東京神田。絶滅メディア博物館

東京・神田に行ってきました。海外大放浪&地方移住が目の前に迫っていて、私はもう東京にお別れを告げるモードです。いつも古本街ばかり歩くのもマンネリなので、調べたところ神田には「絶滅メディア博物館」というのがありました。
絶滅メディアというのは、具体的には、フロッピーディスク、カセットテープ、ウォークマン、ディスクマン、MO、ポケベル、フラップフォン、マッキントッシュ、ワードプロセッサー、アイボ、ベーカムをはじめとする巨大なビデオ撮影機など、今となっては絶滅してしまったメディアのことです。
これらを決定的に滅ぼしたのは、ご存じiPhoneです。2007年のスマートフォンの登場で、デジカメも、フラップフォンも、電子辞書も、MOウォークマンも、iPodも、すべてが過去のものとなりました。
そのiPhoneもいきなり登場したわけではなく、ブラックベリーという先駆的なマシンがありました。ブラックベリーはタッチパネルでこそないものの、常時ネット接続が前提の、電話よりはメールの送受信に重点が置かれたマシンでした。そういうところが現在のスマートフォンのご先祖様だといわれています。そのブラックベリーも展示されていました。
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本書の内容
・「ユーミン主義(遊民主義)」→ 限りある時間の人生を、遊びながら生きていく方法。
・「プアイズム(ビンボー主義)」→ お金を使わないからこそ、人生はより楽しくなる。
・「新狩猟採集民としての新しい生き方」→ モノを買うという行為で、どこででも生きていける。
・「お客さまという権力」→ 成功者にも有名にもならなくていい。ただお客様になればいい。
・「スマホが変えた海外放浪」→ なくてよし、あればまたよし、スマートフォン。
・「強くてニューゲーム」 → 人生ゲームをもう一度はじめからプレイする方法。
・「インバウンド規制緩和」→ 外国人の感受性が、日本を自由に開放してくれるのだ。
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ガラケーは百花繚乱。スマホの未来のヒントはここにある

しかし何よりも私がなつかしかったのは、フラップフォンと呼ばれるディスプレイとキーボードがパカッと上下に開くタイプの携帯電話でした。かつて私が使っていたものも展示されていました。
ガラケーは工夫の山でした。ディスプレイの下から物理キーボードを引き出すタイプのものや、上に開いたディスプレイがさらに横に回転するタイプなど、とにかく差別化するために一生懸命です。
タッチパネルじゃないと現在のフリック入力ができません。だからスマホの下からQWERTYキーボードを引き出すタイプのケータイまでありました。涙ぐましいですな。頑張った!
日本のケータイがガラケーと呼ばれるのは、孤島であるガラパゴス諸島のように、ケータイが島国独特の進化を遂げたからだそうです。まさに百花繚乱という感じでした。
韓国のサムソンが二つ折りのスマホを販売していて話題になっていますが、日本のガラケーからすれば二つ折りなんてあたりまえです。もっと工夫せいや。
iPhone系スマホのデザインは行き詰まっている感があります。新機種が発売されても、見た目はずっと同じですものね。未来のスマホのデザインのヒントは、むしろ過去のガラケーにあるのかもしれません。
我らの未来は過去となりにけり
そのフラップフォンですが、英語ではフューチャーフォンとも言います。フューチャーフォン、あれはわたしたちの未来の電話だったんですね。
しかしその未来も、過去のものとなってしまいました。
我らの未来は過去となりにけり。
絶滅メディア博物館は、そんなノスタルジックな場所でした。
東京都内(市街地)で暮らすと、歩く距離が増える
ひさしぶりに東京都内に住む友だちと一緒に東京を散歩しました。
「都内で暮らしていると歩く距離が増えるよね」
と話していたのがとても印象的でした。
なるほど。言い得て妙だと思います。
私のように地方都市で暮らしていると、ほとんどの移動は車になります。車で大きく移動して目的地に着いたらちょっと歩くだけ、というのが地方ぐらしのスタンダードです。
それに対して都内在住の友人たちは、そもそも車を所有していません。駐車場がバカ高いし、いつも渋滞しているし、車なんか持っていてもろくなことはないからだそうです。
ドアtoドアといってもいいぐらい近くに駅があるから、そこまで歩けば電車でどこへでも行けます。行った先でも歩くことになるので結局「都内で暮らしていると歩く距離が増えるよね」ということになるのです。
政策で、高齢者は駅前の市街地に集中させればいいのではないか

これは一種の福音ではないかと思います。足が不自由な高齢の私の叔父など、本当は車をやめてほしいのですが、近くに駅もバスもないため、車が唯一の移動手段でして、もう乗るのをやめてくれとはなかなか言えません。引きずっている右足でどうやって運転しているんだと不安になるほど足の状態は悪いのですが、それでも車社会と縁が切れません。
こういう高齢者は今や日本中にたくさんいるのではないかと思います。そういう高齢者は政策でみんな市街地に集めてしまえばいいのではないかと思います。駅前市街地ではすべてが歩ける距離の範囲内にコンパクトにまとまっているため、もう車に乗る必要がなくなります。用を足すため歩くことで健康寿命を延ばす役にも立つでしょう。
どこかに遠くに行きたい場合も、歩いて、電車に乗るようになれば、交通事故の心配もありません。
どうせ地方都市などはドーナツ化現象でスカスカになりつつあるのだから、補助金などの強力な政策で高齢者を駅前に集めればいいと思います。
人間、歩けなくなったらおしまいですよ。
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歩くために生まれた。散歩は楽しい。散歩こそ人生の快楽。
東京や京都で暮らしていると、散歩が楽しいですよね。京都なんかは、お散歩していると、教科書に出てきたような場所が、突然、出てきますからね。あてもなく歩いていたら本能寺が突然現れて超びっくりしたことがあります。
東京も同じです。知らない場所を歩いていたら、井伊直弼とか大久保利通の暗殺の地などの碑が突然現れてビックリします。知っていますか? レインボーブリッジだって歩いて渡れるの?
お散歩が楽しいのは「いい場所」のメリットですよね。歴史ある市街地の特権です。
こういうことは地方都市ではありません。地方都市は景観があまり変わらなくて退屈することが多いのです。民家とか土手とか田んぼとかが続く景観が多いので、ずっと同じだから飽きてしまうのです。
私も車を捨てて、市街地に住むことをよく考えます。そう思うのも、散歩が楽しいからです。散歩こそ人生の快楽です。
私はよく海外放浪をするのですが、海外で何をしているのかというと、ただひたすら逍遥しています。散策です。歩いているのです。
ただの散歩です。それでも言葉の通じない外国で、通貨の違う異文化で、ただ歩くだけでこんなにも面白いのか、といつも発見があります。
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お金もかかりませんしね。最高の趣味ではないでしょうか。
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もしも走れなくなっても、歩ける限り歩きたいと私は考えています。
本稿の趣旨を繰り返しますが、足の悪いような運転が不安な高齢者は政策でみんな市街地に集めてしまえばいいのではないかと思います。駅前市街地ではすべてが歩ける距離の範囲内にコンパクトにまとまっているため、もう車に乗る必要がなくなります。用を足すため歩くことで健康寿命を延ばす役にも立つでしょう。
歩けないような人がクルマに乗るなんてことは、凶器を振り回すようなものだと思いませんか? それを放置する社会であってはならないと思うのです。

