『インベスターZ』から知った「人口ボーナス」理論
高度経済成長を支えたのは世代でいうと団塊の世代です。第一次ベビーブーム世代ともいいますね。高度経済成長期は彼らが頑張ったから成し遂げられたことではなく、ただたんに人口ボーナスがあったからだ、というのはいったいどのような意味なのでしょうか?
「人口ボーナス」理論とは?
人口ボーナスというのは、子供や高齢者に比べて、生産人口、労働人口が多い状態だと定義されています。この状態のときには、低い社会保障費を経済成長に投資できるし、各個人の消費が拡大することから、国として経済成長するという理屈です。
まあ、そんな難しいことを考えなくても、単純に人口が増えればGDPは大きくなるのは自明のことです。中国がいい例ですね。日本の三倍の経済規模を誇りますが、人民全員が日本人よりも豊かなわけではありません。人口は日本の十倍以上ですからね。国としての経済成長はGDPベースで語られることが多いので、このように単純に人口が増え続ければGDPは大きくなります。
あの経済成長期は、それだけのことだ、というんですね。人口ボーナス理論によれば。
言葉がなければ、定義、考え方、概念も存在しない
わたしは学生時代に経済ではなく文学に全振りした人間なので、学び舎で真正面から経済理論に取り組んだことは一度もありません。
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(本文より)
カプチーノを淹れよう。きみが待っているから。
カプチーノを淹れよう。明るい陽差しの中、きみが微笑むから。
ぼくの人生のスケッチは、まだ未完成だけど。
裏の畑の麦の穂は、まだまだ蒼いままだけど。
大地に立っているこの存在を、実感していたいんだ。
カプチーノを淹れよう。きみとぼくのために。
カプチーノを淹れよう。きみの巻き毛の黒髪が四月の風に揺れるから。
「条件は変えられるけど、人は変えられない。また再び誰かを好きになるかも知れないけれど、同じ人ではないわけだよね。
前の人の短所を次の人の長所で埋めたって、前の人の長所を次の人はきっと持ちあわせてはいない。結局は違う場所に歪みがでてきて食い違う。だから人はかけがえがないんだ」
金色の波をすべるあなたは、まるで海に浮かぶ星のよう。
夕日を背に浴び、きれいな軌跡をえがいて還ってくるの。
夢みるように何度も何度も、波を泳いでわたしのもとへ。
あの北の寒い漁港で、彼はいつも思っていた。この不幸な家族に立脚して人生を切り開いてゆくのではなくて、自分という素材としてのベストな幸福を掴もう、と――だけど、そういうものから切り離された自分なんてものはありえないのだ。そのことが痛いほどよくわかった。
あの人がいたからおれがいたのだ。それを否定することはできない。
人はそんなに違っているわけじゃない。誰もが似たりよったりだ。それなのに人はかけがえがないなんてことが、どうして言えるだろう。
むしろ、こういうべきだった。
その人がどんな生き方をしたかで、まわりの人間の人生が変わる、だから人は替えがきかない、と。
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こんな「人口ボーナス」なんて言葉はいつごろから言われるようになったのでしょうか? 昔からあった言葉なのでしょうか? もしも昔からそういう言葉があったのなら、そういう定義、概念があったということと同じです。現在、日本が人口ボーナス期にあって、やがて人口オーナス期になることは、誰にでもわかったことではありますまいか? とくに経済学者はなぜそれを指摘しなかった!?
ウィキペディアで調べると、人口ボーナスというのは、アメリカの学者が21世紀初頭に言い出したことみたいです。つまりそれまではそんな考え方もなかったということです。
高度経済成長はその時代に働き盛りだった団塊の世代が「おれたちが頑張った。おれたちは偉い。おれたちには年金受給の資格がある」というのは、じゅうぶんな理屈だったのです。だって反論する理論がなかったのだから。個人の実感としてはもちろん頑張ったのでしょう。でもほかの世代だって頑張っている人は頑張っています。それは個人の問題で世代の問題ではありません。
新人類も世界を刷新、革新できなかった
まあ、今は反論する理屈があるから、高度経済成長は、団塊の世代の特別な努力によって成し遂げられたことではないということになりました。経済理論がなくても、生活実感としてそれはわかります。
たとえば新人類と呼ばれた世代の人たちも、世の中に華々しくデビューしましたが、新人類という言葉にふさわしい新しい世界をつくりだすことはできませんでした。新人類という言葉だけで、世界を新しいものに刷新することはできなかったのです。ましてやバブル世代なんか泡のように膨らんではじける好景気を指すだけの言葉なので、そんな世代が世界を革新できるわけがありません。それと同様に団塊の世代も、その数の力で日本のGDPの記録的な成長をつくりましたが、その世代だけが特別視されるべきなにかを持っていたわけではありませんでした。
こうしてみると、やっぱり世代ではなく、天才が世の中を変えたんだなあと思わざるを得ません。団塊の世代だけが特別に頑張ったのだから年金を満額受け取れて、下の世代はそれにくらべて頑張っていないのだから年金を受け取れなくても仕方がないというのは、考え方が間違っているということですね。

