読書マラソン3『シッダルタ』ヘッセ作

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『荒野のおおかみ』のヘルマン・ヘッセに『シッダルタ』という短編がある。日本人なら誰でも知っていることだが、シッダルタというのは仏陀の本名である。ゴータマ・シッダルタというのが仏陀の本名。イエス・キリストがユダヤ人だとすれば、仏陀はインド人かネパール人ということになる。言われてみれば、古い仏像はインド人のような顔をしている。

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ん? 別人? 主人公シッダルタの他に、ゴータマ仏陀が登場!

名門の出にして賢きシッダルタ。当然ながら未来の未来の仏陀が主人公の作品だろうと思いながら本を読み進めると、なんと作品の途中にゴータマという名の仏陀が別人として登場してくるのだ!

ん? 別人? シッダルタの他にゴータマという名の仏陀が登場するのだ。

だとするばシッダルタとは何者なのか?

このあたりから小説『シッダルタ』は俄然面白くなってくる。

物語は今後、どういう展開となるのであろうか? 小説『シッダルタ』理解のための重要なキーワードを解説しつつ、物語を追いかけてみたいと思う。

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輪廻とは何か? 梵=ブラウマンとは何か?

シッダルタは断食の生活の中で、生きることは苦しみだと感じる。その苦しみから逃れるためには自己を滅却して我を脱し心を虚しくすることだ。心さえなければ苦しみは感じない。心を空しくするのが修行の目的であった。断食でフラフラの頭で、肉体を離脱し、輪廻を観想するが、結局心は、おのれに戻ってくる。苦しみから逃れられない。どんな瞑想もしばしの逃避に過ぎない。

輪廻というのは、宇宙や自然に内在する原動力(梵=ブラウマン)が永遠に流転することを意味している。この考え方はブラウマンを物理学の原子だと考えると現代人にもわかりやすい。宇宙のチリ(原子)は固まって星になり、星の一部はやがて土になり、水になり、それらの中から生じた命も、やがては死して宇宙のチリとなるが、チリはやがて土となり水となり再び命となり永遠に流転する。それが輪廻である。

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解脱とは何か? 梵我一如とは何か? 真我=アートマンとは何か?

僕が僕であるために。我が我たるゆえん。他人と自分、世界と自分を隔てるものを真我(アートマン)と呼ぶ。このアートマンがアートマンである限り永遠の苦しみは終わらない。ただアートマンがブラウマンと同一だと悟ることができれば、他人と自分、世界と自分の区別はなくなる。隔てるものがなくなれば苦しみはなくなる。この悟りの状態を梵我一如という。

究極の真理が梵我一如だとすれば、ブラウマンは永遠に流転するのであるから、アートマンも永遠に流転することになる。命は永遠だということになる。万物が姿を変えて永遠であるように、命も姿を変えて永遠だと考えるのが輪廻のもう一つの側面である。命が永遠に生まれ変わるとすれば、生きることは苦しみだから、永遠に苦しまなければならない。解脱とはこの輪廻の輪から抜け出すことを意味する。

見てきたように基本的には「生きるという苦しみから逃れようとする宗教」なわけだ。このことは忘れずに注意を払っておきたい。

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シッダルタとゴータマの議論。みずからの体験によってしか悟りは得られない

シッダルタは修行に疑問を抱く。苦行をして何かに到達できるのか、という疑問である。シッダルタは先達の「言葉」や「教え」では悟れないと直感している。悟り、解脱の最大の敵は「知を求める心」「学ぶ」ということだと感じるのだ。

親友ゴヴィンダにゴータマ仏陀に会いに行こうと誘われるが、シッダルタはあまり気乗りがしない。ゴータマ仏陀を胡散臭いと感じているからではなく、会ったところで返ってくるのは所詮「言葉」や「教え」でしかないからだ。しかしゴータマ仏陀に会いに行くことで、沙門の修行の身を去ることができるから、とシッダルタは仏陀に会いに行く。

しかしシッダルタはゴータマに直接会ったからとて、新しいことを学び得るわけではないと思っていた。人の口より口に伝わった言葉ではあるが、もうすでにゴータマの教えの内容は聞いていたのだ。本人の口から同じことを聞いても教えの内容は変わらない。むしろシッダルタが興味を持ったのはゴータマの肉体の所作にであった。

ゴヴィンダは仏陀に帰依するが、シッダルタは帰依しない。友とはここで別れることになった。

友をあずけるゴータマにシッダルタは論戦を挑む。議論の要旨は「ゴータマの悟りは疑わないが、それはみずからの体験により得たものであり他者の教えによって得たものではない。悟り、解脱は教えによっては授けられないものだ。入信し、教義を授けられても、教えでは解脱することはできない。みずからの体験によってしか悟りは得られない」というものであった。「ゴータマの教えが正しいとわかっているが、同じ境地に達するために、だから自分は入信しないのだ」というシッダルタの論戦に対し、ゴータマは「賢すぎてはいかんぜよ」と言って、二人は別れることとなった。

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形而上学を捨て、実存主義者になる。自分探しの旅に出る。

仏陀の教えさえ捨てたシッダルタは、梵ブラウマンや真我アートマンを離れて、ひとりのシッダルタを見つめる。現代哲学風に言えば、シッダルタは、形而上学を離れて、実存主義者になった。そして渡し守に河を渡してもらい、自分探しの旅に出るのである。

河の向こうには遊女カマラがいた。異性ほど人間を成長させてくれるものはないと私は考えているが、作者ヘッセも同じ道程を書いておきたかったのではないだろうか。

カマラに受け入れてもらうために、シッダルタの堕落がはじまる。着物と靴と金のために、パンと果物のために。カマラとの性愛の生活のために、小児人種と心の中で軽蔑する大商人カーマスワミーに雇われて、世俗と快楽の生活を長い間シッダルタは送ることになるのである。富を味わい、歓楽を味わい、権勢を味わう。禁欲、思索、超俗だった青年時代は終わり、世俗の官能によって多くのことを経験する。女の快楽、美食の欲求、富と賭博に陶酔する。

物語としての『シッダルタ』は『仏陀の生涯』からは完全に離れていく。世俗にまみれる仏陀なんていないのだから。そして小説として面白くなっていく。自我や欲が物語を面白くする。エンターテイメントは解脱とは無縁のものだ。シッダルタも我欲にまみれ堕落していく。しかし物語がそれで終わるはずはなかろう。仏陀と同じ名を持つシッダルタが、どのような悟りの境地を抱くのか。ゴータマ仏陀に啖呵を切ったことの決着をどう着けるのか。結末まで読まずにはいられない気持ちになる。

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死(老い)は人生の反省を促す最高の教師

欲に意地を張ることから降りられなくなったシッダルタ。しかしとうとう「老い」が彼を捉える。大商人カーマスワミーのような者になるために、父を、友を、仏陀を捨てて自分は河を渡ったのか。シッダルタは後悔し、富貴な人生に別れを告げる。もういちど出家をしたのである。

真理から遠ざかってしまった。出家の旅の途中でシッダルタは死を思うほど絶望する。人生の苦労の果てに思索人から小児人種に堕落してしまった。そして河のほとりでゴヴィンダと再会する。「形あるものは無常、すなわちいつも途中」と現況をシッダルタは友に報告する。

故郷へと戻る大河のほとり。渡し守ヴァズデーヴァにシッダルタは拾ってもらい、一緒に渡し守稼業をすることになる。そして河から世界を学ぶ。ただ聴くことと素直な心をもっているだけのヴァズデーヴァにシッダルタは教えられる。しかし本当に教えてくれたのは渡し守ヴァズデーヴァではなく河そのものであった。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」鴨長明『方丈記』の冒頭を日本人読者なら思い浮かべてもよいであろう。シッダルタが河から学んだことは、河は過去にあり、未来にもあるが、現在しかないということであった。輪廻も過去や未来ではなく、いっさいは現在にしかないという悟りであった。

愛したカマラと死に別れ、残された息子への煩悩に翻弄されるシッダルタ。先導者の役割を担ったヴァズデーヴァも去り、再びゴヴィンダと再会する。「形あるものは無常、すなわちいつも途中」と前回は答えたシッダルタは今度も違うことを言う。それが最後の言葉だ。

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シッダルタとゴータマが同じならば、あなたも仏になれる

「時は実在しない」

えっ。時間は存在しないだって? これはまた大胆な価値破壊に来たナア。

「すべての隔たりは時がたてば一になる。隔たりは迷いに過ぎない。途中にあるのではない。不完全ではない」

敵は滅び、味方も滅び去る。憎しみは消え、愛も消える。すべては流れ去りやがて一つになる。だからもともと対立などはないのだ。現在の姿がすべてであると悟ることが梵我一如ということの意味である。すべてのものに仏性があるということをシッダルタは言っているのであろう。

ゴヴィンダが帰依するゴータマ仏陀とは違うことを言っているように聞こえるシッダルタの言葉。しかしシッダルタのほほえみは、ゴータマのほほえみと全く同じものであった。

このようにして小説『シッダルタ』は完結する。

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自我を抱えたまま、走り続ける、叫び続ける、求め続ける。それが文学

おれは思う。そもそも「生きるという苦しみから逃れようとする宗教」っていうところをコペルニクス的に転換させればいいじゃないか、と。

「生きることはよろこびだ」とどうして言えないんだ、ヘルマン・ヘッセ(シッダルタ)。

そういえれば輪廻からの解脱は果たしたも同然じゃないか。

それを自我を抱えたまま、走り続ける、叫び続ける、求め続けるっていうのが、文学ではないかとおれは思う。

あなたは、どう思う?

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プロフィール


温人ハルト。雑誌『ランナーズ』等に執筆歴のある物書き。サブスリーランナー。グランドスラム達成者(100kmサブテン。富士登山競争登頂)。スイス・ブライトホルン。台湾・玉山。南アルプス全山縦走など登山歴も豊富。キャンプ・車中泊マニア。西天取経の旅人

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はたして放浪のバックパッカーは社会復帰できるのか!? 自由と社会との折り合いを模索するブログです。

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