迎賓館でベルサイユ宮殿を思い出したので『ベルサイユのばら』を見返してみた
先日、日本の迎賓館を見学に行きました。アメリカ大統領などが来日したときに歓待する場所です。館内も見られるのですが(撮影は禁止です)なかなかに立派なものでした。
フランスのベルサイユ宮殿のことを思い出しました。予想した通り、とてもよく似ています。
もともと日本の皇太子の御所としてつくられたものなので、ブルボン王家の宮殿ほど立派ではありませんが、それでもなかなかのものでした。
とくに鎧武者の絵などは非常に珍しいと思いました。それ以外は「どこかで見たことある感じ」(ヨーロッパの王宮のマネ)なのですが、鎧武者などは諸外国ではもちろん見たことがありません。珍しいと思いました。
迎賓館でベルサイユ宮殿を思い出したので『ベルサイユのばら』(アニメ)を見返してみました。
すると……大人になって見ると、子どもの時とは違うことに思い至ります。とくに気になったのが、ベルばらのキャラクターたちが、実在の人物なのか、作者のキャラクターなのか、です。
実在の人物なのか、作者のキャラクターなのか?
ベルばら、の実在の人物の代表は女王マリー・アントワネット。作者の創作の代表は男装の麗人オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェです。
ではデュ・バリー夫人は? ロザリーは? ベルナール・シャトレは? ポリニャック夫人は? ジャンヌ・バロアは?
実在の人物のようでもあり、架空のキャラクターのようでもあります。大人になって視聴すると、虚実皮膜の境目がとても気になりました。
そこで、インターネット上の百科事典・ウィキペディアで調べてみることにしたのです。
『ベルサイユのばら』(アニメ)の主人公はマリー・アントワネット? Wikipediaの間違い発見!
ちなみに正解は、デュ・バリー夫人(実在)。ロザリー(創作)。ベルナール・シャトレ(創作)。ポリニャック夫人(実在)。ジャンヌ・バロア(実在)が正解です。
調べたのはこちら。ご存知ウィキペディアです。
こちらのサイト(Wikipedia)を信用して、いつも百科事典がわりに使っています。
しかし今回は驚きました。よく読んでください。ウィキペディアではマリー・アントワネットが「本作の主人公」となっています。えっ!? 主人公はオスカルじゃないの?
そしてウィキペディアではオスカルのことを「もう1人の主人公とも言える人物」としています。
いやいやいやいや。違うんじゃないの? 主人公はオスカルなんじゃないの?
大丈夫か、ウィキペディア。これからも信頼して使ってもいいのでしょうか?
本当に「ベルばら」の主人公はアントワネットで、オスカルは「もう一人の主人公とも言える人物」程度なのでしょうか?
「主役を食ってしまう脇役」は名作の証し。「思い入れ主人公」は、客観的事実とは異なる。
ときどき「主役を食ってしまう脇役」というのが登場する作品があります。むしろ「主役を食ってしまう脇役」は名作には欠かせない存在だといえるかもしれません。たとえば『天才バカボン』の主人公は、作者の当初の意図では、主人公はバカボンであってパパではありませんでしたが、完全に主役を食ってパパが主人公になってしまいました。
『Dr.スランプ』も同じです。最初は発明家の則巻千兵衛が主人公でしたが、いつのまにかアラレちゃんが主人公になってしまいました。
『うる星やつら』も最初はラムちゃんが主人公ではありませんでした。客演のようなかたちでマンガ版のエピソード第一話に登場したところ、「押しかけ女房」設定が受けて、いつのまにか主役の諸星あたるをしのぐ女主人公になったのです。うる星やつらといえばラムちゃんでしょう。
ガンダムのシャアとかもそのパターンでした。『逆襲のシャア』では主人公はシャアで、主人公だったアムロが脇役になっています。主客転倒ですね。
また、あえて「主人公はこいつだ!」という作品もあります。ここでは「思い入れ主人公」と命名します。『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』では、もちろん主人公は勇者ダイですが、魔法使いポップこそが主人公だとあえて言い張る人がいます。これは「思い入れ主人公」であって客観的な事実とは異なります。
でも『ベルサイユのばら』はどうでしょうか? 本当にマリー・アントワネットが客観的な主人公ですか?
近代文学は「個人の心の革命」を描くもの。『ベルばら』の主人公はオスカル・フランソワです。
そもそもWikipediaは「ウェブの百科事典」を目指しており、このブログのように筆者の思い入れを発表する場ではありません。そういう編集方針ではないのです。ですから、思い入れ主人公ではなく、客観的に見てマリー・アントワネットが主人公だと考えられる、ということを表明しているはずです。
しかし『ベルサイユのばら』(アニメ)は、作品冒頭からオスカルが主人公です。オスカルの誕生シーンから物語はスタートします。ビルディングスロマンを彷彿とさせますね。
女として生まれたオスカルを男として育てるところから物語が始まり、そしてオスカルが近衛連隊に仕官するところではじめてマリー・アントワネットが登場するのです。
作品に欠かせない要素として「フランス革命」があります。
「パンが食べられないならブリオシュを食べたらいいじゃないの」発言に代表される民心をまったく理解できない無邪気な女王としてのマリー・アントワネットは、作品中もちろん大きく取り上げられます。最後にはギロチンで断頭される悲劇のヒロインとしてマリー・アントワネットは作品の中で大きな地位をしめますが「本作の主人公」と位置付けるのは間違っていると思います。
作者の池田理代子さんにも、そういうつもりではないだろうと思います。作家というのは、やはり実在の人物よりも、自分が創作した人物を主人公にしたがるものです。それが作者の心理ってものです。
世の中がひっくりかえるという歴史的な事件、フランス革命について描きたいばかりにマリー・アントワネットについ筆が向いたということはあるでしょうが、決して彼女が主人公ではありません。
悲劇のヒロイン性でもオスカルはマリー・アントワネットに負けていません。男として生きるか、女として生きるか迷いながら、結核におかされ、愛するアンドレは失明し、青姦でやっと男女の中になったと思ったらすぐに愛した人は死ぬし、自分も民衆とともに生きようと決意した次の瞬間に撃たれて死んでしまいます。悲劇性でもマリー・アントワネットに負けていません。
物語はバスティーユ襲撃(革命冒頭)でオスカルが死ぬと同時に終息し、その数年後のマリー・アントワネットの死(革命終結)は、後日談のように描かれるにすぎません。
作者が描きたかったのはフランス革命期に舞台をかりた「女の生き方」なんだろうと思います。男装の麗人のちょっとレズビアン的な恋だったり、男(装)に惚れる男の同性愛ふうの今でいうLGBT的な微妙な恋心が執筆の最大の動機になっていたのだろうと推察します。
近代文学は「個人の心の革命」を描くものです。成長する主人公、これがテーマです。その点、オスカルは文句なしです。貴族として生まれましたが、そのことに疑問をもち、貧しい庶民に同情し、エリートの近衛隊から庶民の衛兵隊に転属し、最後には民衆の側に立ってバスティーユの襲撃に手を貸します。平民のアンドレと恋をして、平民側に立ちます。心の中に革命が起こっています。太宰治の文学のようですね。
ところがマリー・アントワネットは終始一貫としてフランスの王妃であって、悲劇の魅力こそありますが、心の中に革命は起きていません。
だいたいオープニングでも、エンディングでもオスカルばかり描かれています。最後の最後に「オスカール」と大絶叫していますし(笑)。これが主人公じゃなかったら何なんだ(笑)。
最近ではフランス人すら『ベルサイユのばら』でフランス革命の勉強をしたという人もいるくらいですから、悲劇の女王が副主人公格なのは認めますが、主人公だと断言しているウィキペディアの記述は間違っているのではないでしょうか。
Wikipediaに間違いを発見した場合の対処法
Wikipediaは基本的にボランティアによって書かれているそうです。つまり正しいとは限らないのです。編集者のいないライターのようなもので、好き勝手なことが書けてしまいます。
だからベルばらの主人公がマリー・アントワネットだなんておかしなことが書いてあるわけですね。
このような場合、まず第一にあなた自らの手で修正することができます。
【問題のあるページに行きページ上部にある「編集」タブをクリックし、誤った記述を正しい記述に書き直し、「投稿する」ボタンを押します。】
と公式ページにアナウンスされています。漢字のミスなど単純な訂正だったらすぐにできますが、主人公が違うというような壮大なミステイクの場合、自分で訂正するのは簡単なことではありません。
その場合「修正依頼」することもできます。
ただし世の中にはベルばらの主人公はアンドレだと思っている人も一定数いるはずなので、主人公をオスカルだと訂正する前に、提案し議論することが推奨されています。
……なかなか面倒くさいですね。
わたしが寿司屋の店主でWikipediaに「寿司は韓国発祥の韓国料理」と書いてあったら、それは時間と精力を費やして訂正に動くでしょう。
しかししょせんは他人の作品であるベルばらのためにそこまでする気にはなれません。
自分のブログに書いておく程度にとどめておきましょう。
このブログを読んだ誰かが訂正に動いてくれることを期待して。
『ベルばら』は韓流ドラマの元祖か? 幼馴染との恋、失明、交通事故、など共通点が満載
今回、迎賓館赤坂離宮を見学したのをきっかけに『ベルサイユのばら』を見返してみたのですが、ひじょうに奥が深いと思いました。
なんか韓流ドラマの元祖みたい。韓国人はここからドラマを学んだのかしら?
韓流ドラマ好きのウチの妻がこんなことを言いました。
幼馴染との恋愛。財閥(貴族)との身分違いの恋。政略結婚。自殺。失明。交通事故。不治の病。死別など韓流ドラマの主要な要素が『ベルばら』は満載よ。
なるほど……そういう見方もありますか。さすが韓流ドラマファン。いいところに気づきましたね。
たしかにアンドレとの幼なじみ恋愛、身分違いの恋。そして死別。
フェルゼンとマリー・アントワネットの身分違いの恋。
ポリニャック夫人の娘シャルロットの政略結婚と自殺。
ロザリーの母親の交通事故死。アンドレの失明。オスカルの結核(不治の病)。
など、韓流ドラマの元祖のような展開が続きます。
大人になってから見ても、ひじょうにおもしろいドラマでした。
それにしてもウィキペディア! 間違ってるぞ!!
いくらなんでもマリー・アントワネットが「本作の主人公」だなんておかしいぜ!!