ここではロバート・ハリス著『黒く塗れ』PAINT IT BLACKの書評をしています。
オレはボヘミアンになる。一番なりたかったのは冒険家だった。放浪者。自由人。心の探求者。
世界を放浪して、面白い人間に会って、好きな本を読んで、恋に落ちて、野グソとかヤブ蚊なしの冒険をして、人生を楽しく生きていく。
物書きになりたい。それにはまず人生経験を積まなければダメだ。
重要なのはなるべく束縛されることなく、好きなことをやりながら、自分の欲望や心の声に忠実に生きていくことだった。
人生は楽しんだもの勝ちだ。楽しく生きるということは人間ひとりひとりが持って生まれた権利だ。
まずは壊してしまえ。価値観は後で見出せばいい。破壊賛歌。肝の底から元気になった。
自分というものは日々発見をし続けていく、謎のような存在だと思う。
すべてを黒く塗りつぶしたところからはじめたい。
狂い、溺れ、熱狂してきた。本性とは心の深いところに潜む欲望とか、野獣とか、魔物とか、闇とかいったもののことだ。おどろおどろしい感情である。
プライドとか体裁、かっこよさ、社会的倫理、道徳といった観念の、価値の無さだ。恋に狂ったとき、最初にぶっ飛んでいくのはこういうものだ。
自分の裸の姿を発見する。本性を垣間見ることによって、われわれは深いところでものを考えたり、感じられる人間になっていく。
彼女に笑顔を投げかけた。彼女の反応は速かった。ぼくの目の前でお尻をクイクイやりだした。
「迷惑だからもう来ないで」ぼくの反応はあっぱれなほど素直だった。大声を上げて泣き出したのだ。号泣だった。こんなバカ泣きをしたのは赤ん坊の時以来だった。オイオイと泣いた。内に潜む絶望や孤独や狂気という魔物たちに会うこともできた。
性を人生の主体として考えている人間は意外に少ないんだなと驚くことがある。
エロティックファンタジーにはまりオナニーばかりしていた。ぼくほどセッ●スに取りつかれていた奴はいなかったように思う。どろどろしたもので、心の奥底に潜む魔物みたいなものだった。立派なオナニストになった。SM小説にガクガク来た。レイプされたり調教を受けたりする物語。セクシャルファンタジーにふけった。被虐的なファンタジー。
女の子にはモテたほう。もう、どうなってもいいと思った。このまま性に溺れて、おかしくなってしまってもいい。快楽に身を任せる。性的想像に制限はない。
遊び仲間。ホルモンのカオス状態。反逆とは何か? かっこよく生きるとはどういうことなのか?
心を開くっていうことは、こういうことだったのか。こんなに簡単なことを、なぜ今までしなかったのだろう。素直になって、感じたことをそのまま表現すればいいだけのことだ。
旅先では肩書や学歴はどうでもよくなる。気が合うか合わないかというシンプルな理由で友だちになったりならなかったりする。
社会に迎合することなく、自分の歌を歌いあげながら、己の道を突き進んでいた。
ルールがあるとしたら、ルールなしで思いっきり遊ぶことだ。我々の間では女を取り合ったり、博打でお互いをつぶし合ったりと、ルール違反的なことが横行している。
おれたちはみんなドブの中にいる。でもそこから星を見上げているやつらだっているんだ。
オンザロードの旅。いざ旅に出てみると、何かを書こうという気持ちがまったく湧いてこなくなった。サバイブしていくだけで精一杯。
危険に対する嗅覚。その勘に従って行動する。勘の次に必要なのは行動力と度胸。数をこなし、場慣れしていくこと。
孤独のオーラを発している人間に、人は寄ってこない。
頭を空っぽにして、気楽に旅そのものを楽しむのが一番。肩書も、過去も知られていない。そういうものは何の意味も持たない。
どんなエネルギーとかオーラを発していたのか。
勝負事に感情を持ち込んでは絶対にダメだ。小さなことではエキサイトしない。常にクールにプレイするのが一番。
勝負はぼくの負けだった。でも心の底では、やるべきことをやった自分の勇気をたたえていた。
勝負に出た人間にしか感じることのできない気迫。ここで逃げてしまっては、勝負師としての自分がどんな器なのか、測り知ることができない。
前向きで、ほがらかで、子供のようなエネルギーを持っている。運の女神はネガティブ思考の人間にはよりつかない。
あの勝負をきっかけに、お互いにリスペクトを感じるようになった。
本の中を旅しよう。本を読むプロセスそのものにはまった。
おまえは昔から本だけはよく読んでいたよな。
本が、ただのしょうもない悪ガキから、考える悪ガキへと進化させてくれた。
違う世界の時間が独自のペースで流れ始める。その流れの中に身を委ね、一歩一歩、物語の中へと入っていく。
ひとりで過ごす時間が多くなった。自分と対話していく楽しさを知っていった。
ワイルドでデカダントな貧乏生活を楽しんでいた。ボヘミアンな生活。
今という時代だけではなく、想像もつかないような大きな世界がある。本はぼくが自由に吸収して自分の一部にできる遺産なのだ。
内面世界はどんどんカラフルになっていった。意識の一部になっていったのだ。
自分の教育は自分でやっていくものだ。
どんなリスクを負って、どういう生き方をしていくか。
死ぬような恋。体が震えるような悦び。魂が真っ黒になってしまうような絶望感もあじわってみたかった。
群れるのを嫌い、自分のルールに基づいて行動し、己の道を歩んでいく。
この社会は、管理しやすい人間を、大量生産している。
活字離れ。体制側からしたら、ものを読まない者ほど、コントロールしやすい。
昔も今も、人間の考えていることは、ほとんど変わっていない。ぼくは一人じゃないということに気づく。
内面世界を旅し、自分の生き方を模索していく。
ピュアな何かを持ってた。
日本は敵が見えない。すごく飼いならされやすい社会。
あたらしい価値観は、人間くさいカオスから生まれてくる。お祭りがないとダメだ。
好きなことをやって、はつらつと生をまっとうする方が勝ちに決まっている。自分のスタイルで、やりたいことをやって生きてきた。
自分と向き合う時間をつくり、いろいろなことをトライしていく。
ウォークアバウト。ヴィジョンクエスト。通貨儀礼としての旅。
思いっきり生きること。それ自体がかっこいい。
社会の中でサバイバルしていかなければならない現実を前にすると、ほとんどの人が夢を放棄せざるを得なくなるのかもしれない。
何になりたかったかではなく、どういう生き方をしたいと思っていたかと聞くべきだった。
とにもかくにもかっこいい男になりたい。危険とかカオスを愛し、詩人の心をもって世界を渡り歩く。せめて生き方だけはロックしてやる。
社会のモラルをぶっ壊し、独自の美学を生み出したり、破滅や暗闇へと魂を追い込み、運命と格闘するのを楽しんでいるような、精神的なアウトローたち。
ヘンリーミラーのような内面的なドラマや魂の葛藤。いくら自分の中を覗いても、書くに値するような物語も、心の旅も、ドラマも見あたらなかった。
カッコ悪いと思っていた時の自分が、なかなか人間的で、素直でかっこよく見えたりすることがある。女にフラれて、ギャーギャー泣き叫んでいたときの自分なんかが、そのいい例である。
人生が投げかける挑戦をすべてオープンな気持ちで受け入れる。
どれだけ人を愛し、憎しみと格闘し、孤独に押しつぶされ、快楽を味わい、闇を生き抜き、絶望を感じ、希望に燃え、夢を見、自分と折り合いをつけていくか。
激しく生きた人間からはきっと強烈な香りが、チンケな生き方をした人間からはチンケなにおいが漂ってくるだろう。
どうしたら一番輝けるのか。本当のカッコよさとは何なのか。
アウトサイダー的な人間。理解してもらえない。わかるはずがない。仕事らしい仕事はやっていない。このままで幸せなんだ。やりたいこともない。
夢を持つことは、果たして幸せなのだろうか。常に何かにならなければ、何かを達成しなければという強迫観念につきまとわれている。世捨て人にはなれない。運命にかき回されてきた。書くのが恐くて仕方がなかった。才能がないとわかったら。夢がたたれたら? 二十数年間、逃げ続けていた。自分から逃げていた。でも、逃げ切れるものではない。
毎日毎日、他人のトラウマを聞いているのが嫌になった。
昼間から近くのビーチに行き、日が暮れるまでビールを飲んで過ごした。
時速枚数。これしか本当にやりたいことがない。苦しくなればなるほど、意地でも戦い続けてやろう。
未来のどこかではなく、今自分がいるところの空しか見えない。
おおらかで不真面目なスピリット。適当にさぼった。公園の美しさに見惚れ、感動したりため息をついている。人生を楽しむコツをつかんだ。
人間の一生なんて、瞬きのようなものだ。
ボンダイビーチはぼくと同じようなヒマ人たちで賑わっていた。日が暮れるまで昼寝をしているような奴らでいっぱいなのだ。
レバノン避難民。海を見つめながらアラビア語で歌を歌い始めた。かすれた声で、うめくように歌った。悲しい目をした男の歌。気がつくと涙を流していた。男に目をやると、彼の顔も涙に濡れていた。
東京にいると、生きることが苦行のようになっていて、それが当たり前のように見えてくる。
→あまりにも内容がすばらしくて、コメントを書く気になれません。何か書き加えれば加えるほど価値が下がっていく。そんな気がします。

