ドラクエ的な人生

禅ランニング・瞑想ランニングのやり方

このページでは禅ランニング・瞑想ランニングのやり方を解説しています。

最初に仏教の禅の心を解説し、それが長距離ランニングにどう応用すればいいのか、説明しています。

【結論】今を走る、それが瞑想ランニングです。あなたはもうすでに瞑想ランニングをしているのかもしれません。

瞑想ランニングのやり方を文字で書くと、座禅の瞑想のやり方と一致します。信じられないかもしれませんが、走ることが、幸福につながっていきます。それが【世界が美しく見える魔法】走るために生まれた、ということの意味です。

瞑想ランニングのやり方を書いていたら、はからずも「幸福とは何か?」を追求することになってしまいました。

幸福を追求しなければ生まれた甲斐がありません。瞑想ランニングは幸福追求のためにするものです。

※※※YouTube動画はじめました※※※

書籍『市民ランナーという走り方(マラソンサブスリー・グランドスラム養成講座)』の内容をYouTubeにて公開しています。言葉のイメージ喚起力でランニングフォームを最適化して、同じ練習量でも速く走れるようになるランニング新メソッドについて解説しています。気に入っていただけましたら、チャンネル登録をお願いします。

世界名作文学紹介チャンネル
読書系ブログ『ドラクエ的な人生』のYouTube出張局です。 アリクラハルトの出版書籍 ※当チャンネルは、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者...

×   ×   ×   ×   ×   × 

※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。

「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何?
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。

Bitly

星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。

×   ×   ×   ×   ×   × 

スポンサーリンク

【世界が美しく見える魔法】脳内モルヒネ・ホルモン幸福論

生物学者は生化学的な仕組みによって幸福感は決まると主張しています。

高い給料や権力のような外部要因によって決まるのではなく、セロトニンやドーパミン、オキシトシンのような生化学物質(快楽物質)の量で幸福は決まるというのです。

実はわたしもこれと同じ主張です。生きている歓びは身体をつかうことにあると感じています。身体をつかうことによって快楽物質が脳内に満たされるというのがわたしの幸福論です。わたしが【世界が美しく見える魔法】というのは、この脳内モルヒネを指したものに他なりません。

【肉体宣言】走るために生まれた
生きる歓びとか命の実感というものは自然と湧いて出てくるものではありません。この世界の中で肉体を思う存分に動かしてはじめて感じられるものなのです。

体内をめぐる快感。それは血流に乗って全身を駆け巡っているホルモンや脳内の電気信号に起因しています。人間はホルモンバランスなのです。

人間の体内の生化学システムは幸福水準を安定した状態に保つようにプログラムされているそうです。幸福感情にも恒常性(ホメオスタシス)がはたらくのです。ひらたくいうと幸福も、不幸も、やがては慣れて、落ち着くということです。

人間の幸福度を一定水準に調整するシステム。このシステムは酷暑になろうと吹雪が来ようと室温を一定に保つ空調システムになぞられることができます。設定温度はひとりひとり異なります。陽気な設定温度の人は外的要因にかかわらず比較的幸せでいられるのです。陰鬱な設定温度の人はボーナスの日でも気分は沈んだままです。陰鬱な人の脳みそは、そもそも何が起こっても心が浮き立つようにはできていないからです。

どんなことが降りかかろうとつねに比較的楽しそうにしている人もいれば、いつも不機嫌な人もいます。家を買っても結婚しても、その人固有の生化学的特性(設定温度)は変わらないのです。ほんの束の間、生化学的状態を変動させることはできるが、体内のシステムはすぐに元の設定点に戻ってしまうのです。

私たちはあふれんばかりの快楽を一時的に味わえるものの、そうした快楽は永続しません。それらは遅かれ早かれ慣れて感じなくなってしまうのです。

わたしが走り続けるのも、同じ理由からです。世界が美しく見える魔法も、長続きしません。一晩眠れば元に戻ってしまうのです。
幸せな今を走るためには、毎日毎日、自分に魔法をかける必要があるのです。毎日の瞑想ランニングによって、日々、世界は美しいのです。

スポンサーリンク

瞑想ランニングをするには、禅の心を理解することが重要

富も地位も権力もシッダルタ王子を幸福にしなかった

脳内モルヒネ・ホルモン幸福論と同じく、仏教では幸せは外の世界の出来事ではなく身体のうちで起こっている過程に起因すると考えます。

ブッダは一国の王子でしたが、地位も権力もシッダルタ王子を幸福にしませんでした。

『シッダルタ』ヘルマン・ヘッセ。白人が見た仏陀。解脱する方法
「生きることはよろこびだ」とどうして言えないんでしょうか。そう言えれば輪廻からの解脱は果たしたも同然じゃありませんか。 よろこびを抱えたまま、よろこびを追いかける。それが生きることではないかとわたしは思います。それはもう悟り、解脱と同じことではないでしょうか。

しかし共通の認識を出発点としながらも、仏教はまったく異なる結論に行き着きます。

快感を求めて、苦痛を避ける。そのあたりまえがブッダの「悟り」ではない。

たいていの人は快い感情を幸福、不快な感情を苦痛と考えます。その結果、自分の感情に非常な重要性を認めることになります。ますます多くの喜びを経験することを渇愛し、苦痛を避けるようになるのです。

生涯のうちに、どんな決断をして何をしようと、私たちはただ心地よい感情を得ようとしているに過ぎない。

そういうこともできるでしょう。

だが仏教によれば、そこには問題があるそうです。

私たちの感情は波のように刻一刻と変化するつかのまの心の揺らぎにすぎません。五分前に喜びや人生の意義を感じていても、今は消え去り意気消沈しているかもしれないのです。

快さを求めたら、たえずそれを追わねばならず、仮にそれが成功したとしても、ただちに消え去り、はじめからやり直さなければならず、自分の苦労に対する永続的な報いは決して得られないからです。

現れたが早いか消えてなくなるものを達成するために、なぜそれほど苦労するのですか?

快感を求めて、苦痛を避ける。そのあたりまえの生き方がブッダの「悟り」ではありませんでした。

苦しみの根源は、苦痛でも悲しみでも無意味さでさえもないのです。

苦しみの真の根源は、つかのまの感情をこのように果てしなく空しく求め続けることなのです。

感情を追い求めれば私たちは常に緊張し、混乱し、不満を抱くことになりますこの追求のせいで、心はけっして満たされることはありません。

喜びを経験しているときにさえ、この感情がすぐに消えてしまうことを恐れ、この感情が持続し、強まることを渇望します。ありもしない未来によって、今が掻き乱されてしまうのです。今を生きられないのです。

人間ははかない感情を経験したときではなく、自分の感情はすべてつかのまのものであることを理解し、そうした感情を渇愛することをやめたときに、はじめて苦しみから解放される。それがブッダの悟りであり、瞑想修行の目的です。

瞑想のやり方

マインドフルネス瞑想では、まずは自分の身体の状態を全力で注視します。呼吸の状態をモニタリングするのです。すべての注意を「今」に向けることで、過去や未来に「今」が掻き乱されることを止めていきます。

瞑想するときは自分の心身を念入りに観察し、自分の感情がたえまなく沸き起こっては消えていくのを目の当たりにし、そうした感情を追い求めるのがいかに無意味かを悟るようにします。

特定の感情を渇愛するのをやめさえすれば、どんな感情もあるがままに受け入れられるようになります。

ああだったかもしれないなどという過去の追想をやめて、今この瞬間を生きることができるようになるのです。

そうして得られた安らぎはとても深いものです。

苦しみの真の根源は、つかのまの感情を果てしなく空しく求め続けることだからです。

喜びの感情を果てしなく追求するのは、何十年も浜辺に立ち、良い波を壊さないようにし、悪い波を近づけまいとするのに等しい。人は浜辺で狂ったようにこの不毛な行いを繰り返しています。だがついに砂の上に腰を下ろし、波が好きなように寄せては返すのにまかせるとき、なんと静穏なことでしょうか。

幸福が外部の条件とは無関係であるという点についてはブッダも脳内モルヒネ・ホルモン幸福論と同じ意見でした。ブッダの洞察力でより重要で遙かに深淵なのは、真の幸福とは私たちの内なる感情とも無関係であるというものです。事実、自分の感情に重きを置くほど、私たちはその感情を渇愛するようになり、苦しみも増していくのです。

ブッダが教え諭したのは外なる成果の追求のみならず、内なる感情の追求もやめることでした。

スポンサーリンク

瞑想ランニングのやり方

いよいよ本題の瞑想ランニングのやり方を説明します。

マインドフルネス瞑想では、まずは自分の身体の状態を全力で注視して、呼吸の状態をモニタリングするというのがやり方でした。

呼吸に意識を集中して無心になる。これはまさにランニングそのままではありませんか。

むしろ血行が促進されているぶんだけ瞑想座禅よりも瞑想ランニングの方が心身が爽快になりますし、新たな活力が湧いてきます。私は瞑想を習慣にしたこともありますが、走った方がいいことに気づいてやめてしまいました。座り込む瞑想を習慣にしている人には、ランニング瞑想をおすすめしたいと思います。ランニングは瞑想のもっているものをすべて含み、それ以上のものをもっています。

瞑想ランニングでは、まずは自分の身体の状態を全力で注視して、呼吸の状態をモニタリングします。

足の裏はどこから地面に接地しているか?
ときにはピッチのリズムを数えましょう。
どこの筋肉に力が入っているか?

逆にどこの筋肉がリラックスできているか?
呼吸に注目し、肺の奥まで大きく空気を吸い込みます。

身体に吹き付ける雨や風を感じます。
熱くなっていく体温、流れる汗を実感します。

全神経をそこに集中して、今を走ります。
仕事のことも、人間関係のことも、過去も、未来も、考えません。

すべての注意を「今」に向けることで、過去や未来に「今」が掻き乱されることを止めていきます。

これが瞑想ランニングです。

走り方、というよりは、走るときの心構え、に注目してください。

瞑想ランニングのやり方を文字で書くと、座禅の瞑想のやり方と一致します。走っているか、座っているかの違いしかありません。それほどランニングと瞑想は似ています。

そして今この瞬間に感じる快楽、満足感は、瞑想ランニングの方がずっと上です。ランナーズハイと呼ばれる脳内モルヒネが出るからです。熟達したランナーほど脳内モルヒネ・快感ホルモンが出やすくなるものです。

瞑想ランニングは幸福を追求する術でもあります。

そのために、いささか長くなりましたが、幸福とは何か、について解説させていただきました。

スポンサーリンク

幸福を追求しなければ生まれた甲斐がない

瞑想ランニングは幸福を追求する術でもあります。そのために、幸福とは何か、について、先に解説させていただきました。

信じられないかもしれませんが、走ることが幸福につながるのです。それが私が言う【世界が美しく見える魔法】走るために生まれた、ということの意味なのです。そのための手段として瞑想ランニングがあります。

瞑想ランニングのやり方を書いていたら、はからずも「幸福とは何か?」を追求することになってしまいました。

幸福を追求しなければ生まれた甲斐がありません。瞑想ランニングは幸福追求のためにするものです。

×   ×   ×   ×   ×   × 

※雑誌『ランナーズ』の元ライターである本ブログの筆者の書籍『市民ランナーという走り方』(サブスリー・グランドスラム養成講座)。Amazon電子書籍版、ペーパーバック版(紙書籍)発売中。

「コーチのひとことで私のランニングは劇的に進化しました」エリートランナーがこう言っているのを聞くことがあります。市民ランナーはこのような奇跡を体験することはできないのでしょうか?
いいえ。できます。そのために書かれた本が本書『市民ランナーという走り方』。ランニングフォームをつくるための脳内イメージワードによって速く走れるようになるという新メソッドを本書では提唱しています。「言葉の力によって速くなる」という本書の新理論によって、あなたのランニングを進化させ、現状を打破し、自己ベスト更新、そして市民ランナーの三冠・グランドスラム(マラソン・サブスリー。100km・サブテン。富士登山競争のサミッター)を達成するのをサポートします。
●言葉の力で速くなる「動的バランス走法」「ヘルメスの靴」「アトムのジェット走法」って何?
●絶対にやってはいけない「スクワット走法」とはどんなフォーム?
●ピッチ走法よりもストライド走法! ハサミは両方に開かれる走法。
●スピードで遊ぶ。スピードを楽しむ。オオカミランニングのすすめ。
マラソンの極意「複数のフォームを使い回せ」とは?
究極の走り方「あなたの走り方は、あなたの肉体に聞け」
本書を読めば、言葉のもつイメージ喚起力で、フォームが効率化・最適化されて、同じトレーニング量でも速く走ることができるようになります。
※カルペ・ディエム。この本は「ハウツーランニング」の体裁をした市民ランナーという生き方に関する本です。あなたはどうして走るのですか? あなたよりも速く走る人はいくらでもいるというのに。市民ランナーがなぜ走るのか、本書では一つの答えを提示しています。

Bitly

星月夜を舞台に、宇宙を翔けるように、街灯に輝く夜の街を駆け抜けましょう。あなたが走れば、夜の街はイルミネーションを灯したように輝くのです。そして生きるよろこびに満ち溢れたあなたの走りを見て、自分もそんな風に生きたいと、あなたから勇気をもらって、どこかの誰かがあなたの足跡を追いかけて走り出すのです。歓喜を魔法のようにまき散らしながら、この世界を走りましょう。それが市民ランナーという走り方です。

×   ×   ×   ×   ×   × 

モバイルバージョンを終了