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【プロレス】異端審問の拷問。痛い思いをするぶんだけ、生きていることを感じているはずだ

痛い思いをするぶんだけ、生きていることを感じているはずだ

私はYouTubeのプロレス動画を見るのが好きです。彼らは体をつかって生きているので、見ていて気持ちがいいのです。打撃や関節技などを食らって、痛さに顔を歪めているのを見ると、何の刺激もないこちら側の退屈な日常をつかのま忘れられます。

プロレスラーたちが確実に痛い思いをしているのが伝わってきます。肉体主義者の私としては、彼らが痛い思いをしている分だけ、生きていることを実感していると感じて、うらやましいような気持ちになります。

【肉体宣言】走るために生まれた(ブログ・ドラクエ的な人生の最終ページ)

プロレスの試合も面白いが、レスラーのバラエティー番組も面白い

プロレスの過去の名試合を見るのも好きですが、意外とプロレスラーたちのトーク番組など、試合以外のバラエティーを見るのも好きだったりします。

細かいことはどうでもいい精神というか、難しいことを言うやつは殴って黙らせようとする精神というものが、現実にはありえないキャラ立ちをして、見ていて楽しくなります。ラッシャー木村に代表されるような、悪役に思われている人がじつは善人だったりして、そういうところで思わず笑ってしまうこともあります。

アンドレ・ザ・ジャイアントなんかは日本では悪役でしたが、母国フランスではベビーフェースだったそうです。善玉と悪玉では笑顔ひとつ違うんでしょうから、どちらも演じられるというのは、なかなか難しいことだと思います。演技力がないとやっていけませんね。

トランプ大統領の政治ショーはプロレスから学んだのではないか、という話しもあります。彼は自分のホテルでプロレス興行を開催するなどして、人々から拍手喝采を浴びる方法や、憎めない悪役のありかたなどを学んだというんですね。

そうだとしたら、アメリカの大統領ですら学んで役に立てているのですから、我らだってプロレスを眺めることは無益ではありますまい。

トランプ関税政策は、「神の見えざる手」に正され、失敗するだろう。

プロレス技が痛いことと、八百長シナリオのあるなしは、別の話し

ところで、プロレスバラエティーを見ていると、いつもプロレスラーに面と向かって「八百長じゃないか」という疑問をぶつける人がいます。

そういうときのプロレスラーの反論というのはいつも決まっていて「お前、ちょっとこっちこい」といって、質問者にプロレスの技をかけるのが定番です。コブラツイストとか四の字固めとかをかけて、質問者に悲鳴をあげさせます。

「痛いか? 痛いだろ? これが八百長の痛さか? 八百長だと思うか?」

「イッテエ! 思いません。思いません。イタタ。かんべんしてください」

というわけです。

これで笑ってプロレスが八百長じゃないってことになるのですが、その理屈、おかしくないですか(笑)?

技が痛いことと、試合にシナリオがあるかないかは別の話しじゃない?

異端審問の拷問みたいなもので、プロレスにシナリオはないと認めさせられるのだ

質問者が、上の私のような正論を述べようものなら、もっと痛い技をかけられるのが関の山です。質問者が黙るか、プロレスを認めるまで、痛い技をかけられ続けます。

一種の、異端審問の拷問みたいなもんだ(笑)。

昭和の昔から、いつもこのルーティーンを繰り返してきたのでした。

「ある程度のシナリオはあるが、八百長ではない」

という意味不明の反論をするプロレスラーもいますが、そういうのを八百長というんですよ(笑)。

昔はスポーツ新聞もプロレスの勝敗を一面記事にしていたそうです。でも今はショーだと知れ渡ったので、スポーツ新聞がまともにプロレスの勝敗をとりあげることはなくなりました。

だってジャーマンスープレックスとか、やられる側が、ぜったいにジャンプして技をかけやすいように協力してるよね。YouTubeなどでスロー再生すればわかりますよ。あんなの相手の協力がないと技としてほとんど成立しないんじゃありませんか?

でも、、まじでバックドロップとか、よく首の骨が折れないなあ、よく生きてるなあ、と、ほおおと感心して見ています。ものすごい生命力です。ハラショー!

もちろん時々、三沢光晴とか、高山善廣みたいになっちゃう人もいますけど。それだけに八百長のショーだけとは言い切れない魅力があるのです。

まあ。とりあえず私もプロレスの味方です。女子プロレスも好き。現役ではウナギ・サヤカがおすすめです。彼女はとくにバラエティー向きですね。

消えたフワちゃんなんか、女子プロレスラーになればいいのに、と思います。彼女のプロレスは本格的ですよ。

あの派手な技、痛みとともに生きている実感を得ているだろうプロレスラーたちの試合をときどき眺めて、こういう生き方もあるんだなあ、とうらやましく思うのでした。

肉体宣言。生きがいとは何だ? 肉体をつかってこその生き甲斐

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