には送れるのではないかという希望がツバサの胸に躍ります。

「ハッピーな人はもっと更にどんどんハッピーになっていってるというのに、どうして決断をしないんだろう。そんなにボンヤリできるほど人生は長くはないはずなのに。たくさん愛しあって、たくさん楽しんで、たくさんわかちあって、たくさん感動して、たくさん自分を謳歌して、たくさん自分を向上させなきゃならないのに。ハッピーな人達はそういうことを、同じ時間の中でどんどん積み重ねていっているのに、なんでわざわざ大切な時間を暗いもので覆うかな

アスカに恋をしているのは確かでしたが、すべてを受け入れることができません。かつてアスカは不倫の恋をしていて、その体験が今の自分をつくったと感じています。それに対してツバサの母は不倫の恋の果てに、みずから命を絶ってしまったのです。

「そのときは望んでいないことが起きて思うようにいかずとても悲しんでいても、大きな流れの中では、それはそうなるべきことがらであって、結果的にはよい方向への布石だったりすることがある。そのとき自分が必死にその結果に反するものを望んでも、事態に否決されて、どんどん大きな力に自分が流されているなあと感じるときがあるんだ」

ツバサは幼いころから愛読していたミナトセイイチロウの作品の影響で、独特のロマンの世界をもっていました。そのロマンのゆえに劇団の主宰者キリヤに認められ、芝居の脚本をまかされることになります。自分に人を感動させることができる何かがあるのか、ツバサは思い悩みます。同時に友人のミカコと一緒に、インターネット・サイバーショップを立ち上げます。ブツを売るのではなくロマンを売るというコンセプトです。

「楽しい、うれしい、といった人間の明るい感情を掘り起こして、その「先」に到達させてあげるんだ。その到達を手伝う仕事なんだよ。やりがいのあることじゃないか」

惚れているけれど、受け入れられないアスカ。素直になれるけれど、惚れていないミカコ。三角関係にツバサはどう決着をつけるのでしょうか。アスカは劇団をやめて、精神科医になろうと勉強をしていました。心療内科の手法をツバサとの関係にも持ち込んで、すべてのトラウマを話して、ちゃんと向き合ってくれと希望してきます。自分の不倫は人生を決めた圧倒的な出来事だと認識しているのに、ツバサの母の不倫、自殺については、分類・整理して心療内科の一症例として片付けようとするアスカの態度にツバサは苛立ちます。つねに自分を無力と感じさせられるつきあいでした。人と人との相性について、ツバサは考えつづけます。そんな中、恋人のアスカはツバサのもとを去っていきました。

「離れたくない。離れたくない。何もかもが消えて、叫びだけが残った。離れたくない。その叫びだけが残った。全身が叫びそのものになる。おれは叫びだ

劇団の主宰者であるキリヤに呼び出されて、離婚話を聞かされます。不倫の子として父を知らずに育ったツバサは、キリヤの妻マリアの不倫の話しに、自分の生い立ちを重ねます。

「どんな喜びも苦難も、どんなに緻密に予測、計算しても思いもかけない事態へと流れていく。喜びも未知、苦しみも未知、でも冒険に向かう同行者がワクワクしてくれたら、おれも楽しく足どりも軽くなるけれど、未知なる苦難、苦境のことばかり思案して不安がり警戒されてしまったら、なんだかおれまでその冒険に向かうよろこびや楽しさを見失ってしまいそうになる……冒険でなければ博打といってもいい。愛は博打だ。人生も

ツバサの母は心を病んで自殺してしまっていました。

「私にとって愛とは、一緒に歩んでいってほしいという欲があるかないか」

ツバサはミカコから思いを寄せられます。しかし「結婚が誰を幸せにしただろうか?」とツバサは感じています。

「不倫って感情を使いまわしができるから。こっちで足りないものをあっちで、あっちで満たされないものをこっちで補うというカラクリだから、判断が狂うんだよね。それが不倫マジックのタネあかし」

「愛する人とともに歩んでいくことでひろがっていく自分の中の可能性って、決してひとりでは辿りつけない境地だと思うの。守る人がいるうれしさ、守られている安心感、自信。妥協することの意味、共同生活のぶつかり合い、でも逆にそれを楽しもうという姿勢、つかず離れずに……それを一つ屋根の下で行う楽しさ。全く違う人間同士が一緒に人生を作っていく面白味。束縛し合わないで時間を共有したい……けれどこうしたことも相手が同じように思っていないと実現できない」

尊敬する作家、ミナトセイイチロウの影響を受けてツバサは劇団で上演する脚本を書きあげましたが、芝居は失敗してしまいました。引退するキリヤから一人の友人を紹介されます。なんとその友人はミナトでした。そこにアスカが妊娠したという情報が伝わってきました。それは誰の子なのでしょうか? 真実は藪の中。証言が食い違います。誰かが嘘をついているはずです。認識しているツバサ自信が狂っていなければ、の話しですが……。

妻のことが信頼できない。そうなったら『事実』は関係ないんだ

そう言ったキリヤの言葉を思い出し、ツバサは真実は何かではなく、自分が何を信じるのか、を選びます。アスカのお腹の中の子は、昔の自分だと感じていました。死に際のミナトからツバサは病院に呼び出されます。そして途中までしか書いていない最後の原稿を託されます。ミナトの最後の小説を舞台上にアレンジしたものをツバサは上演します。客席にはミナトが、アスカが、ミカコが見てくれていました。生きることへの恋を書き上げた舞台は成功し、ツバサはミナトセイイチロウの後を継ぐことを決意します。ミナトから最後の作品の続きを書くように頼まれて、ツバサは地獄のような断崖絶壁の山に向かいます。

「舞台は変えよう。ミナトの小説からは魂だけを引き継ぎ、おれの故郷を舞台に独自の世界を描こう。自分の原風景を描いてみよう。目をそむけ続けてきた始まりの物語のことを。その原風景からしか、おれの本当の心の叫びは表現できない」

そこでミナトの作品がツバサの母と自分の故郷のことを書いていると悟り、自分のすべてを込めて作品を引きついて書き上げようとするのでした。

「おまえにその跡を引き継ぐ資格があるのか? 「ある」自分の中にその力があることをはっきりと感じていた。それはおれがあの人の息子だからだ。おれにはおれだけの何かを込めることができる。父の遺産のその上に」

そこにミカコから真相を告げる手紙が届いたのでした。

「それは言葉として聞いただけではその本当の意味を知ることができないこと。体験し、自分をひとつひとつ積み上げ、愛においても人生においても成功した人でないとわからない法則」

「私は、助言されたんだよ。その男性をあなたが絶対に逃したくなかったら、とにかくその男の言う通りにしなさいって。一切反論は許さない。とにかくあなたが「わかる」まで、その男の言う通りに動きなさいって。その男がいい男であればあるほどそうしなさいって。私は反論したんだ。『そんなことできない。そんなの女は男の奴隷じゃないか』って

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モテたければ、相手の好みに合わせること

「マッチングの神さま」(MARRIGE AT FIRST SIGHT)に登場する異性の誰からも選ばれない人たちは、泣き叫んで恋愛の悩みを吐露したりするのですが、あまり自分を変えようとはしていません。むしろ「これまでの自分」に過剰すぎるほど自信たっぷりです。そこが問題だとおれは思うんだけどなあ……。

男に選ばれないのを改善するには……お高いブランド品で身を固めるのをやめるだけでいいっていうのに、そんなことがどうしてできないのでしょうか? そんなに難しいことでしょうか?

……やっぱり女の考えていることはわからないなあ、おれは男だから。

逆にきっとおれは「お高いブランド品で身を固めれば」今よりはるかに女性にモテるんでしょうね。

けっきょく、モテるっていうのはそういうことなんだろうと思います。相手の好みに合わせればいいんだよ。

ジャコモ・カサノバ『回想録』世界一モテる男に学ぶ男の生き方、人生の楽しみ方

男はもっとブランド品で身を固めて、女はもっと素朴な服を着れば、お互いにモテるはずなのに、現状では女がブランド品で身を固めて、男が素朴な服を着ています。

……うまくいかないものですね。男と女って。

女にモテるただひとつの方法

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